前回の本屋さんで取り上げた長春の宿泊先が、写真の「春誼賓館(しゅんぎひんかん)」で、昔は「新京ヤマトホテル」と呼ばれていました。
戦前戦中の「満州鉄道」が運営していたヤマトホテルの第一号であり、その場にふさわしく「長春駅」の目の前に鎮座しています。
ただ残念なことに、早い時期に改修が進められたため、原型を残す部分が少なくなっていると、旅行本には書かれていました。
それでもクラシックな趣はしっかり残っており、それなりの雰囲気を感じることが出来ます。
玄関を入ると、エントランス正面に、下の写真にある中央階段が出迎えてくれました。
真新しく塗り直されていますが、高い天井に伸びている幅広の階段は、おそらく昔の規模のままであり、この地域に進出してきた日本の威厳を示すためであろうと、推察されます。
開業は明治43年(1910年)であり、日露戦争に勝利した日本が、中国東北部(満州)に地盤を築こうとした時期に当たります。
日本は、この長春から南に続く鉄道の権益を手に入れ、「南満州鉄道」がその経営を担いました。
満州の南部になるため、そのときは会社名に〝南〟がつきます。
まだ長春から北は、ロシアが敷設した「東清鉄道」の管轄下にあり、お互いの鉄道の接続点となるため、日露戦争によりロシアが後退したとはいえ、日ロの面子がぶつかり合う地域となっていたのです。
双方の鉄道の線路幅(軌間)が違うため、この駅で乗客は必ず乗り換えることになります。
そのため、宿泊する機会が多く、ホテルは日本を宣伝するアイコンとしての意味合いがあったでしょう。
そのためか、当時の世界で最先端のアールヌーボー様式が採用され、見事な装飾が奢られました。
しかし、その後に「満州事変」が勃発し、満州全域が日本の勢力下なったことから、1935年に、「東清鉄道」は満州国に売却されます。
その後の展開は、次回に述べていきますが、このホテルの存在は、国策そのものと言っても過言ではありません。
そう考えると、単なるノスタルジー的な満足ではなく、往時のままの雰囲気を純粋に味わいたい欲が出てきました。
最期の写真は、部屋の前にある廊下ですが、とても落ち着いた空間で、癒された一泊となりました。