「山口県萩市」にある幕末の産業遺産は、世界遺産に認定されています。
その一つがこの「恵美須ヶ鼻造船所跡」です。
黒っぽい石積みの堤防が見事でした。
天気が良い日だったので、日差しの強さに科学反応するように映えて美しく見えました。
ロシアの造船技術による「丙辰丸」と、オランダの造船技術による「庚申丸」が建造されました。
この2隻は洋式帆船ですが、幕末にしばしば船名が登場します。
ペリー来航直後に、幕府は「大船建造禁止令」を撤回しました。
すぐに「桂小五郎」が藩に意見書を提出して「毛利敬親」が決定。
三年後にはこの施設が作られました。
黒船来航時に、密航しようとした「吉田松陰」の影響があるかもしれませんが、極めて実践的な動きでした。
既に洋式帆船を作っていた「伊豆」や、「海軍伝習所」のある「長崎」に技術者を派遣して、洋式技術と日本伝統の製鉄技術「たたら」を利用しました。
幕末に、攘夷思想が優勢となって混沌とした藩内情勢に陥っていく少し前の話です。
このあと他国の技術力を知っていながらの「関門海峡」での外国船砲撃に、理念先行の「長州藩」を感じてしまいます。
しかし蒸気船が主流になっていくため残念ながら閉じられましたが、技術習得に関する日本人の凄まじさを示す好例と思いました。