「勘次佐ヶ城」、「かんじがじょう」と読むようですが、長崎県五島列島「福江島」にある「和冦」の城跡です。
中国王朝「明」の時代に中国の海岸を荒らしまくったと、教科書で習いました。
「日本人」主体の武装した密貿易商人にから、「中国人」主体の海賊へと変遷していった話を聞きますが、実態はよくわからない部分も多いそうです。
実際に訪れると、囲まれたように石塁は残っていましたが、城というよりは、前者の密貿易品の倉庫だったようです。
当時、政府公認の「勘合貿易」以外は、すべて「密貿易」になってしまうので、不正行為とは言い難い商行為でした。
ここは日本の最西端であり、眼前の「東シナ海」の先に中国本土があります。
中継地としては最高の立地です。
しかし写真は、後者のイメージに近い海賊像となっており、何となく間の抜けた雰囲気が漂っていました。
同じ島の町中には、和冦の大頭目「王直(この方は中国人)」の拠点であった「明人堂」や「井戸」とかの、前者に該当する史跡が残っています。
前者側にテーマを集約して、観光アピールするほうがと良いのでは、と考えてしまいました。
何にせよ、ココからの大海原の景色は、どこにでも行けそうな気持ちになり、旅心地としては最高でした。
0 件のコメント:
コメントを投稿