「興国寺城」跡にある神社からの景色です。
社殿を背にして鳥居から撮影しており、駿河国と伊豆国の境にあります。
ここは、戦国大名のさきがけ「北条早雲」が初めて城持ちとなった記念すべき城です。
「今川氏」に嫁いだ妹の縁を頼って客将になっていたのですが、お家騒動を収めた功労でこの城を与えられました。
彼を初代とする「後北条氏」が関東攻略を始めるスタート地点がここになります。
関東が足利氏(堀越公方・古河公方)や上杉氏(山内上杉・扇谷上杉)の勢力争いで、混沌としていた時期です。
「室町幕府」は地方分権がもともと強いせいか、当初の南北朝時代もあり、三代「足利義満」の一時期以外はすっとゴタゴタの印象があります。
幕府内の権力争いが、そのまま領地にも飛び火しており、関東も同様でした。
彼はそういった情勢を見極め、巧みに勢力を伸ばしていきます。
相手の隙間に入り込んで、弱いところから確実に攻略していく戦略は見事です。
硬・軟・緩・急を絡めていて決して野蛮ではありません。
駿河へ来る前には、八代将軍「足利義政」の弟で、「応仁の乱」原因の一人でもある「足利義視」に仕えていたらしいです。
過去に、中央政権の権力闘争で培われた権謀術数であるからとも思えます。
伊豆の「堀越公方」を滅ぼし、その山間部を越えて「小田原」を新拠点として関東平野に狙いを定めていく展開は、「国盗り」への着実な野心を感じます。
この流れは、戦国時代の終局となる豊臣秀吉の「北条征伐」まで連綿と五代に渡って続くのです。
見事な「事業承継」だと思います。
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