2026年3月7日土曜日

長崎新幹線


2022年9月に開業した「長崎新幹線」。

先端の穴が開いたように見える黒いワンポイントと、白と赤のツートンカラーを見て、「宇宙戦艦ヤマト」に登場する戦闘機「コスモゼロ」とイメージが被りました。

絞り込んだように見えるボディラインも含め、最近の新幹線では一番好きなデザインです。

さすがに一番乗車は出来ませんでしたが、年内に「青春18切符」を使って、長崎方面を目指しました。

正式名称は「西九州新幹線」ですが、「武雄温泉駅」から「長崎駅」を結ぶフル規格の新幹線です。

「山形新幹線」や「秋田新幹線」のような在来線を拡張した形式ではなく、新幹線専用に設計された新規路線なのです。

しかし、とても複雑な事情を抱えています。

現状では、「佐賀県」が新幹線に素通りされる地域の過疎化を懸念し、その敷設に反対しているため、本流の「九州新幹線」と繋がっていません。

そのため「新鳥栖駅」まで新幹線でやって来ても、そこで乗り換えて「武雄温泉駅」まで在来線の特急を活用し、再びこの新幹線に乗り換えることになるのです。

スムーズに繋がっていないことに対して、無用な存在のようにあげつらう報道も見かけますが、これでも長崎県にとっては相当便利になりました。

県庁所在地「長崎市」に鉄路で向かうとすると、二つの在来線があるのですが、どちらも大きく弧を描きながら海沿いを走るため、特急でもかなりの時間がかかりました。

それをこの新幹線は、新設の直線ルートで突っ切るため、「武雄温泉駅」からでも一時間以上の短縮になるのです。

それを体感したくて、当時住んでいた「下関駅」を始発で出発しました。

延々と各駅停車で、小倉・博多・鳥栖・佐賀を経由し、「武雄温泉駅」に到着。

新幹線と特急の接続は、スムーズな乗り換えが出来るダイヤになってますが、各駅停車は配慮されてなく、時間の余裕がかなりありました。

そのまま改札を出て、しばらくプラプラしたのですが、いい塩梅で観光客が滞留してます。

みなさん、この地域の特産品を食べたり、買ったりしていて、満喫されているようです。

意外にもこの不便な乗り換え、結構な地域活性化につながっている気配がしました。

下の写真は、乗車前に側面から撮影した一枚ですが、カモメ(KAMOME)マークが洒落ています。

黒いフロントガラスの縁取り部分にも、ゴールドのアルファベットで「西九州新幹線かもめ2022」とレタリングされていました。

駅のフォームもSF感があり、更にワクワクしてきました。

いよいよ乗車しましたが、案の定ほとんどトンネルで、景色を見ることが出来ません。

ただ、ワープしているみたいで、これはこれで臨場感を楽しめました。

チラチラ街の景色が見える車窓になったら、もう到着のアナウンスです。

到着後は、目当ての店で食事しようとしましたが、行列であきらめました。

帰りはそのまま、新幹線に乗らず、すべて各駅停車です。

新幹線に乗った後なので、いつも以上に時間がかかる気がします。

何とかほぼ最終便の時間帯に下関に到着した次第です。

2026年2月28日土曜日

満願寺温泉の川湯


ここは大分県の県境、熊本県北部にある「満願寺温泉」です。

ここの公衆浴場は写真の「川湯」で、道端と川を隔てた場所に、川面とほぼ同じような高さであります。

雑誌に紹介されていたロケーションを見て、是非とも入浴したいと思い、漸くやってくることが出来ました。

コロナの時期で山口県に住んでいたのですが、人ごみの多いところを遠慮しながら、一人ドライブでよく出かけ、誰もいない史跡巡りにいそしんだ時期でした。

その前後で、外来者でも入浴可能な温泉施設があるなら、人が少ないのを確認しつつ頂くのが、この時期の貴重な楽しみだったのをよく思い出します。

ここへの訪問も同様の展開だったのですが、誰もいないとはいえ入浴を諦めました。

町内のど真ん中にあり、ガードレールのある道が想像以上に近いのです。

お湯はよりによって澄んだ無色透明であり、裸で湯船に入ったらどの角度を向いても、上から覗ける道から大事なところが丸見えです。

ここに見知らぬ人間が入っていたら通報されかねません。

今まで、主要道路の橋の袂にある鳥取県「三朝温泉」の露天公衆浴場や、北海道の湖畔にあって自然湧出している温泉とかにも、勇気を出して入ってきたのですが、それでも社会的なリスクが高すぎました。

それでも浴場に降りて、手首だけ湯船に着けてみると、いい塩梅の湯加減です。

より残念な気持ちが募りましたが、脱衣場に回ると「コロナの影響により地区以外の方の入浴禁止」と書かれており、出来ない理由を提示されてホッとした次第です。

しかし脱衣場も下の写真の通り、横からの視界を遮る板がなく、脱いだ服をおく棚だけです。

おそらく、ここに浸かる方は大事なところを、ご近所中の奥様方から、前の車道や横の畦道からチェックされているに違いありません。

サイズとか井戸端会議のネタにされてはしないかと、勝手に心配してしまいました。
 

2026年2月21日土曜日

遠野城(鍋倉城)

岩手県の遠野市に宿泊して、早朝に城山散策をしました。

戦国時代から江戸時代にかけて、主に「遠野南部氏」の居城として、中世山城の構造を残したまま、近世城郭として活用されたという、変わった経歴を持つ城です。

曲輪の遺構が必見らしいのですが、雪が積もってこんもりとしてしまい、全くわからない状態でした。

石垣がある城郭なら、凍てついた石垣を楽しむことも出来るのですが、それもありません。

今は国史跡に指定され、天守閣風の展望台もあるそうですが、当時は何もなく雪山を一人で登っていきました。

人が見たら、死地に向かっているのではないかと誤解されそうです。

写真は、山頂の本丸で撮影した一枚ですが、針金のような枝を扇のように拡げた、一本の大木が出迎えてくれました。

朝焼けと木の陰影が素晴らしく、思わず見惚れてしまいます。

何も期待していなかったので、早起きは三文の徳だと、素直に実感が湧きました。

そのまま雪の中をズブズブと進んで、街並みが見える場所まで移動しました。

早めに脱出し、足元の雪を払わないとびしょ濡れになってしまうので、まごまご出来ません。

下の写真がそうなのですが、遠野の市街地が童話のような風景に見え、そのとき「雪中の狩人」という絵画が浮かびました。

狩人が犬を連れて、丘から街中を眺めている構図で、その狩人になったような錯覚が起こったのです。

作者は、ルネサンス後期の「ピーテル・ブリューゲル」という画家で、「バベルの塔」の作品で有名な方です。

示唆に富んだ題材が多く、寓話を散りばめるように、妖怪とかいっぱい描いています。

後で見比べると、先ほどの針金のような木までが描かれていて、イメージ以上に酷似していたことに驚きました。

ここから駅まで急がないと、予定の便に間に合わなくなるのですぐに失礼しましたが、城山に上って、童話の世界に入り込んだような感覚になったのは、初めての体験でした。

〝妖怪の里〟とも称される、遠野ならではの出来事だったのかもしれません。

2026年2月14日土曜日

雪のドライブ

 


島根県の松江市に住んでいたとき、ラッキーにもガレージを安い値段で借りることが出来ました。

オープンカーは、幌が特に傷みやすいので、本当に大助かりです。

また個室になるため、諸々の付属品を、車の邪魔にならないスペースに置くことが出来ました。

さすがに、島根は日本海側であるため、結構な雪が降ります。

そういうときに、タイヤにつける「チェーン」を、片付けずに置いておけるので、とても重宝しました。

この車の駆動方式は、後輪駆動であるため、雪が特に天敵となります。

どの車も、雪には十分気をつけないといけませんが、程度の問題として、駆動方式が前輪駆動の場合、雪で後輪が多少ブレても、駆動する前輪がグリップして何とか走行出来ます。

しかし後輪駆動は、後輪がブレると、駆動力のない前輪が踏ん張れずに一緒にブレてしまうため、カーブだとすぐに横を向いてしまいます。

真っすぐ走ることが、他の駆動方式に比べて、より困難になるのです。

その反動なのか、調子こいていました。

大雪でない日なら、雪景色を堪能すべく、チェーンを車に履かせて、近場をドライブして楽しんだのです。

「松江城」周辺は、特に坂道が少ないため、よく目指しました。

下の写真は、お城の脇にある県立図書館にて、撮影した一枚です。

黒い天守閣は森に隠れてしまい、拝めないのは少し残念ですが、走ってきた雪の轍が何とも溜まりません。

なんて事はないのですが、子供が雪だるまを作るに近い感覚なのか、まさしく童心100%の心境でした。


久しぶりにやってみたい気持ちになりましたが、今の車でやったら、ホイールスピンして、大変なことになるだろうなあ。

ここは大人でいこうと決意した次第です。

2026年2月7日土曜日

羽越本線


新潟県「新津駅」から秋田県「秋田駅」を結ぶ「羽越本線」。

東北地方の日本海側を縦断する大好きな路線です。

この写真は20年以上前の写真ですが、当時は東京から「ムーンライトえちご」を活用して「新潟駅」まで向かい、そこから北上していました。

東北地方の西側は、この路線を軸に各路線を毎シーズン横断して、全線制覇を進めていったのを思い出します。

少し前のブログで、「北陸本線」が「えちごトキめき鉄道」へと、名称が変更になっている話題を出しましたが、もう少し細かい話をすると、「北陸新幹線」が開通したことで、福井県「敦賀駅」から新潟県「直江津駅」のいわゆる一般路線の区間が、JRではなくなったのです。

つまり第三セクター化して、上記の鉄道を含む、複数の鉄道会社の運営に切り替わり、正確には違うのかもしれませんが、事実上「北陸本線」は消滅してしまいました。

そのため現時点で、自分が住む大坂から東方面の日本海側を「青春18切符」だけで走ろうと思えば、東京まで行き「高崎線・上越線」に乗り換えて、新潟方面からしか乗るしかないのです。

今は夜行のムーンライト系もないので、途中で1泊しないと辿り着けません。

また、別の機会に触れますが、昨年度に「青春18切符」の活用ルールが大きく変更されて、機動性が著しく低下してしまいました。

ざっくり言うと、連日乗り続けるしかその有効性を発揮できなくなったのです。

下の写真のように、荒れる東北地方の日本海を久しぶりに拝みたくなりました。 

新ルールでひたすら乗ってみようかと計画しています。

しかし懸念すべきことは他にもあります。

以前の「青春18切符」をフル活用しての旅では、雪が吹雪く冬に行動していても、当時は不思議なほど遅延がありませんでした。

最近は遅延の話題がやたらに目立ちます。

万が一遠方に行って帰れず、やむなく新幹線と飛行機で帰宅する事態は本末転倒であり、大した目的がないだけに絶対に避けたいところです。

実際に行動に移すか悩ましいところですが、待ち時間の停車駅で食していたカップうどんの「どん兵衛」を思い出します。

地域限定版に「芋煮味」があり、寒い中ですすりたい誘惑に駆られています。

ただし予定がうまくいかなければ、その一杯が数万円のコストに大化けするかもしれませんので、本当に痺れます。

2026年1月31日土曜日

北里駅跡


今回取り上げる「北里駅跡」は、廃線跡の関連史跡でも稀有な存在です。

駅のフォーム単独でメインなのです。

写真の通り、天に向かって両端が反った形の屋根や、短いですが堅牢な石造りのフォームは、ここに駅があったことを誇らしげに伝える素晴らしいモニュメントになっていました。

この雄々しいというか、むしろ猛々しいくらいのオーラを感じて、感動のあまりしばらく立ち尽くしてしまいました。

廃線跡巡りの深みにますますハマってしまいそうです。

大分県と熊本県に跨る「宮原線(みやのはるせん)」の熊本県側にあり、既に路線は1984年の国鉄時代に廃線となってしまいましたが、「久大線」の「恵良駅」から分岐して「肥後小国駅」までを結ぶ盲腸線でした。

ここに来る前に終点だった「肥後小国駅跡」にも立ち寄りましたが、おそらく線路であったであろう道路の脇に、駅名標と分岐箇所の線路が残されており、趣のある風情を醸し出していました。

しかし、この界隈は山越えに近い駅だったせいか、周辺がかなり新たに造成されています。

下の写真にある駅名標も、もともと別の位置にあったのが、移設されてフォームに鎮座している様子です。


どの辺に駅舎があって、線路がどのように走っていたのか、識別するのが非常に困難なロケーションでしたが、フォームの先に地下に続く階段を発見。

明かりもなく不気味でしたが、立入禁止ではないので降りてみました。

地下鉄の階段くらいの段数はあり、車を止めた道路沿いの反対側に続くようです。

その階段を降り横に続くトンネルを抜け出て、振り向いた景観が最後の写真で、線路を支えていた石垣の土台がしっかり残っていました。


やって来た車道に対して、平行に少し弧を描くように築かれており、この前後に繋がっている線路のイメージが何となく浮かびます。

それは、正しいかどうかも曖昧な空想の産物ですが、ここにやって来たことを心に刻む大切な要素であり、それをしっかりと行うことが出来ました。

新たな旅情を体験し、大満足でここを立ち去りました。

2026年1月24日土曜日

二尊院


山口県の「長門湯本温泉」に、世界三大美女で有名な「楊貴妃」をモチーフにした温泉宿があります。

宮廷風の浴室内に、立ったまま入浴する「楊貴妃風呂」がありました。

お取引先でもあり、社長にそのことを伺うと、この地域にはもともと「楊貴妃伝説」があり、お墓まであると熱っぽく語ってくれました。

こういう話は大好物です。

中国は唐の時代になりますが、「安禄山の乱」が起きたときに、「玄宗皇帝」の妃である彼女は殺されたことになっています。

しかし、犠牲になったのは身代わりで、本人は中国本土を逃れて、長門市の海岸線に逃れたという話なのです。

確かに、中国本土や朝鮮半島から、対馬海流に乗って対馬や壱岐島を通り抜ければ、山口県北東部に当たる長門市の海岸へ辿り着きそうです。

実際に、北九州のみならず、この界隈は大陸との交易ルートになっていたと思われるのです。

彼女のお墓は「二尊院」にあるとのことで、翌週末に向かいました。

地理的には、車の走行撮影で有名な「角島大橋」がかかる「角島」と、連続する赤い鳥居がインスタ映えすると有名になった「元乃隅神社」の中間に位置します。

そこは長門市街から、大きく突き出た半島になっていて、その入り江に面した高台にありました。

いかにも漂流してきた船が、落ち着きそうな場所です。

写真の通り、楊貴妃の大きな像があり、二枚目の写真にある通り、建物は唐風に仕上げられていました。

歩く場所も大陸風で、ほとんど石畳になっています。


最期の写真は彼女の墓です。

単独ではなく、逃れてきたであろう一団がまとまって葬られているのが印象的でした。

伝説はともかく、中国本土から脱出した一団が、流れ着く事象はそれなりにあったのかと思われます。

この時期、某新聞紙に「阿倍仲麻呂」が連載されていて、「楊貴妃」も登場してました。

私がここを訪問した数日後に、その小説のフィナーレがあったのですが、何と作者がここを訪問して締めくくっていました。

不思議な共感を感じた次第です。