2026年6月13日土曜日

田中一村


奄美大島に住んだ画家「田中一村」終焉の家です。

奄美大島の海岸線を背景に、南洋植物を大きく描いた独特の日本画で有名な方ですが、後世になってようやく評価を得たような印象があります。

体調を崩していた一村が療養のためこの一軒家に移り住んだのですが、10日後に亡くなってしまい、このような名称になったそうです。

69歳でした。

大事に保存されているようですが、南国特有の湿気がまとわりついており、かなり苔むしています。

もともとの生まれは栃木県栃木市で、東京育ち、若くして南画(水墨画)に才能を発揮して、東京芸術学校に入学してます。

今の東京芸術大学で、東山魁夷は同期です。

ここまではエリート街道ですが、学校の指導方針への不満や父の病気などが原因で中退し、南画を描いて生計を立てる道を選んだようです。

これ以降は、様々な職業、住み家を転々としていきます。

奄美大島への単身移住は50歳のときでした。

50代の自分としては他人事とは思えず、この年齢での決断には忸怩たるものを感じます。

一時千葉にも戻り活動したようですが、この大島で最後まで活動しました。

その千葉ではお見合い話もあったようですが、進展なく独身のままです。

染色工とか農業の仕事をこなしつつ、画業に励んだようですが、最後まで画壇に認められることはありませんでした。

病気もつきまとっていて、腰痛や眩暈により昏倒したり、脳卒中も発症、最後の死因は心不全です。

最期の写真は、奄美空港近くにある「田中一村記念美術館」になります。

後世の評価の高まりが、この記念館を作る流れになりました。

この地域の伝統建築をモチーフにした素晴らしいデザインで、多くの一村の作品が展示されています。

しかし、ゆっくり鑑賞させて頂きましたが、どうも彼の画風と建物のりっぱすぎる空間が噛み合ってないような気がしました。

終焉の家にて、通気をしっかりして住める環境に戻し、飾って眺めたらどんな趣だろうと想像してしまいます。
 

2026年6月6日土曜日

皇居外苑


用事があって東京から大阪へ戻るとき、深夜バスを選択しました。

東京駅の真ん前にあるバスターミナルから出発するのですが、かなり割高に感じる値段設定になっています。

東京ディズニーリゾートで、閉園まで遊んでも間に合う23時の出発からかもしれませんが、あと数千円出せば新幹線に乗れる水準です。

まだ夕刻なのに、予定もなく、珍しく時間が余っています。

日頃の行動からすると、あり得ない展開なので、何となく落ち着きません。

思いついたのは、神保町の古書街を散策することで、早速行ってみると、閉店時間の早さにビックリしました。

17時に閉まる店舗が結構あって、散策を始めた直後から、ガラガラとシャッターが下りていくのです。

18時は標準、遅い店でも19時には閉めてしまうようで、仕事帰りにウロウロするような行動習慣は、昔のことのようです。

居心地の悪いまま、古書店巡りを切り上げ、同じ界隈にある喫茶店「ミロンガ」に入りました。

ここは遅くまでやっていて、店内を覆うレンガ造りの壁は、いつ見ても素敵です。

コーヒーをゆっくり楽しんでも、時間の余裕があるため、追加でビールまで頼んでしまいました。

ほろ酔い気分で店を出ましたが、それでも20時前、ずいぶんと時間が残っています。

それで仕方なく、皇居外周を歩いて「東京駅」に向かうことにしました。

その道中、面白そうな店があれば夕食に入るつもりです。

「神保町駅」のある交差点から、南下開始。

「竹橋駅」に到着すると、ここから皇居外周の堀端が始まり、時計回りで動きます。

驚いたのは、ランニングしている方の多いことです。

チーム単位での走行も多く、人の流れはずっと途切れることはありませんでした。

当初の予定では「二重橋駅」を左折し、「東京駅」に向かうつもりでしたが、もう少し先まで歩くことにしました。

例年なら蒸し暑い6月なのに、涼しい風が吹いていて、快適だったからです。

東京にしては奇跡的な現象で、汗をかかずにすみました。

そして「桜田門駅」の手前まで行き、折り返して「日比谷濠」の城外側から、石垣を眺めつつ「東京駅」に到着しました。

写真は、石垣の背景に聳え立つビル街を撮影したモノですが、濠による合わせ鏡の景観が綺麗でした。

しかし、22時近くなっても窓の明かりは煌々と点いていて、残業している方の多い実態も垣間見えます。

結局、夕食にはいい縁が得られず、コンビニでサンドイッチを買ってバスに乗りました。

2026年5月30日土曜日

PLの塔


以前から大阪南部「富田林」の当たりに向かうと、よくこの塔が視界に入ってきました。

自転車でこの辺りを散策する際に、ここにも立ち寄ろうと向かいました。

この界隈は「PL教団」の本拠地で、その敷地内に聳え立つ塔です。

180mもあるらしく、目立つのは当然だと思いました。

正式名称は「超宗派万国戦争犠牲者慰霊 大平和祈念塔」であり、必殺技がいくつも組み合わさったような物凄い名称が冠されています。

教団の教えに「人生は芸術である」とあるらしく、二代目教祖がこの塔をデザインし、それを原型に建立したそうです。

世間的には、不気味とか、怖いとか、意味不明な様相に対する後ろ向きな評価が多いようですが、個人的には「教祖様なかなかやるなあ。」と、前向きに感心しています。

そんなことで、塔の真下まで行こうと近寄ったのですが、広大な敷地の通路はことごとく閉ざされていて近づけません。

普通に出入りできる公園の中に立っていると、安易に考えていました。

敷地の正門から入れば、1階までは見学出来ると、後で知りましたが、そこまでの気づきに至らず、一番近そうな柵の外側で撮ったのが、最初の写真です。

少し逆光気味だったので、建物の陰影が浮き上がり、かなり立体的な造形だと知ることが出来ました。

しかも、雲の形がとても良い日で、宮崎アニメのワンシーンのように感じました。

2枚目の写真は、帰りの駅に向かう途中、歩道橋から振り返って撮影しました。

周囲とは、あまりにも不釣り合いな形と高さで、怪獣が歩いているようです。

確かに、自分が住む近くにこの塔はいらないかなと、あっさり思い直してしまいました。
 

2026年5月23日土曜日

安倍晴明ゆかりの地


岡山県西部の内陸部を走る「井原鉄道」沿いをドライブして「平櫛田中美術館」に向かっていたときでした。

その美術館も素晴らしかったので、別の機会に取り上げればと思いますが、その道中に「安倍晴明ゆかりの地」と記された看板を発見しました。

その名前は「陰陽師」として、様々な題材に出てきますが、よくよく考えるとアニメのキャラクターと同じような認識でした。

お公家さんなので京都にずっといたと思っていただけに、どのようなゆかりがあるのか俄然興味が沸いてきて、予定を変えて向かうことにしました。

脇道に入り、北側の山奥へかなり進み、やっと次の写真の看板を見つけました。


説明文を読むと、この近辺にある「阿部山」で、晴明が天文観測のため居を構えたと伝えられており、そこが阿部神社(通称:晴明神社)になっているそうです。

ここまで来た以上、当然そこも目指しました。

しかし、山に向かうかと思ったら下っていき、窪地のような場所に到着。

最期の写真が、そこにあった神社の本殿です。

参拝した直後に、人の気配が及ばない閉ざされた空間に入り込んでいると感じました。

手前の荒れたように見える場所は、祈祷でもしたのか燃やしたような跡です。

でも、ここや本殿に磁場のようなものは感じません。

幸いなことに、悪い印象はしなかったので、そう感じる何かを捜しました。

そうしたら、最初の写真にある小さな石でした。

場所は窪地の入り口付近です。

おそらく、晴明はここに来ていないでしょうが、この石は何かの役割を与えられてここに
置かれたような気がします。

実在の人物としては、大河ドラマ「光る君へ」に出てくる通り、「花山天皇・一条天皇・藤原道長」に関わっていたようです。

その功績もあってか、下級貴族でありながら「従四位下」を与えられており、陰陽師としての一族の立場を確立しました。

日本史における呪術の影響について、おぼろげながら考えてしまう不思議な体験でした。


 

2026年5月16日土曜日

窯元訪問


今の仕事になって、器の仕入れのため窯元さんを訪れる機会があるですが、その庭先の何気ない風景に感動する機会が多いです。

自分は「デルタカフェ」において、日々の運営には全く参画してませんが、店の空間づくりにおいて、気を使うことではないかと意識しています。

上の写真は、丹波「立杭焼」の窯元さんが営む工房にある、建物脇の小さな池です。

土台の柱の間から雑草が伸びてきて、自然に池の周囲を囲っています。

そこで、その陰を日除けにしながら2匹の鯉が優雅に泳いでいるのです。

ここに体現されている「無作為の美」は何なんだろうと、感じ入ってしまいました。

写真ではわかりにくいですが、猫と烏除けのためにピアノ線が何本が張られていますが、これすら嫌味がありません。

また、作業の道具置き場を拝見させてもらったのが、下の写真です。

無造作にも見えますが、置かれている配置に必然性を感じます。

機能性・効率性を追求したことにより、生れ出た美の整いがあります。

そして、日常の生活で培われた精神が、そのまま器の造形に反映しているように、素人の自分にさえ伝わってくるのです。

ここで気づいたのは、自分は池を作ってみたいという潜在意識でした。

デルタカフェの庭に続いて、実家の庭もいじってみましたが、池には手が出せていません。

イメージが全く固まっていないので、現時点では作りようもありませんが、いつか挑戦したいものです。

今の仕事を続けていければ、いつかたどり着けるような期待を持って、ゆるく精進していきたいと思います。
 

2026年5月9日土曜日

バラ園(万博公園)


今の勤め先にバラ園があるのですが、圧巻の一言です。

故郷の新居浜市にもバラ園の名所がありますが、正直なところ比較になりません。

写真の通り、様々なバラが咲き誇っていて、こんなに多くの種類と、そのそれぞれに特徴的な名前がつけられていることに、ただただ驚くばかりです。

更に年間を通じて眺めていると、驚くことが多々ありました。

造園の専門家がやって来て、いつも手入れをしているのですが、花がついてない枝はバッサリと根本近くまで短く切られます。

植え替えるための伐採かと見てたら、その状態から見事な大輪のバラが咲くのです。

また、それぞれが個性のある香りを発しているのですが、全体の調和は乱れずにまとまり、かなりの広範囲をその香りで包みます。

勤め先から外に出ると、素敵な香りが漂ってきて、芳香剤によくある香りの強さに関してだけは、誇張されてないと実感しました。

次に、種類によっては、冬も咲いているということです。

年末でも、咲いている種類がかなり残っていて、周囲は枯れた様相なのに、その空間だけ艶やかな色彩が保たれています。

「ベルサイユのばら」の主人公であるオスカルやマリー・アントワネットのように、孤高の美しさを誇示していると、日々眺めていて感心しました。

花言葉も調べると、「愛・美・情熱」になります。

まさしく感情表現として、ど真ん中の豪球です。

ただし色によって、別の意味が加わり、赤は「愛情」、ピンクは「感謝」、白は「純潔」、黄は「友情(嫉妬)」など、贈る相手によって選ぶことが重要らしいです。

そんな繊細なこと、考えたこともありませんでした。

ひょっとすると、女性の方々は当たり前にご存じで、自分みたいなオタクだけが知らないことなのかもしれませんが、今頃になって大人の階段を登っているような気がしました。

最期に、花の色素の濃さです。

下の写真の通り、夕暮れ時に周りが陰っても、完全に暗くなるまで色彩が残ります。

ここは、イタリア車の塗装に同じ趣があるせいか、妙な納得感がありました。
 

2026年5月2日土曜日

マングローブの森


奄美大島での仕事が週末だったおかげで、自費となりますが土日をここで過ごしました。

松山で仕事をしていたとき、会社の同僚からマングローブの森をカヌーで散策した体験を聞いていたので、気になってその体験ツアーに参加した次第です。

実際に来てみると、ここはとても大きな島であることに驚きました。

先ず、空港から中心市街(名瀬)まで1時間を要します。

その界隈での仕事だったので、ここで一泊して翌日向かいました。

そこからこの森まで反対方向に小1時間かかるので、帰りの飛行機を考えるとあんまりのんびりとはしていられません。

季節は6月だったこともあり梅雨の天候でしたが、ガイドさん曰く暑すぎなくて良いとのことでした。

ここの海はサンゴ礁もあって素晴らしい透明度ですが、この森は海につながっていても湖沼に近い地形にあるため、雨の影響も加わって水面は写真にある通り濁っていました。

下の写真にあるように、7~8人のグループでガイドさんに着いていきます。

私は最後尾でちんたら漕いで進みました。


最初は川に近いようなところを進んでいきますが、周囲はジャングルにしか見えず、そこに向かっていく高揚感は、まさしく冒険そのものです。

そして、木々の隙間のような水面に近づいてくると、一番水際の小高い茂みがマングローブであることがわかってきました。

その範囲での行動になるので、隊列を組むようなこともなく、周囲に散らばるように自由にカヌーを漕ぐことが出来ました。

潮の満ち引きの影響を受けるため、満潮のときの木々の濡れている場所がわかり、少し木くずが溜まっています。

今は干潮と満潮の間の時間帯らしく、木々と水面に囲まれた空間は、うまく漕ぎやすい環境になっていると説明がありました。

それでも最後の写真にあるように、結構な圧迫感があります。

波の影響はほとんどないので、木々の際まで寄っていくと小さなカニ達が枝の縄張り争いをしているのを発見。

水中よりも木の上にいることが多いように見えます。

夏休みに昆虫採集をしていた頃を思い出しつつ、しばし童心に帰る貴重な体験でした。

しかし、私が1年で大阪に転勤してしまったことで、ここへの訪問を楽しみにしていた家族の希望は叶いませんでした。

我が家で「奄美大島」は禁句になっています。