2022年11月26日土曜日

本阿弥光悦の庭


京都の「本法寺(ほんぽうじ)」にある庭です。

日蓮宗のお寺で、近隣にも同じ宗派のお寺が集まっています。

加えて、茶の湯「裏千家」の本宅を含めた関連施設に囲まれており、寺内町のような雰囲気が漂う独特な区域です。

「三巴の庭」と呼ばれるこの庭は国の名勝に指定されていて、作庭者はなんと「本阿弥光悦」です。

池と思われる囲いの石組みに、エッジが効いている感じは如何にもですが、周囲とのバランスを考えると、どうにも空虚です。

そもそも底が浅くて水もなく、本来どんな風に使っていたのか謎です。

「光悦」自身がここに座り込んで、刀でも研いでいたらカッコいいと妄想しましたが、さすがにお寺でそんなことするとも思えません。

往時とは随分違っているのかもしれませんが、何を表現しようとしているのか、謎を突き付けられたような感覚を受けた状態で、見学が終わってしまいました。

その代わりに「長谷川等伯」の「大釈迦涅槃図(重文)」を順路のラストに拝むことが出来ました。

こちらは2階から吊るすくらい大きく、わかりやすい構図で、見応え十分な迫力に感動しました。

でもスッキリしません。

水と油を一緒に飲んだようで、またリベンジのため性懲りもなく再訪しそうです。

2022年11月19日土曜日

元寇跡


「下関」に有名なゴルフ場があります。

かなりの名門で、服装とかも細かい指定があります。

ミスショットしても打ち直しのみで、前進出来る救済ルールの類はなし。

移動も乗車可能な電動カートはなく、歩きのみです。

下手な自分は無事に帰ってこれるのかとドキドキしながらラウンドしました。

スコアは相変わらずでしたが、天気にもメンバーにも恵まれて、自分にしては少し優雅な気持ちでプレー出来ました。

海岸線に沿うように設計されたコースで、間近に海を感じながら、白砂青松の中を散歩しているようでした。

その松林が各コースを仕切る柵のような存在なのですが、少し土手になったところに、立て看板があるので何かと寄ってみると、「元使首掛松遺跡」と記されています。

「首をかける」とは、おだやかではありません。

読むと、「元冦」前に日本に降伏を要求してきた元使一行が、この付近に上陸したそうです。

幕府の本拠である「鎌倉」に赴いた一行以外の40名は、この地に留め置かれましたが、幕府は徹底抗戦を決意。

そのため使者の定めとして、両方とも全員処刑されました。

ここで斬首された首は、周囲の松にかけてさらされたのでこの名がついたようです。

そして、来るべき侵攻に備えたため、この盛り上がった土手は「元寇防塁」の名残だそうです。

霊的な気配を感じることはありませんでしたが、何となく木陰は避けるようにラウンドしました。

首筋に風でも吹いたらたまりません。

ただでさえ真っ直ぐに飛ばないショットが、もっと変な場所に飛んでしまいそうです。


2022年11月12日土曜日

東福寺


京都五山第四位の東福寺です。

紅葉で有名な京都でも「通天橋」からの景色は、第一位の観光ランキングかと思います。

ツアー客に占有されているのか、普通に寄っても紅葉の時期は入場制限があって入れません。

今年は台風が上陸しなかったので、葉も痛まず素晴らしい紅葉が各地で観賞出来たはずですが、コロナの影響でどうだったのでしょうか?

この写真の時期は、逆に台風の当たり年だったと記憶してます。

写真は「臥雲橋」から向かいに見える「通天橋」と「本堂」を撮影したものです。

ここは一般道なので、無料で渡ることが出来ます。

それなりに混んではいますがまだマシかと、向こうを眺めながら確認します。

実際、終わりかけの時期だったこともありますが、葉の一つ一つの痛みは激しいようです。

しかし、渓谷「洗玉潤(せんぎょくかん)」を紅葉で埋め尽くすべく、他の木は伐採しているため、お互いの赤を赤で補い合って、混じり気なしの「朱色」が展開されてました。

最大規模の紅葉ゾーンでありながら、ココは年ごとの当たり外れがそんなにないなと感動しつつ、立ち止まらないように写真を撮りました。

2022年11月5日土曜日

倭寇の城跡


「勘次佐ヶ城」、「かんじがじょう」と読むようですが、長崎県五島列島「福江島」にある「和冦」の城跡です。

中国王朝「明」の時代に中国の海岸を荒らしまくったと、教科書で習いました。

「日本人」主体の武装した密貿易商人にから、「中国人」主体の海賊へと変遷していった話を聞きますが、実態はよくわからない部分も多いそうです。

実際に訪れると、囲まれたように石塁は残っていましたが、城というよりは、前者の密貿易品の倉庫だったようです。

当時、政府公認の「勘合貿易」以外は、すべて「密貿易」になってしまうので、不正行為とは言い難い商行為でした。

ここは日本の最西端であり、眼前の「東シナ海」の先に中国本土があります。

中継地としては最高の立地です。

しかし写真は、後者のイメージに近い海賊像となっており、何となく間の抜けた雰囲気が漂っていました。

同じ島の町中には、和冦の大頭目「王直(この方は中国人)」の拠点であった「明人堂」や「井戸」とかの、前者に該当する史跡が残っています。

前者側にテーマを集約して、観光アピールするほうがと良いのでは、と考えてしまいました。

何にせよ、ココからの大海原の景色は、どこにでも行けそうな気持ちになり、旅心地としては最高でした。