2026年7月11日土曜日

唐船峡そうめん流し


鹿児島県で勤務し始めて、お客様と話をするときに「唐船峡(とうせんきょう)のそうめん食べた。」と、よく聞かれました。

最初は何のことかわからず、場所を調べてみると以前取り上げた池田湖の近くにあります。

詳しくは、鹿児島県薩摩半島の先端部に位置する指宿市の西部、池田湖の南西部に位置する峡谷が「唐船峡」と呼ばれ、その峡谷でそうめん流しをやっているのです。

正直なところ、そうめんをわざわざ屋外で食べなくてもいいかなと思う人間だったのですが、「行ってません。」と、営業上いつまでも答えるわけにもいきません。

指宿での案件が夕刻終ったとき、行ってみようと急に思い立ちました。

到着時間を確認すると、閉店1時間前には着けます。

平日であれば空いているはずで、家族連れが基本単位と思われるそうめん流しを、お一人様で食べても、おそらく恥ずかしさが半減するはずです。

ここがチャンスと向かいました。

まっ平な道を車で走って中国風の門がある駐車場に到着し、その門をくぐると、その先は峡谷になっており、ずっと下っていきました。

山あり谷ありではなく、平地からいきなり谷なのです。

突然の急勾配はシラス台地の特徴かなと思いつつ、川が流れている底地まで降りていくと、2軒のお店がくっつくように営業してました。

1つは市営で、もう1つは民間の経営です。

市営の方が料金設定が少し安く、民間は若干ですが高級志向のように見えました。

市営がなじめそうだったので、こちらに入店。

入ると写真の光景が待ち構えていて、やはり空いています。

皆さん家族連れです。

好きな色に座っていいと言われたので、黄色のテーブルを選び、一通りの品が入ったセットを注文しました。

流しそうめんの形式としては、円卓中央にある水流テーブルに自分でそうめんを入れて食するパターンです。

峡谷だけに、凄い長さの流しレールがあるだろうと、勝手にイメージしてしまっていたので、少し残念な気持ちになりました。

昔、丹原町にあった「りんりんパーク」と同じ形式です。

昭和を感じるプラスチック感までどこか似ています。

ここの名水を使った水流らしいのですが、「りんりんパーク」だって「うちぬき」の名水だと思うと、峡谷にいて何故この形式なのか、更に違和感が募りました。

ここは、そうめんに加えて「アユの塩焼き」が基本セットのようで、それにおにぎりが付いてきます。

そうめんは極めて普通でしたが、つゆにつけてすすった後、塩味のアユとおにぎりをほうばるのはシンプルにいい塩梅でした。

伺うと、ここには年間20万人が訪問するらしく、県民比率だと6~7人に1人は必ず訪れる計算になります。

薩摩半島に絞ればグッと比率が上がるので、夏の風物詩として、毎回聞かれるのも納得出来ました。

今度は民間経営の店にも行こうと思っていたのですが、残念ながらその機会はありませんでした。

1年間の生活では鹿児島は広すぎます。

 

2026年7月4日土曜日

近つ飛鳥博物館


今、自身の趣味として、古代史への関心が高いです。

最近読んだ雑誌に、この建物が掲載されていて、是非行ってみたくなり、当館を訪れてました。

大阪府南部の奈良県境に近い「河南町」にあり、結構不便な場所でした。

車でないと厳しいかと。

予想通り、設計者は安藤忠雄でした。

自分の感覚としては、あの方の作品に関して、周囲とのバランス上、首をかしげてしまうことがあるのですが、ここについては、当館のコンセプトとうまく融合していると思いました。

写真は、入り口に向かう通路から撮影しましたが、構造物全体の正面になるようです。

聳え立つのは「黄泉(よみ)の塔」と呼ばれるシンボルタワーです。

その手前から続いている石段は、上まで通じており古墳を連想させるイメージをうまく演出していました。

中に入ると、巨大な空間が展開されています。

国宝や重要文化財といった目玉になる展示物はありませんが、古代の中心を構成する地域だったであろう、この界隈の遺跡にて出土した品々が、丁寧に説明されていました。

運搬具や石棺等が、原寸大で復元された模型も充実して、体験型の勉強が出来ます。

とりわけ興味を引いたのは、下の写真にある古墳の復元ミニチュア模型です。

その地域の有力者が亡くなって、古墳内部へ埋葬されるまで、何段階かのプロセスをミニチュアで再現していました。

このシーンは、いよいよ古墳の玄室に埋葬すべく、遺体を厳かに運んでいるのですが、リアルに再現されています。

鉄道ジオラマを作成する立場としては、古代史からの視点だけでなく、モデラ―としても興味深く拝察させて頂きました。

大阪には長く住めそうなので、他の博物館にも足繫く通いたいと考えています。


 

2026年6月27日土曜日

山の上ホテル


「お茶の水」にある「山の上ホテル」が閉館したとの報を聞き、東京を訪問したときにわざわざ行きました。

多くの文豪と呼ばれる方々がここに宿泊して執筆活動をしていた有名なホテルです。

写真のように外観はそのままですが、バリケードで周囲が囲まれていて敷地内に立ち入ることは出来ません。

ただ、竣工から86年が経過し、老朽化による対策を検討するため長期休業するとのことで、完全に幕を閉じたようではないようです。

今更ながら一度泊まっておけば良かったと後悔してますが、1階のバーと半地下の喫茶室はよく利用しました。

特にバー「ノンノン」は、この辺りで飲める時間があれば最優先で向かいました。

雑誌でも取り上げられた有名店ですが、たった8席しかないため、入店出来ないこともしばしばでした。

その場合、注文してホテルのラウンジで飲んでも構わないのですが、ここのカウンターに座ることが目的なので、あきらめて引き上げました。

何を飲むかよりも、カウンターの雰囲気が最高なのです。

英国風とは言っても決して華美ではなく、テーブルも一枚板ではありません。

古さゆえに、綻びもかなり目立つ空間だったのですが、川端康成・三島由紀夫・池波正太郎のような文豪が培ってきたのか、特殊なオーラが醸造され、そこに漂っていた気がします。

この訪問後、朗報がありました。

隣りの明治大学がここの敷地を購入し、現在の外観を維持したまま改修工事を実施し、ホテルとして再開する方針を示してくれたのです。

いつかになりますが、再びあのカウンターで一杯やりたいものです。








 

2026年6月20日土曜日

立山ロープウェー


黒部ルートの中間地帯である「黒部平~大観峰」を結ぶ「立山ロープウェー」の景観です。

写真の山頂に、白い点のような構造物がわかるでしょうか?

この建物が「黒部平駅」になり、自分が撮影している場所が「大観峰駅」になります。

写真に写りませんが、この間はロープウェーを通すワイヤーで結ばれており、かろうじて見える向こう側(黒部平)から渡ってきました。

ここに来るまでに通って来た「黒部ダム」は別の機会に取り上げようと思いますが、困難を極めたダム建築よりも、山と山をワイヤーでつなぐほうが難しいのではないかと思ったくらいです。

次の写真は、「大観峰」の展望台になります。

標高は2316mで、西日本最高峰「石鎚山」よりも、更に約350mの高さがあります。

人の立ち位置で推察して欲しいのですが、覗き込む角度が尋常ではなく、山の斜面として過去最大の急勾配を体感出来ました。

伺ったのは、夏休みが終わった9月上旬の平日で、人が少ない時期らしいのですが、それでも人が押し寄せていると感じます。

また、乗り鉄として嬉しくなったのは、中継地点に駅名がついていることです。

やって来た「黒部平」はケーブルカーとロープウェーの乗換え地点になるため「黒部平駅」、ここ「大観峰」は、ロープウェーとトロリーバスとの接続により「大観峰駅」と呼ばれます。

黒部ルートの区間は鉄道ではありませんが、大阪からここに向かう前後は「青春18切符」の新ルール(3日間連続使用)をうまく活用しました。

全体的には、うまく鉄道旅行の枠に収まった印象です。

使用条件が厳しくなって利用者が減った「青春18切符」は、まだまだ工夫次第で何とかなるかもしれません。





 

2026年6月13日土曜日

田中一村


奄美大島に住んだ画家「田中一村」終焉の家です。

奄美大島の海岸線を背景に、南洋植物を大きく描いた独特の日本画で有名な方ですが、後世になってようやく評価を得ました。

体調を崩していた一村が療養のためこの一軒家に移り住んだのですが、10日後に亡くなってしまい、このような名称になったそうです。

69歳でした。

大事に保存されているようですが、南国特有の湿気がまとわりついており、かなり苔むしています。

もともとの生まれは栃木県栃木市で、東京育ち、若くして南画(水墨画)に才能を発揮して、東京芸術学校に入学してます。

今の東京芸術大学で、東山魁夷は同期です。

ここまではエリート街道ですが、学校の指導方針への不満や、父の病気などが原因で中退し、南画を描いて生計を立てる道を選んだようです。

これ以降は、様々な職業、住み家を転々としていきます。

奄美大島への単身移住は50歳のときでした。

50代の自分としては他人事とは思えず、この年齢での決断には忸怩たるものを感じます。

いっとき千葉にも戻りましたが、基本的には大島で活動しました。

その千葉では、お見合い話もあったようですが、進展なく独身のままです。

染色工とか農業の仕事をこなしつつ、画業に励みましたが、最後まで画壇に認められることはありませんでした。

病気もつきまとい、腰痛や眩暈による昏倒、加えて脳卒中も発症、そして最後の死因は心不全です。

最期の写真は、奄美空港近くにある「田中一村記念美術館」になります。

後世の評価の高まりが、この記念館を作る流れになりました。

この地域の伝統建築をモチーフにしたデザインで、一村の作品が数多く展示されています。

ゆっくり鑑賞させて頂きましたが、彼の画風と、建物の重厚すぎる空間が、どうも噛み合っていないような気がしてしまいました。

もしですが、終焉の家の通気をしっかりして住める環境に戻し、そこに飾って眺めたらどんな趣だろうと、つい想像してしまいます。

亡くなってからの評価というのは、悔しいです。
 

2026年6月6日土曜日

皇居外苑


用事があって東京から大阪へ戻るとき、深夜バスを選択しました。

東京駅の真ん前にあるバスターミナルから出発するのですが、かなり割高に感じる値段設定になっています。

東京ディズニーリゾートで、閉園まで遊んでも間に合う23時の出発からかもしれませんが、あと数千円出せば新幹線に乗れる水準です。

まだ夕刻なのに、予定もなく、珍しく時間が余っています。

日頃の行動からすると、あり得ない展開なので、何となく落ち着きません。

思いついたのは、神保町の古書街を散策することで、早速行ってみると、閉店時間の早さにビックリしました。

17時に閉まる店舗が結構あって、散策を始めた直後から、ガラガラとシャッターが下りていくのです。

18時は標準、遅い店でも19時には閉めてしまうようで、仕事帰りにウロウロするような行動習慣は、昔のことのようです。

居心地の悪いまま、古書店巡りを切り上げ、同じ界隈にある喫茶店「ミロンガ」に入りました。

ここは遅くまでやっていて、店内を覆うレンガ造りの壁は、いつ見ても素敵です。

コーヒーをゆっくり楽しんでも、時間の余裕があるため、追加でビールまで頼んでしまいました。

ほろ酔い気分で店を出ましたが、それでも20時前、ずいぶんと時間が残っています。

それで仕方なく、皇居外周を歩いて「東京駅」に向かうことにしました。

その道中、面白そうな店があれば夕食に入るつもりです。

「神保町駅」のある交差点から、南下開始。

「竹橋駅」に到着すると、ここから皇居外周の堀端が始まり、時計回りで動きます。

驚いたのは、ランニングしている方の多いことです。

チーム単位での走行も多く、人の流れはずっと途切れることはありませんでした。

当初の予定では「二重橋駅」を左折し、「東京駅」に向かうつもりでしたが、もう少し先まで歩くことにしました。

例年なら蒸し暑い6月なのに、涼しい風が吹いていて、快適だったからです。

東京にしては奇跡的な現象で、汗をかかずにすみました。

そして「桜田門駅」の手前まで行き、折り返して「日比谷濠」の城外側から、石垣を眺めつつ「東京駅」に到着しました。

写真は、石垣の背景に聳え立つビル街を撮影したモノですが、濠による合わせ鏡の景観が綺麗でした。

しかし、22時近くなっても窓の明かりは煌々と点いていて、残業している方の多い実態も垣間見えます。

結局、夕食にはいい縁が得られず、コンビニでサンドイッチを買ってバスに乗りました。

2026年5月30日土曜日

PLの塔


以前から大阪南部「富田林」の当たりに向かうと、よくこの塔が視界に入ってきました。

自転車でこの辺りを散策する際に、ここにも立ち寄ろうと向かいました。

この界隈は「PL教団」の本拠地で、その敷地内に聳え立つ塔です。

180mもあるらしく、目立つのは当然だと思いました。

正式名称は「超宗派万国戦争犠牲者慰霊 大平和祈念塔」であり、必殺技がいくつも組み合わさったような物凄い名称が冠されています。

教団の教えに「人生は芸術である」とあるらしく、二代目教祖がこの塔をデザインし、それを原型に建立したそうです。

世間的には、不気味とか、怖いとか、意味不明な様相に対する後ろ向きな評価が多いようですが、個人的には「教祖様なかなかやるなあ。」と、前向きに感心しています。

そんなことで、塔の真下まで行こうと近寄ったのですが、広大な敷地の通路はことごとく閉ざされていて近づけません。

普通に出入りできる公園の中に立っていると、安易に考えていました。

敷地の正門から入れば、1階までは見学出来ると、後で知りましたが、そこまでの気づきに至らず、一番近そうな柵の外側で撮ったのが、最初の写真です。

少し逆光気味だったので、建物の陰影が浮き上がり、かなり立体的な造形だと知ることが出来ました。

しかも、雲の形がとても良い日で、宮崎アニメのワンシーンのように感じました。

2枚目の写真は、帰りの駅に向かう途中、歩道橋から振り返って撮影しました。

周囲とは、あまりにも不釣り合いな形と高さで、怪獣が歩いているようです。

確かに、自分が住む近くにこの塔はいらないかなと、あっさり思い直してしまいました。