2016年4月30日土曜日

悟りの窓


京都郊外の鷹峯(たかみね)にある「源光庵」の「悟りの窓」です。

「少年ジャンプ」の不良漫画で知りました。

画家志望の準主人公が不良仲間を連れていきます。

実際伺うと、行ってみたいと思わせたイメージ通りの空気感があり、「漫画家」と「窓の作者」双方の力量に感服しました。

隣には「四角」の「迷いの窓」もあるのですが、説明なしでも直感的に「円」の方を悟りと感じます。

「本阿弥光悦」ゆかりの地域でもあり、他の意匠にも丸・四角を組み合わせた幾何学模様が多い気がします。

話を戻しますが、実際に伺う前から気になっていたのは「悟りの窓」から見た「庭」です。

気になる時点で全く「悟り」を感じてないと思いましたが、一応デルタカフェの「坪庭」を自作した身としては、どんな庭なのか気になってしょうがありません。

しかし、覗くように見てみると庭の端っこみたいな感じで、中心を感じるものがありません。

「窓を見ることで感じてもらう・考えてもらう」ことがあくまで目的なのかなあと思いました。

庭は別に見なくても良かったような印象で、作者の割り切りみたいなものを感じます。

いろいろやりたい「欲」を出すと逆にうまく伝えられないというか、「思い切り」が足りなくなってしまうと理解しました。

なかなか出来ないですが・・・。

庭って、奥が深いです。

2016年4月23日土曜日

別子銅山の鉄道


別子銅山にある「鉄道の線路跡」です。

鉄道好き・歴史好きの両方の嗜好を、これほど満たしてくれる場所が地元にあることに感謝です。

私の子供時代の遊び場でした。

ここでの体験が、自分の好みに大きな影響を与えているのは間違いないと思います。

線路は全く残っていませんが、削岩された「岩肌」とその「幅」に、列車の走っているイメージが投影され、自然と興奮します。

写真は海の玄関口にあたる「惣開(そうびらき)」から、山間部の基地「端出場(はでば)」を結ぶ「下部鉄道」のトンネル跡です。

更に時代をさかのぼると、山頂に「上部鉄道」があります。

明治26年に開通し、同45年に廃止されるまでドイツ製の蒸気機関車が走っていました。

100年以上昔ですが「人が住んでいない」・「災害が少ない」・「保存に努力する人がいる」で驚くほど昔の面影が残されています。

海抜1000m付近の断崖絶壁の等高線を少しずつ下るように、「角石原(かどいしはら)」から「石ケ山丈(いしがさんじょう)」まで銅・物資を運びます。

そこから「索道(ロープウェイみたいに宙づりで荷物を運びます。)」を利用して谷を越え、先ほどの「下部鉄道」の終点駅「端出場」につなげていました。

このような施設は「283年間」の長い歴史の中で、「技術革新」と「銅の採掘ポイント」が動いていくに従いどんどん刷新され、お互いの接点も変わっていきます。

子供の頃は「探検ごっこ」と称して遊んでましたが、大人の目で見ても「本当の探検」の部類に入ると思われ、いつ訪れてもワクワクです。

デルタカフェにある車庫のガラス戸に「鉄道ジオラマ」を飾っていますが、この「上部・下部鉄道」の油臭く錆びた雰囲気をイメージして作成しています。

まだまだ仮置きのレベルなので、更に作り込んでいきたいです。

2016年4月16日土曜日

火種の一族


「岩櫃城(いわびつじょう)」

大河ドラマ「真田丸」のオープニングに登場する山城です。

城郭と縄張りは「備中松山城」のCGのようですが、山の威容は実在します。

武田勝頼は「新府城」撤退の際、その方向で真田氏の「岩櫃城(群馬方面)」か、小山田氏の「岩殿山城(東京方面)」かで悩みます。

結局、後者を選び武田氏は滅亡します。

この写真を見るたびに「ここに籠っていればなあ。」と「歴史のもしも」を考えてしまいます。

真田氏はこのあと、信州「上田城」・この「岩櫃城」・上州「沼田城」を主城として「上州街道」を結び、山岳地帯の領地を「面」ではなく、「線」で守り抜きます。

その過程で戦国大名として独立していきますが、戦国史上いろいろな「火種」を生みます。

「沼田城」は北条氏との領地争いから、豊臣秀吉の「北条征伐」の口実となります。

また本城「上田城」は、徳川氏の二度の猛攻を退けます。

特に第二次合戦は、「関ケ原の戦」に向かう「徳川秀忠」率いる徳川主力を遅参させるなど、離れた場所で戦局に大きな影響を与えます。

とどめは、「真田信繁」による「大阪冬・夏の陣」での「真田丸の防衛」と「家康本陣への突撃」です。

しかし、「武田氏・豊臣氏」と負ける側についても、一族としては徳川時代を生き残ります。

「幸村」という名は、徳川への大戦犯「信繁」を公に先祖として弔えないので、あえて拵えた偽名だそうです。

ひょっとして、徳川氏は知っていても見逃していたのかなと思っています。

相手に「ひと泡ふかせる」って、「恨み」を超越して「敬意」を招く行為なのかもしれません。

2016年4月9日土曜日

鳥海ブルーライン


山形県と秋田県の県境にある「鳥海山」。

標高2236mと「石鎚山」も軽く越え、東北の日本海側を代表する美しい独立峰です。

その山頂に向かって、日本海からブーメランのような軌道を描く「鳥海ブルーライン」をドライブしました。

山形県側から入って走り始めると、どんどん標高が上がりすぐに日本海が見えてきました。

海岸線も一望でき大パノラマです。

振り返れば「鳥海山」がいつも拝め、もっと近づきたくて先を急ぎました。

しかし残念ながら冬季閉鎖になっており、五合目付近にある折り返し地点の「鈴立展望台」へは行けませんでした。

予定ではそこを経由して、秋田県側に続く別ルートで降りるつもりでしたが叶いません。

少し残念な気持ちで戻っていると、写真の桜を見つけました。

何故行きでは気がつかなかったのか不思議です。

かなり早めに咲いた一本桜です。

これ以外道中に桜は見かけませんでした。

周囲は黒い木々ばかりなので余計に栄えます。

車の向きを変え、構図を定めて撮影しました。

たまには引き返すことも大事だと、急に得した気分になりました。

2016年4月2日土曜日

中山競馬場の桜


先週に続き千葉県ですが、当時の住まいは「西船橋」で「中山競馬場」の近くでした。

年末の有馬記念は数日前から異様な雰囲気の人手となります。

残念ながらギャンブル運を感じたことのない私は、馬券を買うこともなくゲート前を通勤の途上眺めるだけでした。

人生を狂わすこともあるのでしょうが、傍目からは競馬ファンの方々はすごく楽しそうに見えます。

そして競馬場の周囲を取り巻く桜が大振りで、春先には完全に空を覆う「桜ドーム」となり、街道を更に賑やかにします。

普段は交通規制で停車出来ないのですが、ラッキーにも空いているとき、警備員のおじさんにお願いして駐車して撮影しました。

日頃は渋滞も多くて結構イライラする通りですが、この時期ばかりはわざわざ渋滞になだれ込んで、夜桜をゆっくり車中から眺めました。

酒こそ飲めませんが、いつも何かしらの「つまみ」は持ち込んでいて、乙な気分で過ごしました。

地味に楽しかったです。