2024年9月28日土曜日

阿弥陀堂



購入を決めた後、京都のショップに代車で向かいました。

入れ替え、この新しい愛車と、赴任先の山口県下関に戻りますが、週末でもあり中国地方の日本海側を地道で戻ることにしました。

道中立ち寄った鳥取市街で、「味噌だれホルモン焼きそば」を頂きました。

ビールも飲んでしまったため、駐車場にて車中泊し、早朝から活動を再会することにしました。

硬めの後部座席のシートはかえって寝心地良く、今までの長距離使用で、かなりへたってギスギス鳴るサスペンションの悪印象を、かなり払拭してくれました。

写真は、鳥取市の西方にある「湖山池」です。

開発の手があまり及んでないことから、水際をドライブしても、自然豊かに感じます。

丁度、この手前の丘に「阿弥陀堂」があります。

名称とは裏腹に、厳密には宗教施設ではなく、「鳥取民藝美術館」の別館となります。

同県での民藝運動に多大なる貢献をした「吉田璋也」が建てました。

その建物は湖を眺める窓が三面あり、そこから見える三つの島を阿弥陀三尊に見立てたことから、この名称を付けられたそうです。

実際に丘に登って撮影したのが2枚目の写真で、その脇からのアングルです。

拝観には予約が必要ですが、それ以前に早朝だったので、当然ながら閉まっていました。

建物は、国の有形登録文化建造物の指定を受けているそうですが、結構な痛みが目立ちます。

それでも霧雨のおかげで、それなりの味が出てましたし、下で待っている相棒の七難まで庇ってくれているように感じました。

天気は悪いですが、この車とはいい塩梅で旅が出来きそうです。
 

2024年9月21日土曜日

アルファ147


以前に取り上げた「マセラティ・クアトロポルテ」は、修理しようとしたのですが、不具合を起こした部品が調達出来ませんでした。

残念ながら、乗り始めて約1ヶ月での退場となります。

さすがのマセラティ・ワールド、魔界が待っていました。

ずっと欲しかった車であり、極めて程度の良い出物に出会ったことから、リスクの高いことを覚悟で購入したのですが、想定以上に早く、激しく奈落の底に落ちていきました。

良好と思われた自分の車運も、とうとう尽きてきた気がします。

でもあきらめ切れません。

長年お世話になっているショップと相談した結果、廃車になりそうな個体からの移植を、気長に待つこととなりました。

問題の部品(プロペラシャフト)さえ手に入れば、現世界に復活出来ます(?)

そう信じて、この車はキープしつつ、仕事するうえで必要な車の手当てをすることにしました。

想定外の破滅だったため、お金がありません。

超低予算の中で、ショップ顧客の下取り車から車を選ぶことにしました。

今までにない展開です。

結果、写真の「アルファロメオ147・ドゥカティコルセ」に決めました。

特別バージョンの限定車で、イタリアの名門バイクメーカー「ドゥカティコルセ」とコラボして意匠がデザインされてます。

ボディサイドには、バイクに使用されるラインが奢られています。

個人の好みとしては、サイドラインとかはあまり好みではないのですが、あえて選んでみました。

タイヤのホイールも専用デザインです。

黒いボディにはしっくりと似合ってます。

しかし、ここからは数回に渡ってこの車と旅した思い出を取り上げますが、本当に魔界の扉が開いてしまったみたいで、短いお付き合いでした。

忘れないうちに履歴を残そうと思った次第です。

次回から、西中国、九州を走り回るコイツとの旅のスタートです。


2024年9月14日土曜日

石舞台古墳


奈良を訪れても、意外にも行ってなかった「石舞台古墳」。

教科書級の歴史観光地なのにあまり気が向きませんでした。

しかし、よくよく考えると「飛鳥」は、日本国の初期の都があった地域です。

嫁さんの希望で、古代からある発酵食品の何かを食べに行った思い出はあるのですが、全くウロウロしてませんでした。

地図はよく眺めていたせいか、行った気になっていたことに反省です。

早朝から現地に近鉄電車で向かい、奈良盆地を南下します。

あらためて、東大寺や興福寺のある奈良市の中心街とは相当離れていることを実感します。

近鉄吉野線にある「岡寺駅」で下車。

そこから歩き始めましたが、朝からカンカン照りの上、盆地特有の蒸し暑さに、歩きだけでの行軍は難しいと判断しました。

道中でよく目にする案内板には、「橘寺・飛鳥宮・飛鳥寺・岡寺」等の表示があり、足を踏み入れたい史跡が、この周辺に数多くあります。

どうしようかと思いながら、「石舞台古墳」に歩を進めていると、レンタル自転車屋を発見しました。

もう少しで開店の時間だったので、少し待って借りることにしました。

アップダウンが多い地域なので、登りはきついのですが、下りはいい風に当たれて、歩きとでは雲泥の差です。

早いタイミングで店舗を見つけたことは極めて幸運でした。

先ずは、ウロウロしたい想定エリアの中で、一番外れている「石舞台古墳」に到着。

想像より小さいのにガッカリしました。

とてつもなく大きな石で築かれていると伺っていたので、バイアスがかかっていたようです。

それでも下の写真のように、石室に入れたのは、構造がわかって興味深かったです。

そもそも、何で「蘇我馬子」のお墓と言われるんだろう?

この地域はもう少し時系列の前後も含めて勉強し直す必要がありそうです。


その後は、ここが一番の高所にあるせいか、この後の史跡へは、スムーズに向かうことが出来ました。
 
興味深い史跡ばかりでしたが、知識不足なので勉強し直して、あらためて取り上げたいと思います。

嬉しいことに、この自転車は他の店舗で乗り捨て出来たので、更に南下して「天武天皇・持統天皇合葬陵」や「高松塚古墳」にも立ち寄りつつ、「飛鳥駅」で自転車を返却して帰途につきました。

今回、列挙した固有名称は、全部が教科書級です。

何でこんなに南の辺鄙な地域から、有史として明確にわかる時代が始まったんだろう。

わかっているようで、全くわかってなかった実感が強く残りました。

史跡巡り、自分でその場に立ってみることは本当に大事です。

足から頭に電気が走ります。

2024年9月7日土曜日

馬毛島


前週の流れから、同じく鹿児島県の「種子島」を取り上げます。

今回は仕事で来たのですが、以前に伺ったときの観光地としての雰囲気は一変してました。

ここで取り上げる以上、仕事中といえども、合間に旅情を織り込みたいのですが、中々厳しい展開でした。

種子島の西側に「馬毛島」という平坦な島があります。

写真は「種子島」本島の西の海岸線を撮影したのですが、水平線が少しいびつになっているのがわかるでしょうか。

これが「馬毛島」の稜線で、右側に船が隊列しているように島に向かっています。

なんと自衛隊の戦闘機を発着させる基地を作っているのです。

ただ、本島に宿泊施設が少ないため、多くの人が朝からの高速艇で、九州本土から向かいます。

私もその一人だったのですが、建設会社の技師達が作業着かスーツで、船に乗り込んでいて満席です。

朝の通勤風景と変わらない雰囲気で、手荷物の置き場にすら困りました。

比較的マッチョな方が多いため、余計に圧迫感があります。

サッカーの部室を思い出しました。

以前のデッキは、釣り道具が中心に置かれていたですが、それらに変わって工事用の大量の機材が持ち込まれています。

武器みたいで、物騒な雰囲気すら漂っていました。

次の写真は、取引先を訪問した際に、建設資材の運搬作業をしている光景です。

同型の船舶が、島に行っては資材を置き、戻っては更に積み込むという、ピストン作業を繰り返していました。

民泊に近い臨時の宿泊施設を急ごしらえしているものの、供給が追いついてないそうです。

鹿児島県に来る前は山口県で仕事をしてましたが、両県とも陸海空の自衛隊基地が揃っています。

職務の関係で、士官クラスとお話させて頂く機会があったのですが、中国が先島諸島にちょっかいを出してきた際、航空部隊は山口県の「岩国基地」か、天候が悪ければ神奈川県の「横須賀基地」から、わざわざスクランブルするのだそうです。

これに発生する人的・物的・時間的コストは半端なく、また騒音等の周辺問題もあるので、日本の台湾・中国方面の先端に当たるこの地域に発着場所が出来るのは、あらゆる面の防衛の効率化につながるとのことでした。

北海道の根室で、ロシア国境を眺めて以来の、国境を感じる海岸線の風景です。

これも旅情なのかな。