2022年4月9日土曜日

戸切地陣屋跡(へきりちじんや)


西洋式の星型要塞としては、函館の「五稜郭」が有名ですが、日本初はここ「戸切地陣屋」です。

名称を聞く限りはイメージ出来ず、半分疑って訪れたのですが、写真の説明版の通り「四稜郭」でした。

特に平野部に面した右下の一稜は、他よりも大きく造成されており、突き出した「槍」のようです。

下の写真はそれを横側から撮影したものです。

早朝だったので人気もほとんどなく、咲き始めた桜が澄んだ空気をより引き立ててました。

幕末の函館開港に際して、幕府の命令で「松前藩」が、今の「北斗市」に築きました。

確かに「函館」が外国勢力に攻略された際は、西方にある「松前」への侵攻を防ぐような高台に位置します。

しかし諸説ありますが、実際は「戊辰戦争」にて幕府側の「榎本軍」が、想定した反対の方向から攻めてきました。

「江差」に上陸して、西から東に向かって侵攻してきたため、先に本拠地の「松前城」が落とされたのです。

そのため防衛目的を失った守備隊は戦わずして火を放って、撤退しました。

賢明な判断なのですが、築城された使命として不完全燃焼で終わってしまいました。

現在は公園として機能は果たしています。

日露戦争の戦勝記念として、整備された大手通りは桜トンネルとして素晴らしいもので、じっくりと眺めながら帰りました。


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