2021年2月27日土曜日

湖畔遊


高知県香美市香北町にあるレストラン兼宿泊兼温泉施設です。

先に断っておくと、高知で週末会合があり、翌日の帰りでした。

昼食だけでもと、立ち寄っただけなので、全体概要はあまりわかっていません。

でも非常に勉強になりました。

「剣山スーパー林道」に向かう国道196号線と、併走するように流れる「物部川」のほとりにあります。

写真は昼食時のテーブルからの景観です。

2月の真冬でしたが、さほど寒くなかったので屋外テラスを選択しました。

湖ではなく、やっぱり川のほとりでした。

店名にある湖畔じゃないような気がしますが、川の流れを感じないので、実質同じかと思い直しました。

併せて時間が止まっている感じもします。

人間がくつろぐ上で、「時間を忘れられるか」どうかは、極めて重要なことだと、最近思うようになりました。

座禅の「無」の境地は、これに近いことじゃないかと、感覚的に勝手に解釈しています。

また、自分のことで気がついたことがあります。

最近、鉄道ジオラマ作成にはまっていますが、本能的に水回りの情景を加える傾向があり、水辺で何かをしたい潜在的な欲求が、自分の中にあるのがわかってきてます。

「デルタカフェ」後の展開を考える上で、大きな示唆をここで過ごした時間が与えてくれました。

自然派系の食事も美味しかったです。

今度はキチンと泊りにも伺いたいです。

ここには、宿泊用のキャンピングカーがあるんですよねえ。


2021年2月20日土曜日

出雲路


この界隈は、古代出雲国の政庁や国分寺があった地域で、神話に出てくる地名があちらこちらに点在しています。

大きな通りからも離れているため、非常に静かで、たまに響いてくる農器具の動力音以外は、昔がそのまま閉ざされて残っているようです。

その雰囲気が大好きで、スパイダーをオープンにしてドライブした帰りには、ラストにこのあぜ道に車を止めて周囲の景観を写真によく収めました。

史跡の類が見える場所ではないのですが、おそらく道自体は奈良時代からあるようです。

不思議と立ち寄ってしまうのです。

被写体は車を中心に構えて、周囲に漂う空気です。

写真に閉じこめたい思いがありました。

写真は冬に撮影したものですが、夕暮れの朱色になっていくグラデーションが美しく、雪が溶けた水たまりまで、赤く染められていきます。

パワースポットの趣があるといいますか、自分も内面が満たされていくような気分がして、パワーが得られます。

しかし私以外は誰も来ないので、その類ではないと思いますが、個人的には「出雲路」に呼ばれていると思ってます。

歴史好きにとっては光栄の至りで、まだまだ出向く気がします。

2021年2月13日土曜日

川湯温泉


北海道の「釧路」と「網走」を結ぶ「釧網線」の途中に、この温泉はあり駅名になっています。(ただし、和歌山県にも同名の有名な温泉地があるので要注意。)

名前の通り、街の中心を温泉が川となって流れています。

泉質は強酸性で、釘も溶かすらしく、貴金属を身につけての入浴は禁止です。

公衆浴場にて入浴しましたが、バスクリンを入れたような、わずかに白濁した緑色の湯船にびっくりです。

仮面ライダーの悪のアジトにありそうな感じで、そのまま入っていいのか躊躇しましたが、思ったほど硫黄臭くもピリピリもせず、すっきりした肌ざわりでした。

気持ちよく堪能しましたが、ここからが心配です。

真冬の時期、しかも夜だったので店が空いておらず、時間をつぶす場所がありません。

かと言って、一面銀世界の中を散策するのも危険です。

仕方なく次の列車が来るまで、駅の待合室で小一時間過ごすことにしました。

凍えないか不安だったのですが、何と駅構内に足湯が内設されていました。

フォームの脇にあったため、降車したときは気が付きませんでした。

少し温めでしたが、そこで読書をしつつ有意義に過ごすことが出来ました。

うとうとしかけて、列車に乗り損ねそうになり、大慌てとなりましたが、楽しい記念になりました。

2021年2月6日土曜日

関東軍


近年、「坂の上の雲」が、年末の12月に3年間にわたって放映されました。

しかし作者の「司馬遼太郎」は、生前「戦争礼賛」につながるとして、映像化を承諾しなかったと言われます。

江戸時代だった「日本」が、欧米列強に侵略される危機感から「明治維新」を経て、富国強兵を押し進め、「日清・日露戦争」で大国「清・ロシア」に勝つわけです。

コロンブスの大陸発見から始まった、欧米発の世界征服の流れを、極東の日本が止めて押し戻す展開は、非常にドラマチックです。

特に「日露戦争」は近代戦争の先駆けであり、当時としては世界史上最大規模の戦争でした。

世界中が注目した戦争に日本が勝ったことで、一等国と認められる土台となりました。

ここで物語が終わってしまうと、本当に危うい気がします。

実際にこのときの「成功体験」が、日本をおかしな方向に導いたように思います。

写真は、「旅順駅」の近くにある「関東軍」の最初の司令部です。

2枚目の写真は、「旅順」の中心地に拡張移転した司令部で、まるで王宮のようです。

黄色とクリーム色の明るい色調が、逆に不気味に感じます。

教科書で習う「満州事変→満州帝国建国」は、この軍が主導で推し進めました。

親切なガイドさんの説明も、ココでは憎悪を抱いているように聞こえました。

今は廃屋で誰も使用してませんが、広大な敷地毎残されています。

「東鶏冠山」同様に、屈辱を忘れないための史跡だからだと思います。

日本も、様々な歴史的主張はどうあれ、戦争の反省に基づく取り組みを風化させてはならないと強く感じました。

隣国の動向を見ていると、平和を唱えているだけは、うまく収まるとも思えず難しいところです。