2015年10月31日土曜日

くろがねの城


松江城国宝指定、築城者で戦国武将の堀尾吉晴様おめでとうございます。

築城年代と規模を考えれば国宝でないのが不思議なくらいでした。

実物と写真での印象がすいぶん違うのがこの城で、かなり損をしていると思います。

本丸入口からの写真は天守閣が庭園の背景になるうえ、付櫓があっても単立天守に近い形式のためずいぶん小さく見えます。

また実際に実物を見ても、周囲の木が大きくなりすぎて天守閣を隠し、大きさを実感しづらい環境にあります。

周辺をウロウロした限りでは、県庁横の交差点を通る瞬間しか全体像が見えません。

しかし実物は確か石垣を入れての高さだと、現国宝松本城より高く、姫路城に次ぐ高さを誇ります。

何より凄いのは写真の通り、「天守閣」の威厳をもって天を突き刺すようにそびえ立つ様です。

姫路城に代表される白系の天守閣では、白色が膨張色になるせいか最上層が大きく見えます。

黒系の天守閣でないとその表現は難しく、最大級松江城の猛々しさはピカイチと思います。

内部も粗野な雰囲気で素晴らしく、最上層からの景色は宍道湖が庭池のように見えます。

しかし、ここでも城と城下町と宍道湖の景観のバランスで大木が邪魔をします。

ちょっと残念です。

2015年10月24日土曜日

地球の裏側


真冬なのによく晴れた日でした。

おかげで光が反射して輝く島と数隻の船がよく見えます。

水晶島とロシア警備船。

今立っている場所は、日本最東端に位置する北海道根室半島の納沙布岬です。

眼前の景色は歯舞(はぼまい)諸島。

この写真は、岬の先端から振り返って日本側を撮影したもので、北方領土の最前線です。

国内旅行で国境の存在を初めて体感しました。

理屈はどうあれ「実効支配される」とはどういうことなのか、日頃の自分はこの場の異邦人なのだとあらためて痛感します。

なのにそれすら上回る衝撃が隣のおじいさん。

これから二人きりでバスを待ち、鉄道でも日本最東端の根室駅に戻るまでの約3時間を同道する方なのですが、驚いたのは何とブラジルから来たとのこと。

地球の裏側です。

日系人の成功者らしく、事業を子供に任せて日本を懐かしむ旅をしているのだそうです。

もう境遇の次元が違い過ぎて、何を感じているのか想像つきません。

同道の最後に、駅前の食堂で根室名物のエスカロップ(バターライスのデミグラソースがけ)を一緒に食べました。

正直「くどい味だな。」と思いましが、おじいさんは「意外とあっさりしてるね。」と言って食べておられました。

いろんな意味で異次元を感じる旅でした。

2015年10月16日金曜日

ゼロ番線


三江線の乗り場で撮った「三次駅」での一枚です。

他には芸備線と福塩線しか走っていないのに「0番線」。ローカル線の極みです。

明日午前5時台の始発に乗るのですが、時期は年末、おそらく暗いので先に撮りました。

本当はこのまま乗って行き、夕暮れ時の景色を車窓から撮りたいのですが、それだと終点になる日本海側の江津駅までたどり着けず、その途中の駅には宿泊先が全くないのです。

三江線は単線の各駅停車しかなく、確か100キロ以上あるので4時間近くかかります。

青春18切符を愛用する者としては、外したくない路線ですが「節約モード」のため、まだ明るいうちから宿泊先に行くのがもったいなくてしょうがありません。

どこまで乗っても1日当たり2,200円です。

24時間ギリギリまで列車に乗っていたいのです。

そんな心境が背景の雲にしっかりと、もの悲しく投影されてました。

2015年10月11日日曜日

北山崎


旅行会社から全国で唯一特Aの評価を得ている景勝地があります。

「北山崎」

岩手県のリアス式海岸で山脈のように連なっている断崖絶壁の総称です。

東日本大震災発生以前に「フナッシー」で有名な千葉県船橋市に住んでいたことがあり、車で東日本の海岸線を地道で、青森県までドライブしたことがあります。

その時の最大の目的地がここで、2日目の車中泊で夜明けを待って撮影した一枚が今回掲載したものです。
(デジカメが普及した頃でかなり明るくして撮影したため画像が粗くてすみません。)

撮影場所の展望台が100メートル近くあるせいか、はるか下界となった高波の音は全く聴こえず、風の音に支配された山にいるような感覚で真下に海を見ました。

ただ圧巻の一言でした。

津波の被害が大きい東日本を同じルートで再訪問する勇気はまだありません。

しかし、ここから見る景色だけは何も変わってないのではと思わせる「絶対的な壁」を感じさせる存在でした。

2015年10月4日日曜日

総仕上げ


岩手県の九戸(くのへ)城跡です。

霧が怖いくらい立ち込めていて何かいそうです。

少し霊感のある城好きとしては、「実戦があったかどうか。」は要注意事項です。
 
豊臣秀吉の天下統一は、ドラマでは「北条征伐」でよく完了しますが、実際はその後「奥州仕置」が東北地方で展開され、豊臣氏への服属が選別されていきます。

その状況下、南部氏の一族である九戸政実が徹底抗戦し、天下統一の「総仕上げ」として大虐殺され、戦国時代は終焉します。

その最後の現場がここでした。
 
出向いた日は夜になり、入口だけでも覗こうとしましたが悪寒に襲われて無理でした。

仕方なく近くのコンビニで車中泊し、早朝おそるおそる撮影した写真です。

遺構は大規模できれいに残っており堀下も歩けましたが、更に霧が立ち込めていて、そのまま別世界に行ってしまうのではないかとビビりながら探索しました。
 
車のエンジンも切ったら二度とかからない気がしたのでずっとかけたまま行動しました。

無事戻れましたが、途中で切れたりしてたら恐怖で気絶したかもしれません。