2020年5月30日土曜日

叡山列車


この界隈には「鞍馬」を中心に車では伺っていたのですが、乗り鉄としては不覚にも「叡山電鉄」を制覇していなかったので、忘れないうちに乗車に伺いました。

二系統あり、先ず「鞍馬線」です。

初夏の爽やかな日差しに恵まれて、路線の景色が非常に美しいのに感動しました。

車道と平行するように渓谷沿いを走りますが、線路はより川側を走るので、青々とした「もみじ」が、トンネルのように覆い被さっているポイントが結構あります。

新緑を眺めていると、カーブが多いので逆光が揺れる度に車窓に入ってきます。

目映さで、自身も何か光に包まれていくようです。

気持ち良い心地で終点の「鞍馬駅」に着きましたが、駅前は何度か来ているので、そのまま折り返して「本線」に向かいました。

「宝ヶ池駅」から分岐しますが、「本線」のくせに2駅しかない短い路線です。

しかしその先は「叡山ケーブル」、その先に「叡山ロープウェイ」と続いて「比叡山」に至ります。

写真は、終点「八瀬比叡山口駅」に待機していたパトカー仕上げの車両です。

「比叡山」の二面性(京都鬼門の守護者の位置付けだが、それを悪用している利権の権化)を考えると、取り締るのか、その逆で摘発されるのか、どちらの立場でカラーリングされているのか微妙な感覚がしましたが、よく似合ってはいました。

ここからの「ケーブルカー」と「ロープウェー」は乗っていないのですが、制覇の対象外なのでそのまま引き返しました。

そのうち制覇の対象になって、再び乗りにくるかもしれません。

2020年5月23日土曜日

仁和寺<コロナ祈禱>


真言宗御室派の総本山である「仁和寺」。

寺に面する車道には、高い石垣の上に、更に大きく威容を誇る「二王門」が構えられていて、ここを別のお寺と間違えることは先ずありません。

いつも乗車したままの上目遣いで、一応拝みながら通り過ぎるだけでした。

なかなかきっちり訪問する機会がなかったのです。

しかし不謹慎にも、コロナ禍で伺う展開になりました。

京都に車の修理を出したまま転勤することになってしまい、代車に乗り続けるわけにもいかなくなったので、引き取りのため4月中旬に伺ったのです。

昼頃に到着して食事をとろうとしましたが、営業している店舗にまあまあの人がいたので、室内の食事はあきらめました。

それで「仁和寺」門前の店で弁当を買いましたが、目の前の「二王門」に誰もいなかったので、何気なく石段を上がったのです。

伽藍方面を観てビックリしました。

その写真がコレです。

この広い参道に人っ子一人いませんでした。

しかしもっと驚いたのは、普通であればこの先有料になるのですが、通路として開放されていました。

申し訳ないと思いながらも、そのまま写真に写っている「中門」を突っ切って、その奥にある国宝指定の「金堂」に向かいました。

すると何人かその前に集まっています。

偶然にもコロナ調伏を願う祈祷がはじまるところでした。

私も最後尾に列して祈らせて頂きました。

2枚目の写真はその直後を撮影させて頂いたもので、何も言われなくても全員がソーシャルディスタンスを守っていました。

祈祷を終えたお坊さんがわざわざ外に出てこられ、コロナに対しての説法までしてくれました。

近所の人もいたでしょうし、私みたいに紛れ込んでしまった人もいたようですが、みんなが心にしみたと思います。

こんな現状でも、前に向いて気持ちがリセット出来た瞬間でした。


2020年5月16日土曜日

道後温泉本館


この写真は、温泉イベントの「オンセナート」にて障子が特別に彩られた「道後温泉本館」です。

城巡り・乗り鉄・ドライブにて、宿泊・日帰りともに様々な温泉地を巡っていますが、温泉地のアイコン的な存在として、ココと以前取り上げた群馬県「草津温泉」の「湯畑」は抜きん出ていると思います。

特に街中近くにあり、周囲の観光施設と融合しているのは他に例がありません。

以前、東京の旅行会社の方が、「外国の方に日本をわかりやすく理解してもらうとき、『自然・温泉・城・食事・買物・風俗』が一カ所で堪能出来る場所は松山だけです。」と言っていましたが、全国ウロウロしている身としては納得出来ます。

特に本館二階の風情ある空間で、着替え用の駕籠を出されて浴衣姿になり、風呂上がりに団子を食べるのは、ベタな展開ですがありそうでありません。

近いモノは他の温泉地にもあるのですが、形と流れがここまで完成されてません。

インスタ映えとか考えると前の商店街も含め、これからの観光資源としても先手を打っていると思います。

しかし県外の方に「道後温泉」のことを聞かれたら、期待値を上げ過ぎて行ってガッカリされても困るので、魅力を語りつつも「泉質はあっさりしています。」と付け加えています。

2020年5月9日土曜日

ハリポタ電車


本題に入る前に、手帳のことでショックなことがあります。

昨年くらいから手帳の末尾に当然のように掲載されていた「全国鉄道路線図」が消えてしまいました。

自分愛用の手帳だけでなく、他の種類にも及んでいます。

業界的に何かあったのでしょうか。

年末に手帳を新しくするときに、新年の旅先を書き込んでいくのが自身の正月行事だったのですが、それを書き込むモノがなくなってしまい、鳥瞰が出来ずどうも要領を得ません。

この旅日記を書くときも路線名をど忘れしてしまい、路線図がなくて困りました。

わざわざ時刻表で再確認です。

そうそう「桜島線」でした。

田舎風の名称であり、行き止まりの「盲腸線」ですが、ご存じの通り「USJ」を通ります。

日本で一番華麗な「盲腸線」と言っても過言ではありません。

写真のように起点となる大阪環状線の「西九条駅」に到着すると写真のように「ハリーポッター」をデコレートした電車が接続のため待ちかまえています(今は変更されているかもしれませんが・・・)。

ハリウッド映画が主題であるテーマパークの入り口を彷彿させる演出で、「映画好き」であり「乗り鉄」でもある自分にはぐっときます。

隣にいた小学生達もこれを観てキャーキャー騒いでいました。

よく精神年齢が「中二」と言われる私も大差ないんだろうと、ふっと思ってしまいました。

2020年5月2日土曜日

石川雲蝶


新潟県魚沼市にある彫刻家「石川雲蝶」の彫刻に彩られた西福寺の開山堂です。

しかし写真の通り、建物の頭上に大きな保護のための屋根(というか建物?)がついていてビックリしました。

周囲を散策しても古寺らしい風情も意外なくらいなく、興がそがれたのですが、なかなか伺うこともないので見学することにしました。

この方は有名な鑑定家の発言により、「日本のミケランジェロ」と一部で呼ばれるようになりました。

正直言い過ぎと思いますが、積極的に地域観光に活用されているようです。

実際に内部を見学すると、立体的で極彩色の作風は独特であり、超絶技巧と称えられるだけのことはあると思います。

しかし毒々しい灰汁のようなものも感じました。

派手ですが、華やかには感じられないのです。

もともと江戸の出身であり、若くして才能を認められて名字帯刀を許され、20代で幕府の御用勤めに抜擢されています。

ものすごい出世です。

そのスーパーエリートが何故、わざわざ越後まで行って養子になったのか?

生涯が幕末にかかった激動の時代とはいえ、文化人が田舎に疎開する必要性はそんなに高くないかと思います。

しかも江戸での作品が全く残っていないのが不可解です。

何か陰みたいなモノばかりを強く感じてしまうのは私だけでしょうか。

世俗的な争いが、彼の作風に影響を与えているとついつい考えてしまいます。

今後も関心を寄せていきたい人物です。