夜の「小倉城」です。
B級グルメ店は旅の目的として訪れてますが、麺系は特に好きです。
「小倉焼うどん」を目的に何店舗か巡りましたが、正直イマイチでした。
満腹ながら寂しい気持ちで撮影した一枚です。
最上層が下層よりも大きい「南蛮造」と言われる様式ですが、この昭和に再建された天守は、観光面を考慮して本来の屋根にないはずの「破風」が装飾で付けられており、西洋鎧のような「のっぺり」した感じをあえて変えているそうです。
築城者は「細川ガラシャ」の夫である戦国武将の「細川忠興」で、支離滅裂な印象を持っています。
戦国武将に対しては、自分なりにイメージを作り上げて楽しんでいるのですが、この人物のイメージはどうも掴めていません。
茶の湯では「千利休」の高弟として、その路線堅持の印象が強い反面、「高山右近」のようなキリシタンでもないのに、この城のように南蛮文化にも染まっています。
家臣を何人も無礼切りした逸話もあり、何かにつけて中途半端な印象が強いです。
歌道を極めた父「細川幽斎」や「明智光秀の娘」でもあるガラシャ夫人に囲まれて、窮屈というか寂しかったのかなと思います。
ただし、京都にある彼の菩提寺「高桐院」の苔庭は見事です。
特に冬の雨の日、彼の「無心の境地」を感じました。
0 件のコメント:
コメントを投稿