2017年7月29日土曜日

法起寺


奈良で天平時代を最も感じるのが、この「法起寺」です。

「法隆寺地域の仏教建造物」に含まれ世界遺産に認定されています。

写真の「三重塔」は現存で国宝に認定されており、三重塔としては日本最古です。

周囲に大きな建物がないので田畑から眺める風景は、そのまま当時の情景を再現したかのような趣があります。

史跡巡り中に妄想でタイムスリップすることは結構ありますが、ここだけは風景ごと向こうから現代にやってきた感じがします。

周囲の環境も含めて歴史遺産を残す取り組みは本当に大切と思います。

但し、観光面を視野に入れた場合、当時の再現だけでは面白くありません。

「和風」と「洋風」が、建物や食事を筆頭に様々な分野で溶けあい、その中庸が多く存在する日本としては、そのバランスがセンスの見せどころです。

何故そんなことを思うのかと言うと、空腹なのに朝食を食べるところが何処にもないからです。

「一軒くらい何かないの?」と、つい愚痴っぽくなってしまいました。

しかしこの閉塞感を、突然リヤカーを引いてやってきた「いちじく」売りのおじいさんが吹き飛ばしてくれました。

朝一番に収穫した大きな「いちじく」です。

買ってかぶりつくと、香り高くむちゃくちゃ甘いです。

「昭和」を感じつつ、「やっぱりこのままが一番だ。」と思い直しました。

空腹が満たされると何事も解決できる気がします。


2017年7月22日土曜日

秋田城


古代城郭として再現された「秋田城」の「外郭東門」です。

再現された建物が多く、喧騒がない早朝に撮影したため、往時の雰囲気が満点でした。

特に赤の柱が印象的です。

「赤」って強さの象徴なんだとつくづく感じます。

面白い遺構では水洗トイレの跡もあります。

丘陵地帯に築かれて防衛を前提にしてますが、「平城京・平安京」のような「都城制」の小さな町を、都よりも強固な堀や塀で囲ったような構造です。

秋田市北西端の海側にあり、奈良時代の「聖武天皇」の頃に築かれたようです。

当時の奥羽地方は「蝦夷地」であり、「大和朝廷」は北方攻略を進めていきます。

太平洋側の仙台市にある「多賀城」と同様に、海へすぐに脱出可能な場所として、日本海側の中心拠点だったようです。

そのせいか周囲の拠点とはかなり離れて、前線に位置します。

このあと朝廷は「天武系」から「天智系」に変わっても、北方政策は引き継がれ、「桓武天皇」の時代に「坂上田村麻呂」が「阿弖流為(アテルイ)」を攻略します。

秋田のある「日本海側」はあまり注目されてませんが、大陸側の国「渤海(ぼっかい)」との外交窓口でもあったらしく、更に勉強していきたい領域です。

もともと長い日本の歴史で文化がやってくる大陸側は、本来「日本海側」でした。

日頃の生活の中で、無意識に「太平洋側」を基準に考えている節が自分にはあります。

今後は地図を逆さにして考えるような発想を大事にしていきたいと思います。

2017年7月15日土曜日

原子力の村


東日本大震災後に初めて房総半島より北の太平洋を訪れました。

茨城県水戸市の海側にある「ひたちなか市」の海岸「阿字ヶ浦(あじがうら)」から北に向かって撮影したものです。

砂浜に何組かのカップルが繰り出しており、夕方のムードある光景です。

震災前後の変化はここでは何も感じませんでした。

しかし車の先に霞んで見える巨大な煙突は発電所のものです。

これは「火力」ですが不気味に見えます。

長い海岸線に突き出すように造られた埋立地にあり、ここから「東海村」の領域となります。

原子力発電がスタートした地で、現在も多くの原子力関連施設があり、日本の原子力産業の一大拠点となっています。

ここから東北へ向かう海岸線は「おいしい魚の獲れる良港」と、「エネルギー関連施設」が交互に存在する印象があります。

その中には「福島原発」も当然ですが含まれています。

今しがた海鮮丼を食べてきた「那珂湊おさかな市場」とあの煙突がオセロゲームを闘っている気がしました。


2017年7月8日土曜日

奥入瀬渓流


青森県にある「奥入瀬渓流(おいらせけいりゅう)」です。

あまりに有名な渓流なので、観光整備も進んでいると想定し、歩く前提の準備をして訪れたら、川のすぐ脇にある素朴な道路をずっとドライブ出来たので驚きました。

山口百恵さんの「緑の中を走り抜けてく真っ赤なポルシェ~」の歌詞が、車は黒で車種も違うのですが、頭の中でずっとリフレインされてました。

渓流といっても「十和田湖」から太平洋まで注ぐ「奥入瀬川」の上流で、れっきとした川の本流です。

しかし意外なくらい川も浅いので、足を浸して遊べました。

この写真も川の中に立って撮影しています。

ルートとしては弘前方面から「八甲田山」南側を通り、「谷地温泉」の効能を楽しんでから渓流を遡り、十和田湖畔へ到着しました。

天気も良くオープンカーでここまで楽しめるコースはなかなかないと思います。

木漏れ日が大変素晴らしかったです。

でも好奇心を満たしてくれたのは、道中の黒石市で売り出し中のB級グルメ「スープ入り焼そば」でした。

見た目はキモいですが、焼きそばなのにコシもまあまああり、ソースとカツオ出汁が微妙に混ざって旨かったです。

その後ブレイクしている噂は聞きませんが・・・・・。



2017年7月1日土曜日

一向衆の最後


写真は「鳥越城」の再建された「石垣・門・櫓」です。

北陸地方の「一向衆」による最後の拠点がここで、旧鳥越村(白山市)にあります。

中興の祖「蓮如」が、応仁の乱頃に福井と石川の県境にある「吉崎」の地にて御坊を構えたところが本格的なスタートで、「惣村」単位での発展策を推進します。

「個」は先になく、「坊主・年寄(としより)・長(おとな)」を運営者として、村ぐるみで門徒化していきました。

これに武士門徒も加わり、短期間で「教団化・武装化」が進み、自己の政治的・社会的地位の保持を求めて、領主・他宗派との武力闘争が展開されます。

最終的には守護大名「富樫氏」を滅ぼし、その後「加賀国」を合議制にて約100年間支配しました。

布教の拠点が出来てから支配体制確立まで、たったの約17年です。

「金沢城」も途中から北国総本山となった「金沢御坊」が基礎となっています。

(ちなみに総本山は大阪の「石山本願寺」で、現在の大阪城があるところです。)

しかし末期には、織田方の北陸方面総司令官「柴田勝家」の軍勢に攻略されていきます。

手取川上流の白山方面へと、どんどん奥地に追いやられていく中、この地にて軍事力としては収束してしまいました。

撮影ポイントに立つと逃げ場のないもの悲しさが漂っているような気もしましたが、基本的には「戦い」の気配しか感じませんでした。

宗教施設としての要素はなく、単純に城の遺構です。

「宗教存続」と「武装解除」は戦国史において別物と思いました。