西洋式の星型要塞としては、函館の「五稜郭」が有名ですが、日本初はここ「戸切地陣屋」です。
名称を聞く限りはイメージ出来ず、半分疑って訪れたのですが、写真の説明版の通り「四稜郭」でした。
特に平野部に面した右下の一稜は、他よりも大きく造成されており、突き出した「槍」のようです。
下の写真はそれを横側から撮影したものです。
早朝だったので人気もほとんどなく、咲き始めた桜が澄んだ空気をより引き立ててました。
幕末の函館開港に際して、幕府の命令で「松前藩」が、今の「北斗市」に築きました。
確かに「函館」が外国勢力に攻略された際は、西方にある「松前」への侵攻を防ぐような高台に位置します。
しかし諸説ありますが、実際は「戊辰戦争」にて幕府側の「榎本軍」が、想定した反対の方向から攻めてきました。
「江差」に上陸して、西から東に向かって侵攻してきたため、先に本拠地の「松前城」が落とされたのです。
そのため防衛目的を失った守備隊は戦わずして火を放って、撤退しました。
賢明な判断なのですが、築城された使命として不完全燃焼で終わってしまいました。
現在は公園として機能は果たしています。
日露戦争の戦勝記念として、整備された大手通りは桜トンネルとして素晴らしいもので、じっくりと眺めながら帰りました。
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