2020年11月28日土曜日

中国の都市今昔


日本史を専攻していた者として、どうしても中国の東北地方は外せません。

かつて「満州帝国」が存在した地域です。

日本が侵略した地域であり、日本人がひどいことをした地域と言われるわけですが、親日派が多い地域でもあります。

「中国残留孤児」も本当にひどいだけであれば、あれだけの方々がご存命されて生活しているのも不思議です。

当時の社会インフラも結構残っていて、いまだに活用されていますが、さすがに老朽化で取り壊されているケースが多いようです。

早めに伺いたいと考えていたら、たまたまお取引先にこの地域に興味を持っている方がいらっしゃったので、お互いに意を決して一緒に旅行することになりました。

写真の通り一昔前のホテルからは高層ビルが見え隠れします。

中国の飛躍している経済のインパクトは半端ありませんでした。

以前に上海に2回ほど伺ってますが、当時どこからか漂ってきた動物臭い香りは全くしません。

都市の再開発が徹底して進められている要因が大きいと思われます。

コロナ禍のため、当分海外旅行は難しいと思われますので、歴史と近代化を織り交ぜた「中国」の旅日記を始めさせてもらいます。


2020年11月21日土曜日

建長寺


鎌倉探訪の第2回目として、鎌倉五山第一位「建長寺」を取り上げます。

ほとんどが江戸時代の再建で、写真は、紅葉の時期に「法堂(はっとう):重要文化財」を訪れたときのモノです。

硬派な武士といいますか、固く重厚な雰囲気が漂っていました。

歴史的には禅宗の軸となる存在で、国家の庇護を受けた日本初の「禅宗」専門寺院です。

それまでの大寺院では、他の宗派と兼学される形で取り入れられていました。

このあとの室町時代に大勢力を誇る臨済宗「五山派」の萌芽であり、武士に広く布教された要因も、その建立に端を発していると個人的に推測してます。

五代執権「北条時頼(時宗の父)」が、南宋の高僧「蘭渓道流(らんけいどうりゅう)」を招いて開基されたためです。

時頼は、北条一族の本流である「得宗家」として、専制政治を確立していった人物であり、敵対勢力はどんどん排除されていった時期とも重なります。

鎌倉御家人へのインパクトはハンパなかったかと思われ、ひょっとしたら踏み絵的な忖度が働いたかもしれません。

横浜方面から向かって、「鎌倉駅」一つ手前の「北鎌倉駅」からすぐ近くにあり、大きな「山門(三門):重要文化財」がデーンと出迎えてくれます。

この第一印象が、武士の都「鎌倉」としての歴史イメージをかなり引き上げているように感じます。

2020年11月14日土曜日

湯谷温泉


愛知県の奥三河にある「湯谷温泉」のカフェでの写真です。

若い方が最近オープンしたようで、古い建物の内部を斬新にリフォームされていました。

窓側は渓谷に面しておりBGMのように川の流れが聞こえます。

何故かコーヒーを飲みたいと思わなかったので、「自家製梅ソーダ」を珍しく頼みました。

ドライブ疲れに心地がよい味でしたが、「デルタカフェ製」に軍配です。

今回の旅のきっかけは、私を除く家族全員が、嫁さんの実家「熊谷」に先に帰省してしまったので、久しぶりに「デルタ」に乗って「愛媛~埼玉」間を往復しました。

その帰りに温泉地の下見と夕食を兼ねて立ち寄ったのです。

従来なら辺鄙な奥地なのであり得ないのですが、「新東名」が開通して環境が一変しました。

名称の通り「湯谷口」インターからすぐでした。

温泉街の風情はありますが、思った以上に廃れつつあります。

アクセスの向上が流れを変えるでしょうか?

カフェの後に古民家風の店で黒いそばを食べました。

田舎風で美味です。

そしてここから一気に新居浜まで5時間で帰れました。

車も久しぶりの長距離だったので不安はありましたが、何事もなく快適なドライブが出来ました。


2020年11月7日土曜日

円覚寺


臨済宗「鎌倉五山」の第二位である「円覚寺」。

歴史の感じるスポットをうまく観光化している鎌倉の中では、やや北側の離れた場所にあり、本来の歴史が持つ威容を保っていると思います。

「元寇」の戦死者を弔うべく八代執権「北条時宗」が、中国宋の高僧「無学祖元」を招いて建立された寺院です。

現在の敷地も広く、塔頭も多く残されていて、紅葉の参道は非常に清々しかった記憶があります。

意外に思われるかもしれませんが、鎌倉は戦国時代に焦土と化して、しばらく歴史の表舞台から姿を消していました。

そのため建造物で歴史的価値の高いものはあまり残っていません。

国宝クラスになると、ここの「舎利殿」くらいです。

しかしその拝観はGW等の限られた時期のみで、ふらっと観ることが出来ません。

週末とかは東京圏の方々が大挙して来ることが多く、時間帯を選んで行き来しないと渋滞がスゴいことになります。

それでも飲食の領域では魅力的な店が多く、なんだかんだと訪れることが多かったです。

コロナ後の影響は狭い地域なのでどうなるのか心配です。

次に訪れられるのはいつになるかと思いますが、魅力都市「鎌倉」の輝きを失ってほしくないと切に願います。