幼少の頃、親戚が家にやってきて、たまにお土産に頂く「土佐日記」というお菓子が、大好きでした。
本のようなデザインで、片側開き出来る箱に入っていて、おもちゃ箱にして遊んでました。
文学作品に由来があることを知ったのは、小学生の高学年になってからだと思います。
作者は平安時代の貴族である「紀貫之(きのつらゆき)」です。
土佐国における行政官トップである「国司」として、現地にに赴任しました。
作品自体は、その任期を終えて京都に戻るときのエピソードを中心に、冗談も交えて仮名で記されています。
それだけでなく、在任中に娘を亡くしたため、哀愁漂う歌も挿入されていたりして、情感の幅が広い作品です。
そのため、この後に誕生してくる「紫式部・清少納言」等の女流作家に大きな影響も与えていると言われています。
写真は、彼が住んでいた「国司館跡」です。
天気は曇りでしたが、愛車「ムーザ」のチョコレート色と白い砂浜のような駐車場が妙にマッチしていました。
冬で寒いのですが、涼やかな心地がした次第です。
行政府である「国衛」もそばにあって、ここが土佐国の中心地でした。
高速道路の南国インターを降りて、すぐ南側に位置します。
内陸ですが国分川がそばにあって、海からも水路でたどり着ける場所です。
今の高知市の中心街は、「関ヶ原の合戦」後にやってきた「山内氏」が整備したことを考えると、今とは随分様相が異なると思います。
しかし車を停めて散策すると、古びた小学校がある以外は、お寺や田畑しかありません。
往時の雰囲気がそのまま残っているような気がしました。
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