2015年12月26日土曜日

青年武将


信州の桑原城本丸から見た諏訪湖です。

山城登山を予定していたのに開始が遅くなり、暗くなる前に何とか間に合った一枚です。

戦国時代は埋め立てもなく、湖がもっと大きく拝めたはずです。

城主は諏訪頼重で武田信玄に滅ぼされます。

近くの本城である上原城を撤退し最後に籠った城であり、ここから見えた諏訪湖はさぞ惜別の景色だったでしょう。

諏訪氏は武将でありながら諏訪神社の神職でもあり、格式は随一、諏訪湖と共にあった一族です。

降伏したあと武田の本拠地である甲府に送られ、最終的に切腹させられます。

享年27歳。

ドラマではおじさん俳優が演じるので、実際は若いんだと思いました。

対する信玄も22歳と大学生ぐらいの年齢のくせに、親父を追放したり謀略家です。

このときも頼重の娘「湖衣姫」を側室にし、後に自身の後継者となる勝頼が生まれます。

頻繁に改名するこの時代、勝頼は武田氏の「信」を使わず、諏訪氏の「頼」を名乗ったまま武田氏として滅びます。

母と子でどんな会話がなされていたんでしょうか。

興味深いです。


2015年12月19日土曜日

赤湯温泉


雪道ラリーに参加した愛車デルタの、スタート待ちの瞬間を捕らえた緊張感ある一枚です。

と、言いたいところですが、実は大雪で宿からの坂道を上れず、JAFを待っている情けない光景です。

四駆でもノーマルタイヤでは全く歯が立ちません。

こんな冬真っ盛りの景色ですが、時期は10月末です。

季節外れの大寒波襲来でこんなことになってしまいました。

場所は赤湯温泉。

有名な山形県の赤湯温泉ではなく、福島県の一軒宿「好山荘」の赤湯温泉です。

山小屋の佇まいですが「日本秘湯を守る会」にも加入していて、内風呂は炭酸泉の「赤湯」、露天風呂は硫黄泉の「白湯」と高品質の泉質が2種類1泊で楽しめます。

福島方面から会津磐梯山へ向かう途中にありますが、谷底に位置するせいか、近辺の山頂が冠雪する同じタイミングで積雪しました。

積載車に積んでもらい、谷底から脱出すると快晴です。

あらためて自然の怖さを感じました。


2015年12月12日土曜日

富山地方鉄道


富山地方鉄道「富山駅」の改札口近くからの一枚ですが、日本にいる感じがしません。

欧州の列車のように見えるし、屋根も独特で日本らしくありません。

それに以前伺ったとき、同じ場所で金髪女性に写真を撮ってくれと頼まれた経験が強烈だったのか、人も外国人のイメージしかありません。

今回も人が見当たらず、少し不思議な感覚になりました。

しかし実際に乗車すると、ローカル線であることに変わりなく、地元の古い看板とかが多くて、鄙びた旅情を感じさせます。

ただし黒部ダムのある立山方面へ向かうため、着実に標高が上がっていくのがわかり、山岳鉄道の様相を感じさせます。

映画「剱岳 点の記」で、日本山岳会の草創期メンバーが、当時最先端の舶来ファッションで登頂に挑むのですが、そのイメージとかぶります。

海外のどんな文化も、「日本化」してしまう強烈な土台が日本には存在すると思います。

しかし、この地域は珍しく立山信仰の聖地であるにもかかわらず、ヨーロッパ文化が楔(くさび)を打ち込んでいる気がします。

2015年12月5日土曜日

荒城の月


車中泊の明け方ウロウロしてますが年末でとにかく寒いです。

かじかんでガタガタ鳴る歯を噛みしめ、震える指をコントロールして撮りました。

「荒城の月」を作曲した「滝廉太郎像」とその舞台の「岡城」です。

大分県竹田市にあります。

滝さんが今にも動き出しそうで少し怖いですが、山々と霞に幾重にも囲まれた景色は何か旋律を感じます。

また、天下三堅城の一つと言われるだけの頑とした美しさが、大規模な石垣にありました。

城の入口を写真で見たことしかなかったのですが、登ってビックリ、縄張りの広いこと。

あとで調べると、鎌倉時代初期に「源義経」を迎えるような話から始まり、戦国時代は島津の大軍を撃退、江戸時代にも更に拡張されて、山城としては全国一の規模を誇るそうです。

竹田市の町自体も昔からの洞門みたいなトンネルが多く、そこを車で潜り街中に入っていくだけで、タイムスリップ感があります。

近くに「竹田湧水群」やナイヤガラこと「原尻の滝」もあり、水の豊かさを実感出来る地域です。

とても潤いを感じる旅でした。

2015年11月28日土曜日

湯畑


草津温泉の中心である「湯畑」正面です。

いつも湯けむりと湯量に圧倒されます。

夜の景色はなおさらです。

日本人が海外の人に温泉文化を説明するなら、わかりやすく「見せる装置」としての設備は重要と思います。

その代表格は、この「湯畑」と「道後温泉本館」だと思っていて、記念写真に「行ってきました。」と周囲にわからせるアイコンは、より不可欠になってくると思います。

草津は三名湯の一つで、江戸時代からずっと東の横綱が定位置です。

個人的には泉質を基準に温泉巡りをすることが多いのですが、そんな鄙びた温泉館に行くと昔の温泉番付表を飾ってあるところがあります。

自分のところが昔から、大関・関脇・小結だったりするわけですが、そこでも草津温泉が横綱以外であるのを見たことがありません。

相撲でなら間違いなく「白鵬関」です。

泉質は濃いのにバランスが取れていて、その同泉質の湯量が膨大、全てが「源泉掛け流し」です。

さらに山奥にもかかわらず町全体で温泉文化を築いてきた雰囲気はお勧めです。

確か「クレヨンしんちゃん」で温泉ネタの映画があったはずですが、その隊長の名前は草津でした。

いつもこの温泉を基準にして、個性的な温泉を比較するようにしています。

2015年11月21日土曜日

塩田平


写真は八角形の屋根を持つ「安楽寺仏塔」で、国宝に指定されています。

信州の上田盆地、いわゆる塩田平にあります。

柔和な曲線で屋根が構成されており、仏塔にしては珍しく角ばった印象がありません。

茶系の色が周囲の大木と溶け合っています。

この地域は、他にも国宝・重要文化財級の仏塔が多くあり、仏塔好きにはお勧めのスポットです。

戦国時代では真田一族の領地だったり、その前にはかの武田信玄を連敗させた村上義清の本拠地で、城の遺構も残っています。

もう一つ郊外の「無言館」もお勧めです。

画家もしくは画家の卵だった方々が、戦争で帰らぬ人となり、恋人や家族に残した絵や遺品を展示した館です。

狭い空間ですが、この籠っている感じが展示する物に対しての配慮というか、必要なことなのだと教えてくれます。

プロと比較することは失礼なのですが、私も絵を描くのが好きなので、「無念」だからこその、それでも絵を描こうとする「反骨」を感じました。

2015年11月14日土曜日

赤富士


西伊豆からの「赤富士」です。

プロならもっと赤いでしょうが、通りがかりの偶然撮れたレベルとしてはまあまあだと思います。

山上には五合目までしか行ったことがないのですが、周囲は結構ぐるぐるドライブしています。

日本一の高さを、おそらく日本一の円周で実感しています。

道路は整備されているので、渋滞の時間帯だけを気をつければ、意外と早く移動出来ます。

中でも一番の好みは、写真の海面を底辺として富士山の稜線が際だつ海側の景色です。

撮影ポイントの西伊豆は熱海とかのある東伊豆と違い都会の香りがほとんどしません。

リアス式の田舎ですが、温泉が多く、湯上がりに銭湯の富士絵のような実物を拝みながらドライブするのは本当に気持ちがいいです。

また、別の場所の紹介ですが、富士山を近くに感じるなら、富士五湖の一つ西湖から、野性味を感じるなら山梨・静岡県境の安倍峠からがお勧めです。

特に安倍峠は、日本一を相手に高めのアングルから見えるので、足元の樹海の存在を強く感じられます。

神々しい山ですが、あらためて怖い山であるとも感じます。

2015年11月7日土曜日

海の国分寺


海の中に浮かぶ細長い線のように見える松林は「天橋立(あまのはしだて)」です。

しかし撮りたかったポイントは日本三景の「天橋立」ではなく、手前の一本木の立つ原っぱです。

「丹後国国分寺跡」です。

奈良時代に聖武天皇が建立した東大寺を中心に、全国に国分寺・国分尼寺が設立されたことは、歴史の授業でご存知と思います。

ある歴史小説家が指摘した通り、これまで訪れた跡地は全て「四方が山に囲まれた盆地内」にありました。

国分寺は旅の目的にしていませんが、標識とかで気がついて何気に寄っています。

当時の建物はなく礎石だけですが、それがかえって鄙びた歴史ロマンを感じさせる空間になっていることが多いです。

しかしここは例外で海が見えます。

しかも天橋立が真横に見渡せる風光明媚なスポットで、設計者もここの魅力に負けて原則を外したのでしょうか。

もし往時の金堂や仏塔が残っていたらなあと思いますが、「雪舟」の描いた国宝「天橋立図」には当時実在していたのか(?)しっかりと描かれています。

室町時代は「府中」と呼ばれ、この地域の中心地として栄えていたようです。

ただ今は何もありません。

周辺の賑やかな「天橋立」関連の観光地と比べて完全に忘れられている空間でした。

しばらく一人でたたずんでいると、往時の賑わいを独占しているような妄想が沸き立ち、少し得した気分になりました。

2015年10月31日土曜日

くろがねの城


松江城国宝指定、築城者で戦国武将の堀尾吉晴様おめでとうございます。

築城年代と規模を考えれば国宝でないのが不思議なくらいでした。

実物と写真での印象がすいぶん違うのがこの城で、かなり損をしていると思います。

本丸入口からの写真は天守閣が庭園の背景になるうえ、付櫓があっても単立天守に近い形式のためずいぶん小さく見えます。

また実際に実物を見ても、周囲の木が大きくなりすぎて天守閣を隠し、大きさを実感しづらい環境にあります。

周辺をウロウロした限りでは、県庁横の交差点を通る瞬間しか全体像が見えません。

しかし実物は確か石垣を入れての高さだと、現国宝松本城より高く、姫路城に次ぐ高さを誇ります。

何より凄いのは写真の通り、「天守閣」の威厳をもって天を突き刺すようにそびえ立つ様です。

姫路城に代表される白系の天守閣では、白色が膨張色になるせいか最上層が大きく見えます。

黒系の天守閣でないとその表現は難しく、最大級松江城の猛々しさはピカイチと思います。

内部も粗野な雰囲気で素晴らしく、最上層からの景色は宍道湖が庭池のように見えます。

しかし、ここでも城と城下町と宍道湖の景観のバランスで大木が邪魔をします。

ちょっと残念です。

2015年10月24日土曜日

地球の裏側


真冬なのによく晴れた日でした。

おかげで光が反射して輝く島と数隻の船がよく見えます。

水晶島とロシア警備船。

今立っている場所は、日本最東端に位置する北海道根室半島の納沙布岬です。

眼前の景色は歯舞(はぼまい)諸島。

この写真は、岬の先端から振り返って日本側を撮影したもので、北方領土の最前線です。

国内旅行で国境の存在を初めて体感しました。

理屈はどうあれ「実効支配される」とはどういうことなのか、日頃の自分はこの場の異邦人なのだとあらためて痛感します。

なのにそれすら上回る衝撃が隣のおじいさん。

これから二人きりでバスを待ち、鉄道でも日本最東端の根室駅に戻るまでの約3時間を同道する方なのですが、驚いたのは何とブラジルから来たとのこと。

地球の裏側です。

日系人の成功者らしく、事業を子供に任せて日本を懐かしむ旅をしているのだそうです。

もう境遇の次元が違い過ぎて、何を感じているのか想像つきません。

同道の最後に、駅前の食堂で根室名物のエスカロップ(バターライスのデミグラソースがけ)を一緒に食べました。

正直「くどい味だな。」と思いましが、おじいさんは「意外とあっさりしてるね。」と言って食べておられました。

いろんな意味で異次元を感じる旅でした。

2015年10月16日金曜日

ゼロ番線


三江線の乗り場で撮った「三次駅」での一枚です。

他には芸備線と福塩線しか走っていないのに「0番線」。ローカル線の極みです。

明日午前5時台の始発に乗るのですが、時期は年末、おそらく暗いので先に撮りました。

本当はこのまま乗って行き、夕暮れ時の景色を車窓から撮りたいのですが、それだと終点になる日本海側の江津駅までたどり着けず、その途中の駅には宿泊先が全くないのです。

三江線は単線の各駅停車しかなく、確か100キロ以上あるので4時間近くかかります。

青春18切符を愛用する者としては、外したくない路線ですが「節約モード」のため、まだ明るいうちから宿泊先に行くのがもったいなくてしょうがありません。

どこまで乗っても1日当たり2,200円です。

24時間ギリギリまで列車に乗っていたいのです。

そんな心境が背景の雲にしっかりと、もの悲しく投影されてました。

2015年10月11日日曜日

北山崎


旅行会社から全国で唯一特Aの評価を得ている景勝地があります。

「北山崎」

岩手県のリアス式海岸で山脈のように連なっている断崖絶壁の総称です。

東日本大震災発生以前に「フナッシー」で有名な千葉県船橋市に住んでいたことがあり、車で東日本の海岸線を地道で、青森県までドライブしたことがあります。

その時の最大の目的地がここで、2日目の車中泊で夜明けを待って撮影した一枚が今回掲載したものです。
(デジカメが普及した頃でかなり明るくして撮影したため画像が粗くてすみません。)

撮影場所の展望台が100メートル近くあるせいか、はるか下界となった高波の音は全く聴こえず、風の音に支配された山にいるような感覚で真下に海を見ました。

ただ圧巻の一言でした。

津波の被害が大きい東日本を同じルートで再訪問する勇気はまだありません。

しかし、ここから見る景色だけは何も変わってないのではと思わせる「絶対的な壁」を感じさせる存在でした。

2015年10月4日日曜日

総仕上げ


岩手県の九戸(くのへ)城跡です。

霧が怖いくらい立ち込めていて何かいそうです。

少し霊感のある城好きとしては、「実戦があったかどうか。」は要注意事項です。
 
豊臣秀吉の天下統一は、ドラマでは「北条征伐」でよく完了しますが、実際はその後「奥州仕置」が東北地方で展開され、豊臣氏への服属が選別されていきます。

その状況下、南部氏の一族である九戸政実が徹底抗戦し、天下統一の「総仕上げ」として大虐殺され、戦国時代は終焉します。

その最後の現場がここでした。
 
出向いた日は夜になり、入口だけでも覗こうとしましたが悪寒に襲われて無理でした。

仕方なく近くのコンビニで車中泊し、早朝おそるおそる撮影した写真です。

遺構は大規模できれいに残っており堀下も歩けましたが、更に霧が立ち込めていて、そのまま別世界に行ってしまうのではないかとビビりながら探索しました。
 
車のエンジンも切ったら二度とかからない気がしたのでずっとかけたまま行動しました。

無事戻れましたが、途中で切れたりしてたら恐怖で気絶したかもしれません。

2015年9月27日日曜日

浮浪の滝

  
写真は鰐淵寺の「浮浪の滝」です。

島根半島の左端、わかりやすくは出雲大社の裏山を越えた日本海側の、かなり寂しい場所にあります。

小職的には大好きなパワースポットで、自分好みのエネルギーを感じます。

山陰方面にドライブした際にはよく立ち寄り、滝越しにこの蔵王堂を拝みます。

聖徳太子の時代からあったらしく、宗派も何回か変わっていて、今はよくわかりませんが、本堂には弁慶が大山から一夜で運んだという「釣鐘」が重要文化財の指定を受けているはずです。

ここも紅葉の時期はとりわけ美しいのですが、何よりも滝までの道程です。

神仏習合が普通の頃は、出雲大社の別当寺としてペアを組み繁栄してましたが、その後別れて衰えました。

その当時の塔頭跡が忘れられ、広く苔むして残っています。

何か原点みたいなものを感じます。

ここの苔はデルタカフェの庭にも少なからず影響を与えていると思います。

2015年9月22日火曜日

『オーナーの旅日記』の開設にあたって


いつも「デルタカフェ」をご贔屓いただきありがとうございます。

オーナーなどと偉そうな肩書きですが、日頃はサラリーマンとして生計を立てており、お店は母親・妹・奥さん任せで、皆様がお越しいただく現場にすら立ててない存在です。

それでも間接的にですが、皆様の様々なご意見を伺い、「見直す取組み」と「新しい取組み」、双方の視点でいろいろと感銘を受けております。

今回の開設はそのような刺激を受けて、新しく「旅」をテーマに発信してみようと思い立ちました。

今はたまたま地元にいますが、転勤族なので全国うろうろしています。

「旅」の目的は「好奇心の満足」であり、驚きから感じる刺激が何より大事と思っています。

旅の話はそのときの「旅情」の記憶を尊重して書いているので正確でない部分はご容赦下さい。


「知る者は好む者に如かず」   外村吉之助