2020年12月26日土曜日

大連の路面電車


満州の時代に入ります。

写真のクラシックな路面電車は、満州時代から走っている現役です。

乗ってきたのも、やってくるのも当時の列車です。

木造の部分が多く、油の染み込んだあの臭いがたまりません。

「別子銅山」で遊んでいた小学校の時分を思い出しました。

乗り鉄としては全線制覇したかったのですが、時間が限られていたので半分位しか達成出来ませんでした。

ご一緒した◯◯さん、興味がないのに半日もつきあってくれて本当にありがとうございました。

「満州帝国」は「大日本帝国」の傀儡であり、侵略国家であることは否めませんが、ここは親日家の多い地域でもあります。

ここを散策すると、国同士の問題はさておき、多くの近代インフラを残した事実までは、否定されてない気がします。

その証左を路面電車に乗っていて感じることが出来て、歴史好き、乗り鉄として何だか嬉しくなりました。

興奮してウロウロしている自分の様子を見て、周囲の方々もニヤニヤ眺めていました。

勝手ながら好意を感じます。

今回の旅は史跡巡りが多いため、ガイドの方から必然的に「反日(ここでは抗日)」の説明を受けるのですが、どの方からも敵意を感じることはありませんでした。

都市の再開発が進む中国ですが、友好のためにも半永久的に残して欲しい路線です。


公園の広場にも、動かなくなった車両がトーマスらしき顔を貼られて残されてました。


2020年12月19日土曜日

東鶏冠山


前回の「旅順要塞」の続きになりますが、要塞の中でも最強の盾がこの「東鶏冠山(ひがしけいかんざん)」になります。

周囲にある「松樹山」と「二龍山」の三つで「永久要塞」と呼ばれるエリアでした。

先端が「旅順」である「遼東半島」は、南を向いた半島のため日本軍は北側に上陸し、「金州」を攻略してから南進しました。

先ずは正面となるここを攻撃したのですが、全く歯が立ちませんでした。

「三国干渉」で放棄させられたこの地を、なんと干渉した側のロシアが譲り受け、日清戦争時と比較にならない強固な要塞に大改造していたからです。

そのため町と港を囲む山間部(=要塞)の中で、一番脆いと思われた南西寄りの「二◯三高地」が攻略ポイントに再設定されました。

そこを大激戦の末やっと陥落させましたが、周囲を尾根づたいに制圧するのに、更に一ヶ月を要しました。

写真は、要塞内部の弾薬庫と居住空間で、一番奥まった部分です。

真ん中の溝に木の板を通して、二階構造にしていたそうです。

最終的に要塞の本丸といえるココが爆破されて、やっとロシア軍は降伏しました。

両軍の多大な戦死者は「坂の上の雲」でも凄惨に語られています。

ロシア側も軍艦の砲台を陸に上げ、水兵も陸軍に加わって応戦し、文字通りの総力戦でした。

しかし今回訪問した一番の学びは、中国人ガイドの方の話でした。

「中国人はこの史跡を見て、

『自分達は弱かったから、自分達の領土で、好き勝手に他国に戦争をされた。

自分達の先祖の多くが巻き込まれて殺された。

だから繰り返されないようしっかり勉強して強くならなければならない。』

と習います。

戒めのために、侵略された史跡は大切に残されているのです。

旅順要塞の建造でも、多くの中国人が使役されましたが、完成後に口封じのため、ロシア人に殺されました。」

身につまされて、何も言えませんでした。


最後の写真は、「旅順駅」で、古写真で見る姿のままです。

白黒だったので、屋根がグリーンであることを初めて知りました。

ロシアを感じます。


2020年12月12日土曜日

二〇三高地



写真は、「旅順」の日露戦争の激戦地「二◯三高地」にある「爾霊山(にれいさん)」のモニュメントです。

後からゴロを合わせて「乃木希典将軍」が名付けました。

ここでの指揮官としての評価は最低ですが、歌詠みの定評は高い方でした。

旅順港が軍事上の機密であったため、観光地として訪れることが出来るようになったのは、実は最近のことです。

日本陸軍が北進してロシア陸軍の主力と、海軍はヨーロッパからやってくるバルチック艦隊と、双方対峙していくうえで、背後から挟み撃ちされる可能性のある「旅順」のロシア陸海軍を攻略しておく必要性がありました。

しかし、その陸海軍が籠る町と港は、山間部にぐるっと囲まれており、その頭頂部をトーチカ等で要塞化していました。

これが「旅順要塞」と呼ばれる所以です。

乃木将軍が率いる「第三軍」は、多大な死傷者を出すことになりました。

そのため一番防備の弱い部分として攻略地に選定されたのがココです。

ガイドさんの同行で旅順の街中から向かいましたが、入口の中から近くまではカートみたいな電気自動車でした。

大きな木々はなく、みかん畑のようななだらかな光景を眺めつつ上っていきました。

尾根沿いに来ると、更に料金が高めのベンツに乗り換えて頂上まで向かいます。

尾根の反対側は日本軍が攻めた側になり、こちらは生い茂った森でした。

途中に、乃木将軍の次男である「乃木保典」が戦死した碑がありました。

この戦争で二人息子ともに亡くしています。

ガイドさんの説明だと、「ここから港まで5.1キロメートルですが、28インチ榴弾砲の射程が5.5キロだったので、ここに砲台を据え付けてロシア艦隊を砲撃することが出来た。」そうです。

大河ドラマ「坂の上の雲」で、参謀総長「児玉源太郎」役の「高橋英樹」が、攻略した兵士に「港は見えるか?」と絶叫して確認していたのを思い出しました。

写真がそこからの景色ですが、確かに旅順港が見えます。

戦争があったことが嘘のように穏やかに感じました。


2020年12月5日土曜日

中国の新幹線


今回の旅は、中国の東北地方南部にあたる「大連」から「瀋陽(旧名は奉天)」を範囲としました。

今までの中国旅行と違うのは「新幹線」があることです。

完成した直後に大事故を起こしたにも関わらず、埋めて隠蔽しようとして、世界からあきれられました。

しかしそんなことは関係なく、全土への新幹線網の敷設を押し進めていきます。

様々な事故が続いても、この国では人民への説明責任は大して必要ありません。

多くの工事を手掛けていく中で、どんどんスキルを上げていきました。

これに限らず「失敗は次に生かせばいい。」的な共産党の発想は、技術革新のスピードアップと広大な国土への波及に、相当大きな効果を生んでいるようです。

写真は郊外に建造された「大連北駅」の構内です。

同型の新幹線(カラーリングがドイツのICEに少し似てます。)に乗って、「瀋陽駅」に向かったのですが約2時間で到着しました。

平野部の直線ルートのため、カーブが多い日本の新幹線より、都市間の移動時間は相当短縮されています。

車内の雰囲気は臭いも含めて、日本と大して変わりません。

この臭いの変化に民度の底上げを強く感じます。

土地は基本的に国の所有ですから、日本なら相当負荷のかかる近隣住民への地上げ交渉もあっという間です。

これからもどんどん高速鉄道網が普及していくのは間違いなく、今はコロナ禍で無理ですが、未来の中国旅行は相当便利になるような気がします。

ただハードの発展は凄まじいですが、残念なことに駅弁がありません。

国力と駅にまつわる文化のバランスが、今後どうなるか興味はつきません。


2020年11月28日土曜日

中国の都市今昔


日本史を専攻していた者として、どうしても中国の東北地方は外せません。

かつて「満州帝国」が存在した地域です。

日本が侵略した地域であり、日本人がひどいことをした地域と言われるわけですが、親日派が多い地域でもあります。

「中国残留孤児」も本当にひどいだけであれば、あれだけの方々がご存命されて生活しているのも不思議です。

当時の社会インフラも結構残っていて、いまだに活用されていますが、さすがに老朽化で取り壊されているケースが多いようです。

早めに伺いたいと考えていたら、たまたまお取引先にこの地域に興味を持っている方がいらっしゃったので、お互いに意を決して一緒に旅行することになりました。

写真の通り一昔前のホテルからは高層ビルが見え隠れします。

中国の飛躍している経済のインパクトは半端ありませんでした。

以前に上海に2回ほど伺ってますが、当時どこからか漂ってきた動物臭い香りは全くしません。

都市の再開発が徹底して進められている要因が大きいと思われます。

コロナ禍のため、当分海外旅行は難しいと思われますので、歴史と近代化を織り交ぜた「中国」の旅日記を始めさせてもらいます。


2020年11月21日土曜日

建長寺


鎌倉探訪の第2回目として、鎌倉五山第一位「建長寺」を取り上げます。

ほとんどが江戸時代の再建で、写真は、紅葉の時期に「法堂(はっとう):重要文化財」を訪れたときのモノです。

硬派な武士といいますか、固く重厚な雰囲気が漂っていました。

歴史的には禅宗の軸となる存在で、国家の庇護を受けた日本初の「禅宗」専門寺院です。

それまでの大寺院では、他の宗派と兼学される形で取り入れられていました。

このあとの室町時代に大勢力を誇る臨済宗「五山派」の萌芽であり、武士に広く布教された要因も、その建立に端を発していると個人的に推測してます。

五代執権「北条時頼(時宗の父)」が、南宋の高僧「蘭渓道流(らんけいどうりゅう)」を招いて開基されたためです。

時頼は、北条一族の本流である「得宗家」として、専制政治を確立していった人物であり、敵対勢力はどんどん排除されていった時期とも重なります。

鎌倉御家人へのインパクトはハンパなかったかと思われ、ひょっとしたら踏み絵的な忖度が働いたかもしれません。

横浜方面から向かって、「鎌倉駅」一つ手前の「北鎌倉駅」からすぐ近くにあり、大きな「山門(三門):重要文化財」がデーンと出迎えてくれます。

この第一印象が、武士の都「鎌倉」としての歴史イメージをかなり引き上げているように感じます。

2020年11月14日土曜日

湯谷温泉


愛知県の奥三河にある「湯谷温泉」のカフェでの写真です。

若い方が最近オープンしたようで、古い建物の内部を斬新にリフォームされていました。

窓側は渓谷に面しておりBGMのように川の流れが聞こえます。

何故かコーヒーを飲みたいと思わなかったので、「自家製梅ソーダ」を珍しく頼みました。

ドライブ疲れに心地がよい味でしたが、「デルタカフェ製」に軍配です。

今回の旅のきっかけは、私を除く家族全員が、嫁さんの実家「熊谷」に先に帰省してしまったので、久しぶりに「デルタ」に乗って「愛媛~埼玉」間を往復しました。

その帰りに温泉地の下見と夕食を兼ねて立ち寄ったのです。

従来なら辺鄙な奥地なのであり得ないのですが、「新東名」が開通して環境が一変しました。

名称の通り「湯谷口」インターからすぐでした。

温泉街の風情はありますが、思った以上に廃れつつあります。

アクセスの向上が流れを変えるでしょうか?

カフェの後に古民家風の店で黒いそばを食べました。

田舎風で美味です。

そしてここから一気に新居浜まで5時間で帰れました。

車も久しぶりの長距離だったので不安はありましたが、何事もなく快適なドライブが出来ました。


2020年11月7日土曜日

円覚寺


臨済宗「鎌倉五山」の第二位である「円覚寺」。

歴史の感じるスポットをうまく観光化している鎌倉の中では、やや北側の離れた場所にあり、本来の歴史が持つ威容を保っていると思います。

「元寇」の戦死者を弔うべく八代執権「北条時宗」が、中国宋の高僧「無学祖元」を招いて建立された寺院です。

現在の敷地も広く、塔頭も多く残されていて、紅葉の参道は非常に清々しかった記憶があります。

意外に思われるかもしれませんが、鎌倉は戦国時代に焦土と化して、しばらく歴史の表舞台から姿を消していました。

そのため建造物で歴史的価値の高いものはあまり残っていません。

国宝クラスになると、ここの「舎利殿」くらいです。

しかしその拝観はGW等の限られた時期のみで、ふらっと観ることが出来ません。

週末とかは東京圏の方々が大挙して来ることが多く、時間帯を選んで行き来しないと渋滞がスゴいことになります。

それでも飲食の領域では魅力的な店が多く、なんだかんだと訪れることが多かったです。

コロナ後の影響は狭い地域なのでどうなるのか心配です。

次に訪れられるのはいつになるかと思いますが、魅力都市「鎌倉」の輝きを失ってほしくないと切に願います。


2020年10月31日土曜日

新国立美術館


すごい人の数でした。

私が伺った目的は、画家「ミシャ」の大作「スラブ叙事詩」全作品が初めて東京にやってきて、ここで展覧会が開催されたからです。

別料金ですが「草間彌生」展も同時開催されていたので、閉館時間の近い4時頃に行っても受付に長蛇の列が出来ていました。

いったんあきらめて閉館30分前の最終受付ギリギリに入ることにしました。

それでもまだ混んでいたのですが、足早にそれなりに鑑賞できました。

実物はとにかくデカい。

細かなサイズは忘れましたが、大きい作品は3階建ての高さに届く縦の長さです。

これが23点。

最新の展示能力を有するこの美術館でないとおそらく貸してもらえなかったと思います。

この美術館の所有作品に興味を抱くことはなかったのですが、世界的な作品を引き寄せる箱としての重要性を痛感しました。

この写真は入館待ちで少しイライラしながら撮影したのですが、後で見直すと妙に愛着が沸いてきました。

「落ち着け。イライラするな。」と訴えてくるような色調と曲線です。

2020年10月24日土曜日

明智風呂(コロナ禍)


「明智風呂」です。

京都で最大規模を誇る「妙心寺」内にあります。

ガイドの方に教えてもらうまで知りませんでした。

写真は内部の様子で、唐破風屋根の建物がこじんまり入っている感じです。

道後温泉本館の唐破風と似ていると説明がありました。

一目見たときの第一印象がまさしくそうだだったので妙に納得です。

この内部がサウナになっています。

湯船はありませんが、すぐ脇が汗をお湯で流す平板の空間になっており、うまく流れるように傾斜が少しつけられています。

暑い中に籠もるのも修行の一環だったそうです。

そして名称については、連想通り「明智光秀」にゆかりがあります。

これが出来た経緯というのは、「明智光秀」が「妙心寺」に生前から帰依していたからです。

この寺の塔頭の一つである「太嶺院」の僧「密宗」が、光秀の叔父にあたるそうで、死後に菩提を弔う目的もあり作られました。

加えて、ここの本堂に光秀の位牌が祀られています。

「本能寺の変」で信長を討ち、「山崎の合戦」で天下人になる秀吉に敗死した立場では、公に供養されることは叶わないはずです。

しかし、ほぼ町と化したここの巨大な寺内なら、少々勝手にやっても、わからないような気がします。

それ位の広さを感じました。


上の写真は、サウナ室の裏側です。


全体の外観です。

2020年10月17日土曜日

藤七温泉


写真のヌードのおじさんごめんなさい。

時効と思って解禁をお許しください。

岩手県八幡平にある温泉で、標高1400mと東北地方の最高所に湧く温泉です。

「藤七」というきこりが発見したからだそうで、どストライクな名称です。

山頂にも樹海にも近く、かなり険しい場所ですが、スカイライン脇にあるので、大きな車でも普通に行けます。

宿泊施設も近くにあって、木枠で四角に囲まれた露天の湯舟もちゃんとあるのですが、温泉好きらしい何人かは、おじさんのように岩肌の窪地に貯まる天然の湯舟に、素っ裸でわざわざ向かっていました。

私も同様に行動します。

単純硫黄泉らしく硫黄の独特な臭いが強烈過ぎます。

混じり気なしと言った感じで、有毒ガスとか大丈夫でしょうか?

湯の濃さも半端ありません。

過去最強の粘性です。

本当にこれに浸かって大丈夫なのか心配なくらいですが、周囲にいるおじさん達が倒れていたり、浮いてないのを確認しつつ、慎重に浸かりました。

色は真っ白ですが、純白ではなく、これこそが自然の白色なのかと感じます。

むせそうな状況に耐えつつも、温度は適度に保たれていて非常に堪能出来ました。

この野性味いっぱいの雰囲気は、北海道・東北ならではの醍醐味だと思います。

2020年10月10日土曜日

忍者列車


伊賀鉄道の名物である忍者列車。

やはりと言いますか、この忍者の目は漫画家の「松本零時」さんのデザインでした。

やっぱりメーテルに似ていると思います。

最初観たときは衝撃でした。

列車のように金属で硬質感の高い物体に、こんな一筆書きみたいなデザインを施すなんて雑過ぎると正直思いました。

何故「宇宙戦艦ヤマト」や「銀河鉄道999」等の、アニメの金字塔とも言える「乗り物」をデザインした方の、「人」のほうをわざわざ活用したのか?

確かに「目」のインパクトだけを考えれば有りかもしれません。

忍者は目しか出てないし。

しかも列車のボディ色に定番の「黒」は用意されてなく、「青・ピンク・緑」とキテレツなラインナップです。

加えてライトな明るい色調で、更に忍者イメージから遠ざかります。

また車内に入ると、上の網棚に忍者の人形(これまた黄色の衣装)が忍んでいて、私達を待ち構えています。

骨格がないのか少ししおれていて、「即身成仏」のミイラのような雰囲気でかなりシュールです。

手裏剣とか飛ばしてくるような雰囲気はゼロです。

次回訪れたらこれはこれで慣れているのでしょうか。

今度どんなふうに感じるのか試してみたいと思います。

2020年10月3日土曜日

松之山温泉


新潟県の山間部、米で有名な「魚沼産」が穫れる地域の西側に位置します。

写真は木造三階建の、登録有形文化財に指定されている「凌雲閣」です。

赤茶化た瓦屋根は決して高級感があるわけではありませんが、昭和初期のレトロ感がしっかり効いていて温泉地全体のアイコン的な役割を果たしています。

室内も宮大工が意匠を凝らしており、非常に和む空間でした。

しかし最も期待したのは「泉質」です。

閑散とした温泉街ですが、日本三大薬湯の一つ(他は草津・有馬)に数えられ、ホウ酸の含有量は日本一の塩化物泉です。

南北朝時代に開湯したらしく、「戦国武将:上杉謙信の隠し湯」だったらしいです。

謙信が越後をまとめる武将になる前の所領は比較的近くですが、温泉との組み合せは初耳でした。

実際に緑のバスクリンを薄くしたような色の湯船に浸かると、塩化系でありながらに臭みも強くなくピリピリしません。

じわじわと傷に効く感じです。

温度もさほど高くないので、いつまでも浸かってられそうな非常にマイルドなお湯でした。

周辺にあまり目立った観光地がなく、ここ一本槍の訪問だったのですが訪れて良かったです。

ずっと気になっているときの直感は大抵当たるように思えます。

2020年9月26日土曜日

九重大橋


いつも読み方で迷います。

山は「九重連山(くじゅうれんざん)」ですが、町は「九重町(ここのえちょう)」です。

橋の名称は「九重“夢”大吊橋(ここのえゆめおおつりばし)」だそうです。

確認して書いても本当にあっているのか不安です。

この辺りのお約束観光スポットなのでとりあえず立ち寄りましたが、写真の通りなかなかの絶景でした。

手前の滝が「雌滝」で、奥が「雄滝」です。

特に後者は「震動の滝」とも呼ばれ、高さは83m、「日本の滝100選」だそうです。

橋の長さは390m・高さも173mあるらしく、比較説明の案内看板でゴジラが100mであることを初めて知りました。

確かにここをゴジラが歩いていれば、舞台となった架空の島である「髑髏島(どくろとう)」の奥地に見えなくもありません。

風もあったので、渡るときもっと揺れるかと心配しましたが、ほとんど影響ありませんでした。

風の音が激しすぎて、滝の音も全く聞こえません。

自分の視界には橋しか入ってこないので、遠くを眺めると本当に浮いて飛んでいるような錯覚を覚えます。

万人受けするすごい観光地だと感心しました。

説明にひねりがなくてすみませんが、お勧めです。

2020年9月19日土曜日

西明寺


このブログを書くとき、写真を決めてから始めることが多いのですが、どの「西明寺」だったか忘れてしまいました。

訪れた同名の寺が3つ浮かんだからです。

どれも有名です。

今回は滋賀県「湖東三山」の一つである「西明寺」です。

あとで取り上げるかもしれませんので多くは触れませんが、残り二つは栃木県益子と京都右京区にあります。

平安時代に開創された寺院で、最近アメリカニュース専門局のCNNで「日本のもっとも美しい場所31選」に選出されたそうです。

その基準たるやいまいち謎でしたが、鎌倉初期に「飛騨の匠」が釘なしで建築した「本堂」と「三重の塔」が国宝指定されています。

両者とも桧皮葺きの屋根で、お互いを気にするような微妙な距離感にあって、非常に清涼感のある佇まいでした。

また国指定の名勝庭園「蓬莱庭」の石組みと、池の灰色がかった色合いが独特の世界観を表していました。

写真はその庭の裏手なのですが、苔が素晴らしい。

山裾の湿り気のある環境によるところが多いのですが、自然に任せる領域と人手のかける領域のバランスが本当に絶妙でした。

庭づくりの理想とする境地だと震えました。

しかし何と行ってもお勧めは「十二神将像」です。

それぞれが干支を頭に頂いて鎮座してますが、ちびっ子ギャング的な低頭身の佇まいで、睨んでいても怖くないどころか、ふざけているような印象さえあります。

守護する立場なのに、やる気が全く感じられないのです。

それも干支が後になればなるほどその傾向が強くなります。

印を結んでいてもピースサインにしか見えない大将もいれば、最後の亥(いのしし)の守り本尊である「びきゃら大将」に至ってはほとんど寝てます。

こんな愛嬌いっぱいの本堂内は初めてでした。

よっぽど平和なタイミングに作られたのかなあ。

2020年9月12日土曜日

杖立温泉


いい宿、いい泉質のある温泉地はそれなりにありますが、温泉地全体の景観が素晴らしい場所はそうそうないように思えます。

大分県に近い熊本県小国町にある「杖突温泉」がまさしくそれで、写真は早朝に川っぱたを散歩中に渡れる中州で撮影したものです。

もうもうと立ち上る湯煙が山から降りてくる霞と交わり、川の風と音が自分に迫ってくる気配は仙人にでもなったような境地でした。

宿からの道中も、下りの階段が迷路のようになっていて、踊り場の所々に食物を蒸す釜からも湯気が出ていたり、日常に使用されている昔ながらの風情がありました。

全盛期のバブルを経て廃れている傾向はどことも同じですが、ミシュランに掲載されている店(一つは一つ星)も複数あったりと、全体的に気を吐いて頑張っている印象があります。

宿泊先の接客も丁寧で、お湯も単純アルカリ泉の中では相当レベルの高い部類でした。

しっとりしていて非常に気持ちが良かったです。

専門的にはメタケイ酸が豊富らしいのですが、何がどうなのか肌感覚ではよく理解出来ませんでした。

意外にも会社の旅行で行ったのですが、参加者全体では田舎すぎて不評でした。

しかし私にとってはラッキーで、周囲に気づかれずに少しほくそ笑んだ次第です。

(このブログを書いた後に、現地が6月の大洪水で被害に遭われました。一日も早く復活されることを祈念いたします。)



2020年9月5日土曜日

門司港レトロ観光線


以前「門司港駅」の話題で、駅名の玉突き人事みたいな話を取り上げましたが、その続編です。

「門司駅→門司港駅→門司埠頭駅」と玉突きされる中、「門司埠頭駅」は貨物線の再編の中で、どうも廃駅になってしまったようです。

左遷されたような展開の中で消えてしまう・・・、非常に残念です。

サラリーマンとして他人事とは思えません。

しかしその貨物線は、多くの紆余曲折を経ながらも限定的なイベント運行に活用され、とうとう「門司港レトロ観光線」として2009年開業、何と定期運行にこぎつけしました。

定年退職後に一花咲かしたような展開に、正直励まされました。

それには写真の「潮風号」の存在が大きいと思います。

旧国鉄「上山田線」で使用されていたトロッコ列車だったのですが、ブルートレインを彷彿させるブルー基調に仕立て上げられています。

車高が低くて小さい、小型スポーツカーのようなクールな勇姿に、みんな写真撮りまくりです。

後ろに連結された客車の高さと見比べて頂くと、その低さを実感出来ると思います。

路線も4駅で2キロほどの短い距離ですが、トロッコ列車独特の揺れに身をまかせながらの進行で、大変心地良いです。

門司埠頭のレトロな港町が車窓に広がる中、トンネルに入ると客車の天井がイルミネーションで彩られる仕掛けがあり、周囲の子供達はキャーキャー騒いでいます。

そしてトンネルを出ると、「関門海峡」が頭上から乗りかかるように見えます。

終点の公園には昔の車両が保存されていて、鉄道好きにはたまらないツボがいろいろ仕掛けられている路線でした。

次回は家族を連れて再び訪れたいです。

2020年8月29日土曜日

蓮如上人旧跡


「浄土真宗」の中興の祖である「連如上人」の旧跡です。

一言で旧跡と行っても、布教範囲が広く伝説も多いお方なので数多くあり、城巡りのついでに偶然にも立ち寄ったここは、ネットではっきり検索すら出来ませんでした。

福井県と石川県の県境にある一大拠点だった「吉崎御坊跡」の近くで、その以前には北陸布教の拠点にもなったようです。

今は普通のお寺ですが、「教団」としてガチガチに身構えられた様子がなく、各地でのスタートはこんな感じだったのかなあと思いました。

戦国時代には廃れてしまっていた「浄土真宗」の地位を回復したのはこの方で、「延暦寺」を筆頭とする他宗派の迫害に耐えながら、闘争の中で活動を展開していきました。

そのため宗教勢力でありながら、「集団化→町化→武装化→教団化」していくのは必然的な流れかもしれません。

「城郭化」したお寺も多く見受けられ、この布教スキームは見事だと思います。

全く別の視点で、この方に対してすごいと思うのは、奥様の死別を4回に渡り経験しつつも、男子13人、女子14人の計27子を儲けられていることです。

何度も焼き討ちとかに会いつつも、各地を転々としながらの布教活動と併せて、本当にタフな方だったんだと感服します。

2020年8月22日土曜日

滑川渓谷


愛媛県には「滑床渓谷」と「滑川渓谷」があります。

前者は南予にあり、後者は桜三里の途中にあります。

恥ずかしながら幼少の頃から数え切れないくらい「国道11号線」を通っているのに、伺ったのはつい最近です。

嫁さんの友達から評判が高いのを教えてもらい、細い脇道を向かいました。

牧歌的な雰囲気が良いです。

行き止まりから、家族と歩いて行ってビックリしました。

岩盤ような幅広い床をサラサラと流れる川はなんなんでしょう。

こんなの初めてです。

更に奥に進んでいくと、深山幽谷な気配がどんどん漂います。

心細いモードになる展開だったので家族と一緒で助かりました。

行き着いた終点の「龍の背」には、ラスボス的な巨大生物がとぐろを巻いている趣すらあります。

例えというより、本当に実物がいるようです。

下の写真にある周囲の崖の上に茂る木々も際の際まで生息していて、断面図のように見えました。

龍の爪でバッサリやられたのでしょうか?

そよぐ風といい、全てにパワーを感じました。

しかも、戻りで川遊びをしているとクワガタを捕まえました。

ラッキーも起こりそうなスポットです。

近場は侮れません。

旅好きとして猛省です。


2020年8月15日土曜日

八上城


「今回は、石川さゆりか。前は野際陽子だったなあ。」

大河ドラマにて「明智光秀」の母親が、人質として殺されてしまうシーンが浮かびます。

和議の流れを「織田信長」が反故にしたためです。

「本能寺の変」の一因とも言われますが、どうも史実ではないそうです。

とは言え、その舞台設定は兵庫県篠山市にある、この「八木城」でした。

織田方(丹波・丹後攻略の司令官が光秀)の総攻撃で「波田野一族」はこの城を枕に滅亡します。

写真は本丸付近で、「波多野氏」を祀る石碑が見えます。

また下の写真は、その本丸からの「丹波篠山城」方面の眺望で、天気も良く素晴らしい眺めでした。

コロナの時期だったのですか、京都へ車を引取った帰りに、ここなら誰もいないだろうと立ち寄りました。

以前に大阪に住んでいたとき、寮のあった「豊中市」から「丹波篠山城」へ向かうのが、一つのドライブコースでした。

交通の要衝にあるので、毎回城の麓を通るのですが、国史跡なのに一度も登城する気になれず、今回が初登山の初登城でした。

道は「保存会」のご尽力で整備され、本丸界隈は石垣も一部使用されていました。

適度な伐採もされていて、郭(くるわ)の配置もわかりやすく、中世城郭の形態であることが非常に理解できました。

もともと山登りは好きなのですが、本格登山を目指す気合はありません。

しかし、今回のように「登城=登山」になることは必然で、一時間以上かかることもしばしばです。

今までに訪れていても、完全登頂が出来てない「山城」は結構あります。

新しい目標設定になりそうで、「城山トレッキング」をやるべき「候補地」選定は、早めに準備しておこうかな思いました。

今後の運動解消法として凝ってしまいそうです。


2020年8月8日土曜日

魯山人


以前取り上げた「山代温泉」に滞在した有名人の一人に「北大路廬山人」がいます。

彼が滞在した寓居跡があり、そこに伺って非常にいい勉強が出来ました。

漫画「美味しんぼ」に登場する主人公の強烈な父親のモデルだったので、結構お坊ちゃんだと思っていたら全然違いました。

生まれは京都の加茂神社「社家」の出身ですが、明治初期の混乱期で父母ともに不幸な別れ方をし、里親の不遇も重なって悲惨な幼少期を過ごします。

そんな中炊事をすることで、料理の味覚と基本を学んだそうです(本当かなあ?)。

画家・書家を目指しつつも、食えないため職を転々とし、朝鮮に行ったりもしています。

素封家の食客として転々とする中で人脈を築き、ここの生活でも食器や美食に対する見識を高めたそうです。

ビデオでも蟹に代表される北陸の幸が紹介されていて、その後の高級食材路線に繋がっていく流れが説明されていました。

陶芸の世界でも「器から出汁が出るようだ。」とはよく言ったものです。

写真は廬山人が作庭したここの庭です。

供された「加賀棒茶」を飲みながら眺めていると、意外だったのは華やかな側面よりも苦労人としての世界観が出ている気がしました。

石の周りにびっしり生えた木々を丸く刈り上げていて、何かに寄り添っていくように見える感じがしました。

家族に寄り添うことの大切さを教えてくれているようでした。


2020年8月1日土曜日

日奈久温泉


熊本県八代市にある温泉で「ひなぐ」と読みます。

写真の木造三階建旅館「金波楼」が紹介されているのを雑誌で読んで、その存在を知りました。

「九州新幹線」が出来た都合で、「鹿児島本線」から第三セクターになった「肥薩おれんじ鉄道」に乗り、「日奈久温泉駅」を下車、とぼとぼ歩いて温泉地に向かいました。

目的の「金波楼」は立派で、それ以外の古い町並みやなまこ壁も結構残っていて、特に明治以降に鹿児島街道沿いに栄えた面影は十二分に感じました。

今回は宿泊ではないので共同浴場を伺うと、その一つ「東湯」が近いと教えてもらい向かいました。

ここの源泉は共同管理されていて、ほとんどが弱アルカリ単純泉の掛け流しです。

共同とは言え、びっくりするくらい清潔に保たれているのが分かります。

湯船に浸かって水面がキレイだと感じたのは初めてでした。

非常にさっぱりした気持ちになり、次の目的地に向かうべく駅に戻る途中、閉めかけてた商店で缶ビールとつまみを買いました。

店のおっちゃんに何処から来たのかと聞かれたので「松山」と答えると、「俺は種田山頭火の生まれ変わりなんだ。」と笑顔で言われました。

ここも「松山」も山頭火ゆかりの地であるからです。

下の写真は、そのネタで雑談したあとに駅に戻るときの夕暮れの景色です。

なんかすごくほっこり出来た旅でした。


2020年7月25日土曜日

美人林


新潟県十日町市にある「松之山温泉」で宿泊した際に、旅館の方から近くにある林の散策を勧められました。

その名も「美人林」。

家族からも、そんな名称なら行くしかないだろうと立ち寄りました。

写真は林の入り口です。

いきなり清楚な空気に圧倒されました。

木に詳しくないので恐縮ですが、みんなブナの木らしいです。

みんな同じ背丈ですっと立っているのは、大正末期の伐採によりここら一帯がハゲ山になったところに、ブナの若芽が一斉に生えだしからで同級生であるためです。

したがって樹齢は約100年になります。

みんな同じような間隔で生えていて、足下の手入れも行き届いているので、家族みんながそれぞれ好き勝手な方向で彷徨することが出来ました。

光も結構入ってくるので、薄暗い感じもせず、マイナスイオンをたっぷり吸い込みながら、森林浴を楽しむことが出来ました。

女性には本当にお勧めだと思います。

当時はそうでもなかったかと思いますが、最近は「トリップアドバイザー」とかでも取り上げているらしく、かなりの注目株らしいです。

嫁さんと娘のキレイ指数は上がったのなら幸いです。

2020年7月18日土曜日

デコイチ(Ⅾ51)


嫁さんの実家である「埼玉県熊谷市」に帰省した際に、ひょんなことから嫁さんの妹のご主人と、私が所持していた「青春18切符」の残り2回分を使って、日帰り旅行に行くことになりました。

この切符は1枚で5回(5日)分使用出来ますが、同じ旅程なら二人で一枚の切符を、1回分ずつ使っても構わないのです。

とりあえず「飲みながらと行こう。」ということで、最寄りの「篭原(かごはら)駅」をスタートし、「上越線」を北上、「高崎駅」にて駅弁を購入しました。

不思議なのですが、この駅には何故か遠隔地の駅弁が複数売られています。

貨物輸送か何かの関係でしょうか?

今回は、なんとなんと北海道の最果て「根室本線」にある、「厚岸(あっけし)駅」の名物「元祖かきめし弁当」が置いてあり、即買いしました。

過去にこの線を完乗したとき、途中下車出来ず、残念にも買うことが出来ませんでした。

個人的には、「食べそびれた駅弁ランキング第1位」だったので超感動です。

濃いめの醤油味と牡蠣の風味が、電車に乗ってからずっと飲んでいるビールのつまみに最高でした。

そのまま延々と進んで、「関越トンネル」手前の「水上温泉」まで行き、ひとっ風呂浴びて折り返すことにしました。

駅に戻ってくると写真の「D51(通称)デコイチ」が煙を出して待機してました。

この路線が、限定イベントにて運行しているのは聞いたことがありますが、今日とは知りませんでした。

会えて超ラッキーです。

しかも人だかりも少ないため、ゆっくり鑑賞出来ました。

やっぱり数ある蒸気機関車の中でも、ひときわ大きく感じます。

知らないだけにサプライズが多く、ノーアイデアの旅にはまりそうです。



2020年7月11日土曜日

鶴丸城


大した目的もないのに、「九州新幹線」と「路面電車」完乗のためだけに鹿児島までやってきました。

しかも台風が直撃しているので迂闊なことは出来ません。

しかし幸いにも、風が強くても雨は大したことがないので、チェックしていた鹿児島ラーメン(塩気がなくてビックリ!)を何とか食べたあと、「島津氏」の居城である「鶴丸城」まで歩いていきました。

大学で「明治維新」を専攻していたので、何度か来ています。

戦うときは裏山にこもる前提で築かれているので、天守閣もなく石垣のみです。

無骨といいますか、上に櫓があったイメージがわかないので、殺風景に映ります。

実際のところ、「西南戦争」でも「西郷隆盛」はその裏山で最後を迎えました。

開戦の火種となった「私学校」を通り、写真にある城跡の脇に至りました。

よく思い出すと一人で来たのは初めてです。

この後は帰るだけで、電車の時間にも余裕があったのですが、城内は以前に訪れているし、わざわざ見学するようなものもないので、全く入城する気が起こりませんでした。

何故かそのとき、風を気持ち良く感じるので、堀をびっしり埋めた蓮の葉が激しく揺れるのをずっと観てました。

いろんなことが頭の中で昇華されていく気配がします。

考えているわけではなく、もやもやしているものが、すーっと抜けていくようです。

この状況が生まれたことで本当に来て良かったと感じます。

しかし、だんだんと石垣がお墓に見えてきたので怖くなり帰ることにしました。

魂まで抜けてしまったら大変です。


2020年7月4日土曜日

山代温泉


石川県にある「山代温泉」の共同浴場「総湯」。

その二階からの展望です。

最近出来た建物ですが、屋根は「檜皮葺き」の凝った造りになっていて、一階がステンドガラスに囲まれた大正ロマン風の浴場にデザインされて、相当レトロ感を意識しています。

ただ全てが真新しいので、趣が出て落ち着くのにもう少し時間がかかるかと思われます。

二階は自由に涼めるようになっていて、お茶・水も飲み放題です。

しかし自由というよりも、放置されているというか、もっとひねりが欲しいところです。

日本三大銘菓の産地「金沢」のお膝元だけに、有料ででも和菓子の一つくらい提供すればいいのに、と考えてしまいました。

1300年も続く古い温泉で、泉質も悪くないのですが、「山代に行く。」と言えば「女遊びに行く。」と思われるほどの、大歓楽温泉でした。

その手の温泉は全国的に衰退しているとも言われています。

ここに立ち寄る前に周囲を車で回ったのですが、廃墟になったところも多く実際そのように感じました。

しかし写真のように新しく再構成されつつある姿も見受けられます。

星野リゾートが進出してたりもして、今後の再開発に興味が沸きました。

また寄らせてもらうつもりです。

2020年6月27日土曜日

縮景園


「広島城」のお膝元にある、浅野氏の大名庭園「縮景園」です。

中国の西湖周辺の景観を縮めて表現したことから「縮景」の名称があるそうです。

典型的な池泉回遊式庭園で、閉園近くに伺ったので人も少なく、初夏の日差しが陰る中を優雅な気持ちでぐるりと散策出来ました。

その中心にあるのが、写真の「跨虹橋(ここうきょう)」です。

一般的には、どの日本庭園も中華の題材は取り入れていて、それを和風に昇華していると思っています。

しかし周遊中の景観は和風なのに、これがチラチラ眺められることで、中華風なテイストが常に降りかかってくるのが不思議な感じでした。

アイコンの印象操作って本当に重要だと思います。

話は変わりますが、街中にあるこの庭園も、原爆の被害を当然のように受けました。

その惨状が庭のところどころに写真付きで紹介されており、消し炭の中に水たまりがあるようにしか見えない庭園に、石造りのこの橋だけがポツンと残っているのが印象的でした。

この原爆被害を、イエズス会宣教師が取り上げたことから、キリスト教圏でも「アサノパーク」として有名だそうです。

何を越えても「平和」について考え続けることは大切だと感じます。

2020年6月20日土曜日

鹿教湯温泉


「かけゆおんせん」と読みます。

長野県上田市にあり、鹿に化けた文殊菩薩が、お湯の湧き出る場所を教えたことからこの名称になったそうです。

1200年前からあるそうで、温泉街には温泉病院もあり規模は大きいです。

愛媛県と埼玉県を結ぶ帰省の山間ルート上にあるので、共同浴場「文殊の湯」に伺ったのですが、始業時間が昼前で残念ながら入れませんでした。

朝の10時頃なら大丈夫だろうと、自分にしては余裕を持って寄っただけに残念です。

更にがっかりしたのは、川の脇に建てられた今風の公衆トイレみたいな外観でした(奥行きはそれなりにあり大きいのですが)。

歴史ある温泉地の共同浴場にしては、風情も何もあったものではありません。

単純温泉であることからも、次回にチャレンジする意欲は失せてしまいました。

しかし写真にある通り、すぐ脇の川を渡る橋についてはサプライズでした。

「五台橋」と呼ばれるそうで、この周辺が最古の源泉地らしいです。

昔の風情が残っていていい感じです。

夏場で汗をかいていたので、ここに座って川の穏やかな風で涼むことが出来て快適でした。

湯上がりでないのが非常に残念でした。

2020年6月13日土曜日

井伊谷



丁度、大河ドラマ「女城主直虎」がやっている最中に訪れました。

性別も何をやったのかもはっきりしない人物を、主人公にしてよく一年間放映したなと、感心します。

しかし戦国大名が台頭していく中で、その軋轢に揉まれる中小領主の苦悩がうまく描かれていたと思われます。

写真は初代「井伊共保」が使った産湯の井戸で、家紋の由来ともなりました。

ココが発祥の地として、周辺が領地としてこじんまりまとまっています。

以前から「井伊氏」には興味を持っていました。

「井伊直政」は、昔からの忠臣が多い三河武士団の中で、最後発で家臣団に加わったにもかかわらず、「徳川四天王」でも一代で筆頭に踊り出ます。

徳川家康とどんな関係があったかわかりませんが、相当な実力がないと出来ないことです。

大きな起点は、直前まで家名が衰えていて大した家臣団もいないため、武田氏滅亡後の旧家臣団を引き受けて侍大将となり、その「赤備え」まで自軍の個性として継承したことかもしれません。

伝統のないことがかえって好機を生んだようです。

傘下にされた側は「粋」に感じて、戦ではモチベーション高く奮起したと思われます。

徳川の時代になっても、他の四天王「本多・酒井・榊原」は大一族のため、多くの藩に分散されていますが、「井伊」は一族も少ないので「彦根藩」のみです。

「集中」することで、かえって目立つ存在になっている好例だと思いました。

2020年6月6日土曜日

展望台列車


箱根に向かうため、久しぶりに新宿駅から小田急線の特急「ロマンスカー」に乗りました。

今は純白のボディで流線形がより強調されているせいなのか、以前よりこじんまり見えます。

先頭席は予約済で空いてないので、普通に横窓の景色を楽しみました。

写真は到着の小田原駅で偶然見つけた「5000系」の展望列車です。

私にとっては、子供のとき絵本でかっこいいと思った電車の第一号で、そのドポイントの実物に思わず見とれてしまいました。

赤とクリームのラインが美しいですが、いよいよ引退だそうです。

裏話を聞くとデザイン重視のため、先頭車両は後方にしか出口がなく、乗り降りが渋滞して運行に相当手間がかかったそうです。

日本で満員乗車率が一番の小田急線です。

定時運行の難しさも他線の比じゃなかったように思います。

しかし勇退後の活躍も楽しみです。

地方鉄道に払い下げられることも多く、以前に長野電鉄でりんご畑の中を颯爽と走っているのを見かけてビックリしました。

頭でっかちな車体が、カーブがきつい踏切をゆっくりと駆け抜けるのを観て、田園風景のほうが車体が映えると感じました。

呆然としていて写真を取り損ねたのが非常に残念です。


いまどきのロマンスカーです。
これもカッコいいです。


2020年5月30日土曜日

叡山列車


この界隈には「鞍馬」を中心に車では伺っていたのですが、乗り鉄としては不覚にも「叡山電鉄」を制覇していなかったので、忘れないうちに乗車に伺いました。

二系統あり、先ず「鞍馬線」です。

初夏の爽やかな日差しに恵まれて、路線の景色が非常に美しいのに感動しました。

車道と平行するように渓谷沿いを走りますが、線路はより川側を走るので、青々とした「もみじ」が、トンネルのように覆い被さっているポイントが結構あります。

新緑を眺めていると、カーブが多いので逆光が揺れる度に車窓に入ってきます。

目映さで、自身も何か光に包まれていくようです。

気持ち良い心地で終点の「鞍馬駅」に着きましたが、駅前は何度か来ているので、そのまま折り返して「本線」に向かいました。

「宝ヶ池駅」から分岐しますが、「本線」のくせに2駅しかない短い路線です。

しかしその先は「叡山ケーブル」、その先に「叡山ロープウェイ」と続いて「比叡山」に至ります。

写真は、終点「八瀬比叡山口駅」に待機していたパトカー仕上げの車両です。

「比叡山」の二面性(京都鬼門の守護者の位置付けだが、それを悪用している利権の権化)を考えると、取り締るのか、その逆で摘発されるのか、どちらの立場でカラーリングされているのか微妙な感覚がしましたが、よく似合ってはいました。

ここからの「ケーブルカー」と「ロープウェー」は乗っていないのですが、制覇の対象外なのでそのまま引き返しました。

そのうち制覇の対象になって、再び乗りにくるかもしれません。

2020年5月23日土曜日

仁和寺<コロナ祈禱>


真言宗御室派の総本山である「仁和寺」。

寺に面する車道には、高い石垣の上に、更に大きく威容を誇る「二王門」が構えられていて、ここを別のお寺と間違えることは先ずありません。

いつも乗車したままの上目遣いで、一応拝みながら通り過ぎるだけでした。

なかなかきっちり訪問する機会がなかったのです。

しかし不謹慎にも、コロナ禍で伺う展開になりました。

京都に車の修理を出したまま転勤することになってしまい、代車に乗り続けるわけにもいかなくなったので、引き取りのため4月中旬に伺ったのです。

昼頃に到着して食事をとろうとしましたが、営業している店舗にまあまあの人がいたので、室内の食事はあきらめました。

それで「仁和寺」門前の店で弁当を買いましたが、目の前の「二王門」に誰もいなかったので、何気なく石段を上がったのです。

伽藍方面を観てビックリしました。

その写真がコレです。

この広い参道に人っ子一人いませんでした。

しかしもっと驚いたのは、普通であればこの先有料になるのですが、通路として開放されていました。

申し訳ないと思いながらも、そのまま写真に写っている「中門」を突っ切って、その奥にある国宝指定の「金堂」に向かいました。

すると何人かその前に集まっています。

偶然にもコロナ調伏を願う祈祷がはじまるところでした。

私も最後尾に列して祈らせて頂きました。

2枚目の写真はその直後を撮影させて頂いたもので、何も言われなくても全員がソーシャルディスタンスを守っていました。

祈祷を終えたお坊さんがわざわざ外に出てこられ、コロナに対しての説法までしてくれました。

近所の人もいたでしょうし、私みたいに紛れ込んでしまった人もいたようですが、みんなが心にしみたと思います。

こんな現状でも、前に向いて気持ちがリセット出来た瞬間でした。


2020年5月16日土曜日

道後温泉本館


この写真は、温泉イベントの「オンセナート」にて障子が特別に彩られた「道後温泉本館」です。

城巡り・乗り鉄・ドライブにて、宿泊・日帰りともに様々な温泉地を巡っていますが、温泉地のアイコン的な存在として、ココと以前取り上げた群馬県「草津温泉」の「湯畑」は抜きん出ていると思います。

特に街中近くにあり、周囲の観光施設と融合しているのは他に例がありません。

以前、東京の旅行会社の方が、「外国の方に日本をわかりやすく理解してもらうとき、『自然・温泉・城・食事・買物・風俗』が一カ所で堪能出来る場所は松山だけです。」と言っていましたが、全国ウロウロしている身としては納得出来ます。

特に本館二階の風情ある空間で、着替え用の駕籠を出されて浴衣姿になり、風呂上がりに団子を食べるのは、ベタな展開ですがありそうでありません。

近いモノは他の温泉地にもあるのですが、形と流れがここまで完成されてません。

インスタ映えとか考えると前の商店街も含め、これからの観光資源としても先手を打っていると思います。

しかし県外の方に「道後温泉」のことを聞かれたら、期待値を上げ過ぎて行ってガッカリされても困るので、魅力を語りつつも「泉質はあっさりしています。」と付け加えています。