「山口県柳井市」の山間部に「石城山」があります。
ここに「石城山神籠石」と呼ばれる古代の山城が存在しました。
以前訪れていましたが、山頂へ行くことが出来ず、再訪した次第です。
「天智天皇」の時代に、「白村江の戦」で破れた日本軍は、朝鮮半島から撤退します。
そのため半島を統一した「新羅」の反攻に備えて築かれました。
山頂部近くに「神護寺」があるので向かいました。
するとそこは、山口県東部の「奇兵隊」本陣に活用された場所でした。
どうしても「高杉晋作」が、下関にある「功山寺」にて挙兵したイメージが強いのですが、この民力主体で創設された軍隊は、毛利領内の「長門・周防」2カ国で展開されました。
当初は「南奇兵隊」と呼ばれたらしいですが、400名を超す大きな組織となったので、「第二」の名称がつけられたようです。
しかし組織の運営上の問題や、時代に取り残されるようになり、徐々に瓦解していきました。
とはいえ、空間の雰囲気としては駐屯した気配がひしひしと残っていました。
草木は生い茂ってますが、広さはそのまま残っているようです。
写真にある正門の奥に置かれた灯篭の明かりと、次の写真にある千手観音菩薩が、その歴史があったことを強く訴えているように感じました。
自分の霊感レーダーが働かなかったのが不思議な気がしました。
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