2022年4月30日土曜日

神威岬


北海道積丹町にある岬です。

「小樽」の西方に瘤のようにモッコリ出ている「積丹半島」がありますが、その海岸線にトゲのように突き出しているのがココです。

別の目的でドライブしてましたが、名前の格好良さに惹かれて立ち寄りました。

大ビンゴでした。

確か雑誌の絶景特集か何かで取り上げられていた岬でした。

そのときの写真でも凄さが伝わりましたが、実際はそれ以上でした。

地の果てに向かうような寂寥感が半端ありません。

最初の写真は、岬の中間地点付近からの撮影です。

尾根沿いに歩道が整備されていますが、険しいアップダウンは登山と変わりません。

足場の両サイドは切り立った崖で、その先は暗い海へと続いており、雲海より高いところにある山頂部のようです。

天候は非常に恵まれていてほぼ無風でしたが、本来なら荒天が多い地域なので、まさしく「神の威力」を体現する岬のように思えます。

岬の最突端に立つと、数羽の「鷹」らしき鳥が、優雅に舞うように飛んでいました。

海の先には島影もなく、その先は昔「渤海国」が存在したアジア大陸です。

この領域への興味がつきません。

自分も飛び立っていけるような不思議な感覚がしました。


上の写真は、軍の通信所施設跡です。

大陸に近い場所としては当然なのかもしれません。

2022年4月23日土曜日

梅小路蒸気機関車庫


ご存じの方も多いかと思いますが、京都駅西部にある扇型の機関車庫です。

今は「京都鉄道博物館」の開設に伴い、「梅小路蒸気機関車館」としてリニューアルされましたが、その計画以前から蒸気機関車を動態保存すべく、計画的に残されています。

令和の時代も実際に運営されている施設です。

写真は、いまも現役のターンテーブル全体を収めようと頑張ったのですが、スケール的に無理でした。

その円周に併せて扇形の車庫が存在し、それぞれの入り口に、珠玉の様々な形式の機関車達が並べられています。

家族連れも、歓声を上げながら記念写真に興じてします。

実は鉄道ジオラマの作成が、新たな趣味になってから初めての訪問でした。

「乗り鉄」の自分と比べると、「作り鉄」の自分は明らかに、蒸気機関車の微妙なそれぞれの特徴に目がいってしまいます。

全てが垂涎する代物であり、時間がいくらあっても足りません。

時間が限られた今回の訪問は、かなりフラストレーションを感じることになってしまいました。

また来れることを自分に言い聞かせながら、心を鬼にして一巡した次第です。

特に皇族の方々が乗車する「お召し列車」仕様については、実物の品格が段違いでした。

鉄道模型もチャンスがあれば購入して、次回の対面に備えたいと思います。

過去に何度か行っているのに、今まで以上に刺激の強い訪問でした。

2022年4月16日土曜日

安田城


漸くちゃんと伺うことが出来ました。

堀の水面に夕焼けが映え、まばゆい景色でした。

前回は夜の訪問になったのですが、地元の方々が提灯を張り巡らせて「祭り」を開催していたため、立ち入ることが出来ませんした。

この「安田城」は、富山県富山市の内陸部にある「連郭式平城」です。

後から造成されたように見えますが、当時の遺構をそのまま整備しただけだそうです。

戦国末期に、前田家の家臣が築き、徳川の時代に廃城にされたそうです。

「山城」だったら、そのまま残されているのは貴重とはいえ、数は結構あります。

(北陸は大規模な戦も多かったので、特に宝庫です。)

しかし戦国期の「平城」で、本丸・二の丸に加え、もう一つの三郭まで残っているのは、かなり珍しいです。

周囲の田畑と同化していたらしいですが、堀跡も郭を取り囲む幅広の土塁も、残存していたらしいです。

下の写真は駐車場からで分かりにくいのですが、道路の先の緑が、蓮が茂った堀です。

その先の丘が、土塁に囲まれた本丸です。

愛媛県からのドライブだったので、着いたのは夕方になりました。

芝生で覆われた土塁に立って眺めると、いい風に当たれました。

更にここから埼玉まで旅は続きます。

長い道中での、散歩も兼ねた休憩が出来た、城跡でした。


2022年4月9日土曜日

戸切地陣屋跡(へきりちじんや)


西洋式の星型要塞としては、函館の「五稜郭」が有名ですが、日本初はここ「戸切地陣屋」です。

名称を聞く限りはイメージ出来ず、半分疑って訪れたのですが、写真の説明版の通り「四稜郭」でした。

特に平野部に面した右下の一稜は、他よりも大きく造成されており、突き出した「槍」のようです。

下の写真はそれを横側から撮影したものです。

早朝だったので人気もほとんどなく、咲き始めた桜が澄んだ空気をより引き立ててました。

幕末の函館開港に際して、幕府の命令で「松前藩」が、今の「北斗市」に築きました。

確かに「函館」が外国勢力に攻略された際は、西方にある「松前」への侵攻を防ぐような高台に位置します。

しかし諸説ありますが、実際は「戊辰戦争」にて幕府側の「榎本軍」が、想定した反対の方向から攻めてきました。

「江差」に上陸して、西から東に向かって侵攻してきたため、先に本拠地の「松前城」が落とされたのです。

そのため防衛目的を失った守備隊は戦わずして火を放って、撤退しました。

賢明な判断なのですが、築城された使命として不完全燃焼で終わってしまいました。

現在は公園として機能は果たしています。

日露戦争の戦勝記念として、整備された大手通りは桜トンネルとして素晴らしいもので、じっくりと眺めながら帰りました。


2022年4月2日土曜日

大洲城


復元天守の「大洲城」ですが、現存していたときの古写真と、築城時の模型が残っていたことから、木造で忠実に再現された貴重な存在です。

全国の現存12天守に数えられる「伊予松山城」と「宇和島城」に加え、3つの木造天守が愛媛県に存在することになります。

他では有り得ない贅沢な環境です。

加えて、この天守閣に複数の現存する櫓と石垣を含めた城郭全体を、「予讃線」の列車から肘川を挟んで一望することが出来るのは、ご存じの方も多いかと思います。

乗り鉄であり、城好きの自身としては、両方を満たす景観としては全国でも一番です。

対抗馬としては岐阜県にある「犬山城」の川沿いの景観かと思いますが、角度がイマイチとなります。

写真は車窓からの景色ではありませんが、仕事で訪れたときに時間に余裕があったので、時間の調整がてら向こう岸の土手に立ち寄って撮影したものです。

春先のそよぐ風が本当に気持ちいいです。

城と桜の相性はどこでもバッチリかと思いますが、特定のポイントにこだわることなく、城郭全体が川にせり出した様子を、川沿い全体で楽しめる環境は全国屈指ではないかと感じています。