2017年9月30日土曜日

岩泉線


最近の地図を見ていて消えているのを見つけました「岩泉線」。

岩手県の「盛岡駅」から海側の「宮古駅」を結ぶ「山田線」の途中に「茂市駅」があり、そこから日本三大洞窟で、地底湖が有名な「龍泉洞」のある「岩泉駅」を結びます。

短い路線ですがアクセスが悪く、わざわざ「宮古駅」で一泊して早朝出直さないとたどり着けませんでした。

それでも何もない「茂市駅」で、一時間以上待たされての乗り継ぎです。

このときの天候が非常に悪くやや嵐気味でした。

前日も、せっかく泊まる「宮古駅」界隈で海の幸を堪能したかったのですが、予定より早く閉めているらしく何処もやっていません。

かろうじて購入出来た残り物っぽいコンビニ弁当が夕食です。

翌朝も、よく運行してくれたと思うような大雨で、写真のように横なぐりの雨量が尋常ではありませんでした。

「岩泉駅」に到着しても、折り返しにすぐ乗らないと何時間も待たされることになるので、このときは「龍泉洞」にも行けず、おあずけ連続の修業のような旅でした。

ただ、別の機会に訪れていて、湖の透明度に息を飲んだのを鮮明に覚えています。

細い橋桁の上を歩くので水上を空中歩行しているような感覚になりルンルンです。

その状況で、真下に照明に照らされた地底湖のかなり深いところまで拝めるのです。

他の三大である山口県「秋芳洞」と高知県「龍河洞」とは全く異質なものです。

最近の台風で水害被害が著しいとのニュースを耳にしますが、一日でも早期の復興を祈念しています。

今度は家族で訪れたいです。

2017年9月23日土曜日

興国寺城


「興国寺城」跡にある神社からの景色です。

社殿を背にして鳥居から撮影しており、駿河国と伊豆国の境にあります。

ここは、戦国大名のさきがけ「北条早雲」が初めて城持ちとなった記念すべき城です。

「今川氏」に嫁いだ妹の縁を頼って客将になっていたのですが、お家騒動を収めた功労でこの城を与えられました。

彼を初代とする「後北条氏」が関東攻略を始めるスタート地点がここになります。

関東が足利氏(堀越公方・古河公方)や上杉氏(山内上杉・扇谷上杉)の勢力争いで、混沌としていた時期です。

「室町幕府」は地方分権がもともと強いせいか、当初の南北朝時代もあり、三代「足利義満」の一時期以外はすっとゴタゴタの印象があります。

幕府内の権力争いが、そのまま領地にも飛び火しており、関東も同様でした。

彼はそういった情勢を見極め、巧みに勢力を伸ばしていきます。

相手の隙間に入り込んで、弱いところから確実に攻略していく戦略は見事です。

硬・軟・緩・急を絡めていて決して野蛮ではありません。

駿河へ来る前には、八代将軍「足利義政」の弟で、「応仁の乱」原因の一人でもある「足利義視」に仕えていたらしいです。

過去に、中央政権の権力闘争で培われた権謀術数であるからとも思えます。

伊豆の「堀越公方」を滅ぼし、その山間部を越えて「小田原」を新拠点として関東平野に狙いを定めていく展開は、「国盗り」への着実な野心を感じます。

この流れは、戦国時代の終局となる豊臣秀吉の「北条征伐」まで連綿と五代に渡って続くのです。

見事な「事業承継」だと思います。

2017年9月16日土曜日

田沢湖の裏メニュー


旅の目的を「湖」に設定することはほとんどありませんが、無意識にドライブコースには入れていると思います。

秋田県にある「田沢湖」は何回か通っていますが、湖畔がきれいにみえるであろう天候にいつも恵まれています。

その反対が更に北の「十和田湖」で、天気が良くても、何故かいつも靄っています。

写真は「田沢湖」のまあまあ有名な「辰子像」ですが、悪趣味にも金色です。

しかし、深い水色なのに澄んだように見える独特の湖面がそうはさせません。

服装もよく見ると「叶姉妹」なのですが「ゴージャス」ではなく、不思議と「清楚」に見えるのです。

偶然かもしれませんが、この作者の自然を取り入れた色彩感覚には驚嘆します。

すぐ脇の湖畔に佇む「田沢湖プリンスホテル(当時)」は古くて小さいですが大好きです。

かなり割安な夕食がお勧めです。

メニューは限られるのですが、ホテル料理の生命線「デミグラソース」が堪能出来ます。

サラダもホテル特製の「ドレッシング」が2種類あります。

私しか客がいなかったので、お勧めを聞いたら、「行儀はよろしくないですが、実は両方同時にかけたらもっとおいしいんです。」と教えてくれました。

多分シェフは怒るでしょうが、こういう脱線があるから、旅は止められません。

2017年9月9日土曜日

羽黒山


今回の旅は山形県です。

今は廃止となりました夜行列車「ムーンライトえちご」にて、新宿から新潟へ向かい、羽越本線に乗り換えて北上しました。

「鶴岡駅」にて下車、バスにて出羽三山の一つ「羽黒山」を目指し、そこにある「出羽三神合祭殿」をお参りしました。

そのあと担いできた折りたたみ自転車に乗り、山を下って駅まで戻る予定でしたが、やって来た自動車道と違う本来の「長い石段の道」に気がつきました。

非常に魅力を感じてしまい、予定を変更してエッチラオッチラ階段を下りることにしました。

庄内平野がよく眺められ、途中に「水戸黄門」に出てきそうな風情の茶店があって一服したりと、自転車を担いだ肩はかなり痛かったのですが、選択は間違っていませんでした。

写真は、国宝「羽黒山五重の塔」です。

「神仏習合」が普通だったことを象徴するものであり、神式と仏式が共存していた名残です。

普通は、神社に仏塔はありません。

明治初期に「廃物希釈」の嵐が吹き荒れた際、仏教建築はことごとく破壊されました。

その中で、この塔のみが唯一奇跡的に生き残ったのです。

杉木立に制圧されそうですが、周囲の広大な伽藍跡が往時を物語っていて、ポツンと佇んでいる様は孤独というか寂しそうに見えます。

だからこその「凛」とした存在感を強く感じました。

また地域的には密教系の信仰がもともと共存しており、僧侶がミイラとなる「即身成仏」がこのあたりに多いのも特徴です。

大らかに何事も取り込んで、どんどん積もっていくような「日本の信仰形態」の縮図を見る思いがしました。

2017年9月2日土曜日

御茶ノ水


「JR御茶ノ水駅」の改札口を出てすぐにある「聖橋」の下付近から撮影した景色です。

東京は、もともと谷間の多いところを埋め立てて作り上げた都市で、「谷」のつく地名が多いことでも伺えます。

浮世絵でも高低差を感じる景色が多いです。

しかも水路を整備して、水上交通を発展させました。

写真のように「神田川」を船が往来しているのを見ると、当時の状況は何となく伺えます。

駅の東京よりに「ギリシャ正教」の「ニコライ堂」、橋を渡った反対側に「儒学」の「孔子廟」と、「三社祭」で有名な「神田明神」があります。

何気に「露・中・日」の宗教施設が交錯している地域です。

宗教紛争が発生してない、稀有な日本ならではのまったりした現象だと思います。

現在の世界情勢において、他の国ならお互いが怖い距離感かもしれません。

中でも「ニコライ堂」ですが、正式名称は「東京復活大聖堂」だそうです。

安直なネーミングだと、失礼にも笑ってしまったのですが「東京にてイエスの復活を祝う大聖堂」の意味らしいです。

「復活」という言葉は「関東大震災」と勝手に想像していたのですが、なるほど神の領域かと、「一神教」の強さを思い直しました。

しかし日露戦争以降、信者は迫害を受けており、ずっと苦難の歴史を刻んできた建物です。

日露両国の関係が更に改善すればいいなあと思います。