2017年12月30日土曜日

門司港


年末に旅したときの福岡県「門司港駅」です。

ここほど「近代の日本」を象徴する雰囲気の駅舎もないと思っています。

2代目で大正3年に完成し、重要文化財の指定を受けています。

もともとの名称は「門司駅」でした。

鹿児島本線の起点駅として「関門連絡船」で本州の鉄道と繋がっていました。

しかし「関門トンネル」が出来てしまうと、本州との接続の起点が変わってしまい、「門司駅」は新しい起点駅の名称になってしまいました。

それで「門司港駅」と改称されたのです。

更にややこしいのですが「門司港駅」も、もともと別駅の名称であったため、名前を獲られたその駅は「門司埠頭駅」に改称する羽目になりました。

産業インフラの発展における大いなる変遷を感じます。

(個人的には、サラリーマンの玉突き人事のようで身につまされますが・・・)

メインの交通網から外れることになってしまったのですが、結果的にはこの駅舎を中心に周辺の歴史建造物が多く残ることになり、「レトロ美観地区」としての存在感を今に放っています。

B級グルメの「焼きカレー」も火付け役はこの地であり、新しいトレンドも何気に起こしています。

来年は果たしてどんな「トレンド」が生まれてくるのか楽しみです。

いつも大晦日が近いと、根拠のない期待が膨らみます。

2017年12月23日土曜日

赤の世界


嫌いな色はありませんが、一番好きな色は「赤」です。

しかしこれまで「赤の車」を所有していたことはありません。

いつか乗りたいと思っていましたが、どこかに制約を感じていました。

嫌いな国の車もありませんが、一番好きな国の車は「イタリア」です。

「ゆくゆくはフェラーリなの?」とよく聞かれますが、基本的に小さい車が好きなので違います。

先ず高くて買えませんが、仮にお金があっても選ばないと思います。

また「スポーツカー」が憧れですが、「F1」のようなサーキットを走る車ではなく、大自然をコースとする「ラリーカー」のほうが好みです。

でもステッカーをベタベタ貼るのはイマイチです。

と、いろいろと注文が多いのですが、全ての条件が満たされたのが、この田園調布にある外車専門店での「デルタ」の写真です。

(くれぐれもですが、住めるわけではありません。お金持ちが多いのでマニアックな車のタマ数が多く、わざわざ探しに遠方から出向いています。)

後ろにこれだけ「フェラーリ級」の車が控えていても、自分には「デルタ」でした。

このとき結構な無理をして購入しましたが、車好きの嗜好としての「足る。」を知った瞬間でした。

周囲からも相当あきれられましたが、これが「デルタカフェ」のコンセプトにおける一番最初の「芽」になったかと思うと、これからも人生何が起こるかわかりません。

かなりの時間が経過してですが、「メリークリスマス」となりました。

2017年12月16日土曜日

ブルトレホテル


東北の日本海方面へ向かうとき、「青春18切符」を使用して「ムーンライトえちご」に乗車することが多かったです。

まさしく「川端康成」の小説「雪国」と同じ展開で、トンネルを抜けて越後側に入ったとき本当にワクワクします。

そのときにいつも気になるのが、この「ブルートレイン」の車両でした。

「何の目的でここにあるのか?」が不明で、あとで調べようと思っていても、旅を終えて家に帰っていくる頃には、忘れてしまっていました。

この写真は深夜の旅ではなく、日中に新潟から東京方面へ戻っているときのもので、周囲の地元らしき方に聞いてようやくわかりました。

なんと「越後中里」のスキー場にて無料開放されている休憩所だそうです。

遠くから見る限りにおいては、なかなかお洒落に見えます。

実際に寝台列車の車両を使用した「ブルトレホテル」も全国に何か所かあるそうですが、マニア度が高過ぎてリピート率は期待できないと思われるので、需要は限られそうです。

以前に「終末車両」なる雑誌が刊行されていて、家内の実家である「埼玉県熊谷市」にある、なんと豪快にも車両を真っ二つにして強引にエル字型にした「バー」も載っていました。

帰省の際に真っ先に伺って以降、その近くの映画館に行くときに寄ります。

だるそうな感じですが、「生のギネスビール」が飲めてなかなか乙な雰囲気です。

しかし車両の活用は難しそうです。

自分も何とかしてみたいものですが・・・・

まだまだ鉄道模型で十分だとよく思い直します。

2017年12月9日土曜日

鞠智城(きくちじょう)


古代城址の「鞠智城」です。

福岡県と県境の熊本県側にあります。

菊池一族の居城「菊池城(隈府城)」ではなく、市内から高台に上がったところにあります。

既に田畑となってしまった状態から、平成になって復元されました。

写真の「八角楼」や「倉庫」も発掘調査に基づいて復元されているそうです。

現在の建物があまり周囲にないので、真新しい木造建物の雰囲気がかえって当時の臨場感を演出しているように感じます。

663年に「大和朝廷」は、朝鮮半島での「白村江の戦」において、「唐・新羅の連合軍」に敗れてしまい大陸への足場を失ってしまいます。

それ以降、恐怖にかられた「天智天皇」は侵攻に備えて九州・瀬戸内海を中心に「大防衛ライン」を構築します。

この城も7世紀後半には作られていたそうで、最前線の「大宰府」付近にある「水城」や「朝鮮式山城」の「大野城・基肄城」への補給基地としての役割を担ったようです。

そういえば「兵站業務」を重視してか城にしては平面的です。

この時代は、日本の国土全体での防衛構想が垣間見え興味深いです。

明治維新以降における近代「要塞」の戦略配置と似通っているように思えます。

ちなみにデルタカフェ周辺にも、なんと「東予休暇村」近くの山に、同構想のもと築城された「永納山城」があり、登ると瀬戸内海がよく展望出来ます。

香川県の「屋島」と同様に四国側の防衛ラインであり、もう少し注目されても良いように思います。


2017年12月2日土曜日

塔のへつり


ご多分にもれず、紅葉スポットは大好きでよくウロウロしています。

その中で「紅葉は赤に限る。」と自分の好みを確信していましたが、それをあっさり打ち砕いたのが、この写真の車窓からの景色です。

「塔のへつり駅」到着と同時に不意打ちするかのように、この「黄金色の世界」はやってきます。

色覚が直感に与えるインパクトは、積み重ねた経験を簡単に凌駕してしまうとつくづく思います。

「へつり」という言葉は会津方言で、川の険しい断崖のことらしいです。

河食地形の特異例として国の天然記念物に指定されており、下車して散策しても、奇岩・吊り橋・紅葉のコントラストが大変美しいです。

東京「浅草」と福島県「会津若松」を結ぶ通称「会津線」と呼ばれる「東部鉄道」・「野岩鉄道」・「会津鉄道」・「JR線」を連結する路線の途上にあります。

他にも「尾瀬」や「湯西川温泉」等の秘境スポットが多く、東北道より更に山奥を走る街道として、鉄路・ドライブともお勧めです。