鳥取県伯耆大山を中心とする山々の一部に「船上山」があります。
鎌倉時代末期に「隠岐島」へ流された「後醍醐天皇」が、打倒鎌倉幕府の名の下に島を脱出し行宮を構えたところです。
下から見ると山の上に船があるように絶壁が見えます。名前の通りの光景で驚きました。
ここに自陣の幟(のぼり)が立つと押し寄せた相手への威圧感は抜群です。
このあと始まる南北朝時代も含め、この時代の山城は皇室の威光を受けて、非常に華やかに感じます。
京都・奈良県境の「笠置山」や「吉野山」、福島県の「霊山」などは、辺鄙な山奥でもここが中心地であることを主張しています。
石垣とかほとんどありませんが、政治を前提に行宮が置かれているせいか、縄張り以上の奥ゆかしい配置を感じます。
この山から海辺へ降りたところに、忠臣「名和長年」を祭る「名和神社」があります。
更に海の「隠岐島」に続く地理的な展開がダイナミックです。
ここから鎌倉幕府は滅亡に向かいます。
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