2015年11月28日土曜日

湯畑


草津温泉の中心である「湯畑」正面です。

いつも湯けむりと湯量に圧倒されます。

夜の景色はなおさらです。

日本人が海外の人に温泉文化を説明するなら、わかりやすく「見せる装置」としての設備は重要と思います。

その代表格は、この「湯畑」と「道後温泉本館」だと思っていて、記念写真に「行ってきました。」と周囲にわからせるアイコンは、より不可欠になってくると思います。

草津は三名湯の一つで、江戸時代からずっと東の横綱が定位置です。

個人的には泉質を基準に温泉巡りをすることが多いのですが、そんな鄙びた温泉館に行くと昔の温泉番付表を飾ってあるところがあります。

自分のところが昔から、大関・関脇・小結だったりするわけですが、そこでも草津温泉が横綱以外であるのを見たことがありません。

相撲でなら間違いなく「白鵬関」です。

泉質は濃いのにバランスが取れていて、その同泉質の湯量が膨大、全てが「源泉掛け流し」です。

さらに山奥にもかかわらず町全体で温泉文化を築いてきた雰囲気はお勧めです。

確か「クレヨンしんちゃん」で温泉ネタの映画があったはずですが、その隊長の名前は草津でした。

いつもこの温泉を基準にして、個性的な温泉を比較するようにしています。

2015年11月21日土曜日

塩田平


写真は八角形の屋根を持つ「安楽寺仏塔」で、国宝に指定されています。

信州の上田盆地、いわゆる塩田平にあります。

柔和な曲線で屋根が構成されており、仏塔にしては珍しく角ばった印象がありません。

茶系の色が周囲の大木と溶け合っています。

この地域は、他にも国宝・重要文化財級の仏塔が多くあり、仏塔好きにはお勧めのスポットです。

戦国時代では真田一族の領地だったり、その前にはかの武田信玄を連敗させた村上義清の本拠地で、城の遺構も残っています。

もう一つ郊外の「無言館」もお勧めです。

画家もしくは画家の卵だった方々が、戦争で帰らぬ人となり、恋人や家族に残した絵や遺品を展示した館です。

狭い空間ですが、この籠っている感じが展示する物に対しての配慮というか、必要なことなのだと教えてくれます。

プロと比較することは失礼なのですが、私も絵を描くのが好きなので、「無念」だからこその、それでも絵を描こうとする「反骨」を感じました。

2015年11月14日土曜日

赤富士


西伊豆からの「赤富士」です。

プロならもっと赤いでしょうが、通りがかりの偶然撮れたレベルとしてはまあまあだと思います。

山上には五合目までしか行ったことがないのですが、周囲は結構ぐるぐるドライブしています。

日本一の高さを、おそらく日本一の円周で実感しています。

道路は整備されているので、渋滞の時間帯だけを気をつければ、意外と早く移動出来ます。

中でも一番の好みは、写真の海面を底辺として富士山の稜線が際だつ海側の景色です。

撮影ポイントの西伊豆は熱海とかのある東伊豆と違い都会の香りがほとんどしません。

リアス式の田舎ですが、温泉が多く、湯上がりに銭湯の富士絵のような実物を拝みながらドライブするのは本当に気持ちがいいです。

また、別の場所の紹介ですが、富士山を近くに感じるなら、富士五湖の一つ西湖から、野性味を感じるなら山梨・静岡県境の安倍峠からがお勧めです。

特に安倍峠は、日本一を相手に高めのアングルから見えるので、足元の樹海の存在を強く感じられます。

神々しい山ですが、あらためて怖い山であるとも感じます。

2015年11月7日土曜日

海の国分寺


海の中に浮かぶ細長い線のように見える松林は「天橋立(あまのはしだて)」です。

しかし撮りたかったポイントは日本三景の「天橋立」ではなく、手前の一本木の立つ原っぱです。

「丹後国国分寺跡」です。

奈良時代に聖武天皇が建立した東大寺を中心に、全国に国分寺・国分尼寺が設立されたことは、歴史の授業でご存知と思います。

ある歴史小説家が指摘した通り、これまで訪れた跡地は全て「四方が山に囲まれた盆地内」にありました。

国分寺は旅の目的にしていませんが、標識とかで気がついて何気に寄っています。

当時の建物はなく礎石だけですが、それがかえって鄙びた歴史ロマンを感じさせる空間になっていることが多いです。

しかしここは例外で海が見えます。

しかも天橋立が真横に見渡せる風光明媚なスポットで、設計者もここの魅力に負けて原則を外したのでしょうか。

もし往時の金堂や仏塔が残っていたらなあと思いますが、「雪舟」の描いた国宝「天橋立図」には当時実在していたのか(?)しっかりと描かれています。

室町時代は「府中」と呼ばれ、この地域の中心地として栄えていたようです。

ただ今は何もありません。

周辺の賑やかな「天橋立」関連の観光地と比べて完全に忘れられている空間でした。

しばらく一人でたたずんでいると、往時の賑わいを独占しているような妄想が沸き立ち、少し得した気分になりました。