2025年7月26日土曜日

池田湖


前回に続けて、ムー的な場所を取り上げます。

ここは、前回と同じ鹿児島県でも、薩摩半島の内陸部にある「池田湖」です。

何と、巨大生物「イッシー」が生息しているかもしれない湖なのです。

イギリスのネス湖にある「ネッシー」に模して名付けられたようですが、その存在が噂となったのは昭和前半頃だったとのこと。

そして全国的に有名になったのは昭和53年9月のことでした。

法事のため池田湖畔に集まっていた約20名の人が一斉に目撃したと、ニュースになります。

体長は20mほどで、背中にコブがあって前身の色は黒色、形は蛇か鰻に似ているらしいです。

また、その年の暮れには、波間に現れたイッシーの姿が写真に収められ、更に注目を浴びました。

その後、平成3年にも目撃情報が立て続けにあり、観光の目玉としてPRされているのです。

そして、下の写真にあるのが「イッシーくん」と称された復元像ですが、愛嬌があり過ぎます。

もう少し何とかならないものかと…。

観光地としても、流石にファンシーな世界に振りすぎかと…。

おかげで、ムー的なロマンが、ここで消えてしまいました。

「イッシーくん」の背景に写っている山は、日本百名山の1つであり、薩摩富士とも呼ばれる「開聞岳」です。

その近くにあることから、ここはずっと〝御池〟と称されてきました

古くから竜神伝説もあり、その祟りを鎮めるために池王明神の祠もあるのです。

そんなことをぼんやり思いながら、すぐ近くにあったお洒落なカフェで、ソフトクリームを買いました。

それをペロペロ舐めながら、湖の背景に鎮座する「開聞岳」をしばらく眺めてました。

しみじみ風光明媚な観光スポットだなあ、と思いながらも、「イッシーくん」がどうしても視界に入ってきます。

海洋堂に作り直してくれないかなあと、ついついお願いしてしまいました。


 

2025年7月19日土曜日

衛星が丘(ほしがおか)


写真の山頂を見て頂くと、キノコのような構造物が複数確認出来るかと思いますが、ウルトラマンとかに登場しそうな巨大なパラボラアンテナです。

ここは鹿児島県東部の大隅半島でも、最東端の海岸部にある「衛星が丘」で、ロケットの発射場があるのです。

〝衛星〟と書いて、〝ほし〟と読むそうで、ちょっと宝塚な趣があります。

一般的には、同じ県内でも島にある「種子島宇宙センター」が有名ですが、同じ「JAXA(宇宙航空研究開発機構)」が運営しており、「内之浦宇宙空間観測所」と呼ばれています。

早朝から車でやって来たのですが、初夏の素晴らしい青空が広がるドライブでした。

山間部が多い鹿児島県でも、大隅半島は特に山深いといいますが、人が立ち入れない自然の力強さが伝ってくる地域です。

その雰囲気を十二分に味わいながら、太平洋が拡がる海岸線を目指して進んでいきました。

道幅はさほど狭くないのですが、寂しい感じはどんどん増していきます。

突然、スカイラインような道幅の大きい道になり、突き進むとこの光景にぶち当たりました。

澄み渡るような明るい景色なのですが、人の気配が全くないせいか、かえって不気味に感じました。

ここで出会うとしたら、宇宙人じゃないかと。

白昼に拘束されたら、完全な行方不明です。

この車もよくよく眺めると、「ウルトラマンセブン」に登場するカプセル怪獣「ウィンダム」に似ているような気がしてきます。

結局は何事も起きませんでしたが、人と出会うことが一度もなく、孤独に芝居でもやっているような現実感のない感覚が残りました。

最期の写真にあるアンテナらしきモノも、説明版を読みましたが頭に入りませんでした。

どう見ても、地球防衛軍の基地の一部ではないかと疑ってしまいます。

ここは、今だに「ウルトラマンセブン」の山中に隠された秘密基地「地球防衛軍極東基地」なのではないかと錯覚したままです。

第4ゲートが開いて「ウルトラホーク1号」出てこないかなあ。


2025年7月12日土曜日

木浦(モクポ)のカフェ


普段はブログに日付を記さないのですが、2024年7月のコロナ明け、最初の海外旅行を敢行したときのことです。

海外で乗り鉄をやってみようと思い、その地に韓国を選びました。

鉄道の話は別の機会にしようと思いますが、行き先としては南方面を選択しました。

写真は、朝鮮半島最南西部の町「木浦」にある古民家カフェの内装です。

前日宿泊し、始発で発つため、夜明けとともに早朝散策を開始しました。

昔ながらの風情がかなり残っており、日本人が居住していた建物とかも丁寧に保存されていて、日本とのなじみ深い地域であることが伝わってきます。

ただ、残念なことに見かける雑貨屋や飲食店はやってない時間帯でした。

それはやむなしでの行動でしたが、何と開店準備をしている店を発見。

入り口を除いていると、加藤茶に似た30代ぐらいの方が中から出てきて、「日本の方ですか。よかったらどうぞ。」と、店内の明かりをわざわざつけてくれたのです。

列車に乗るため、20分ほどしか時間がない事情を説明すると、看板にあるカキ氷なら大丈夫と言われるので入店することにしました。

朝食のカキ氷は初めての経験ですが、入り口の看板で一番気になっていたメニューだったので、まあ期待した展開です。

先に会計をして、作ってもらっている間、店内をじっくり見学しました。

落ち着いた雰囲気で、古びた国旗も嫌味なく飾られています。

年季の入った椅子や机、飾られている雑貨類を眺めていると、「民藝」に近い潮流を感じました。

「柳宗悦」が「朝鮮人の友に送る書」にて、朝鮮の美を讃えたことが思い浮かびます。

朝鮮雑貨と古民家との親和性を体感できる貴重な機会となりました。

下の写真が、出てきた小豆のカキ氷で、小さなお餅が乗ってます。

SNSとかでよく見かけますが、果たしてどんな味なのか?

小豆はあまり甘くなく、意外にも塩味が効いていました。

白い氷部分は、練乳が入ったミルクを固めたもので、ガリガリではなくフワフワです。

素材の味がしっかり立っている小豆をメインに、ミルクが溶けてきて味に加わり、意外にもガツガツと早いペースで食べることが出来ました。

舌の上で固まった氷を溶かすような必要がなく、口内がマヒして頭がキーンとなることもありません。

日本の縁日で出てくる、後半が厳しくなるカキ氷とはずいぶん違います。

ついでに頼んで、後から出てきたコーヒーにも、何故か小豆がついてきました。

コーヒーに入れるのかと伺うと、「そんなわけないでしょう。カキ氷に追加して食べて下さい。」と呆れられました。

どうもサービスだったようです。

小豆はかなりの量となり、しっかり朝ご飯の代わりになりました。

下の写真の通路にその方が見えますが、雨靴みたいな長靴を掃き、頭はニット帽、色つきの丸眼鏡の風采でした。

夏の暑く、快晴の日にしては、かなり攻めてるファッションです。

その服装は、韓国での流行りなのかとか、この店の成り立ちとかも伺いたかったのですが、時間がないので、お礼を言ってダッシュで飛び出しました。

もう一回来たいけど、路線制覇のため、他の路線も回りたいしなあ、どうしよう。

悩ましいところです。

2025年7月5日土曜日

浄土ヶ浜


この写真は、「浄土ヶ浜」の中でも、中核となる「剣の山(針の山とも)」と呼ばれる景観です。

このブログの最初期に取り上げた「北山崎」に向かう途中に立ち寄りました。

岩手県の海岸線のほぼ中間地点に位置し、「宮古市」の中心部の近くにあります。

旅好きとして、当然ながら地図は大好物です。

いつも持ち歩いてますが、「〇〇100選」とかの一覧を目にするときがあると、試しに地図に書き込むようにしています。

それが第一の目的になることはないのですが、旅の道中に時間があれば、立ち寄ったりする目印にするためでした。

拾い物と言っては失礼ですが、そこで思わぬ素晴らしい体験にありつくこともままあります。

そういう流れで地図を活用するときに、ここはやたらと出てきました。

少し調べるだけでも、「快水浴場100選、かおり風景100選、日本の渚100選、日本の白砂青松100選」と、多くの選定対象地になっています。

行ったときは海水浴シーズンは終わっていた時期の明け方でした。

かなり薄暗かったのですが、購入したばかりのデジタルカメラがいい仕事してくれました。

当時まだ主流だったフィルムのカメラなら、ここまでうまく撮れないかったと思います。

さるお坊様が「さながら極楽浄土のごとし」と、感嘆したことが名前の由来らしいですが、時間帯のせいか「あの世の入り口」くらいにしか感じられませんでした。

一人で立っていると、岩場の影から「三途の川の渡し守」が知らないうちに寄ってきそうで、正直怖くなりました。

このときは、そんな軽口をたたくような心境でしたが、「東日本大震災」発生前だったからです。

今はどんな磁場を発しているのか、はかり知れず、あの地震でお亡くなりになった多くの方々に対しては、只々ご冥福をお祈りするしかありません。

震災以降の三陸方面には、以前に取り上げた「石巻」しか行けてない状況です。

下の写真も近くの港で撮影したのですが、同じ場所で再び撮ることは、恐れ多くて出来ないとおののいてしまう一枚です。