前回からの続きですが、作家「太宰治」がここの出身地です。
津軽鉄道「金木駅」の近くに「生家」があり、太宰治記念館「斜陽館」として国の重要文化財の指定を受けています。
(この写真は、夏に車で訪れたときの撮影です。)
豪奢かつ広大な間取りですが、太宰が常々語っていた「家族内階級」なるものを、私も何となく感じました。
部屋の多い大きな家も考えものです。
太宰の作品には、「人間不信」に基づく根暗な作風が多いです。
そこに今だからこそ、魅せられる要素があるとも思います。
しかし「津軽」という作品には、その太宰の心に光明が差し込んでくる場面があります。
自分の子守役だった「タケ」に、彼女の実家近くの運動会で久しぶりに再開するシーンです。
人と、膝をつき合わせて生活してきた記憶って大切なんだと、しみじみ思います。
最近あまり使ってない「こたつ」は、「家族」という単位にとって、日本ならではの大事な装置ではないかと考えてしまいます。
その日の宿は近くの「金木温泉旅館」でした。
昭和を残したままの鄙びた公衆浴場が併設されていて、番台に「タケ」みたいなおばあちゃんが座っていました。
湯上りにそのおばあちゃんと一緒に、「おしんの再放送」と合間に入る「イラク戦争のニュース」を見たのを思い出します。
私一人しか宿泊者がいないらしく、ずっと二人だけでした。
豪奢かつ広大な間取りですが、太宰が常々語っていた「家族内階級」なるものを、私も何となく感じました。
部屋の多い大きな家も考えものです。
太宰の作品には、「人間不信」に基づく根暗な作風が多いです。
そこに今だからこそ、魅せられる要素があるとも思います。
しかし「津軽」という作品には、その太宰の心に光明が差し込んでくる場面があります。
自分の子守役だった「タケ」に、彼女の実家近くの運動会で久しぶりに再開するシーンです。
人と、膝をつき合わせて生活してきた記憶って大切なんだと、しみじみ思います。
最近あまり使ってない「こたつ」は、「家族」という単位にとって、日本ならではの大事な装置ではないかと考えてしまいます。
その日の宿は近くの「金木温泉旅館」でした。
昭和を残したままの鄙びた公衆浴場が併設されていて、番台に「タケ」みたいなおばあちゃんが座っていました。
湯上りにそのおばあちゃんと一緒に、「おしんの再放送」と合間に入る「イラク戦争のニュース」を見たのを思い出します。
私一人しか宿泊者がいないらしく、ずっと二人だけでした。
定番のコーヒー牛乳を飲みながら、「おしん」の場面と重なるようなリアルな「昔話」を、しばらく聞いていたのが懐かしいです。
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