広島県福山市にある「福山城」。
何度も訪れていますが、最初の出会いは偶然かつ衝撃的でした。
大学受験のときです。
このときは「瀬戸大橋」がまだ開通してませんでした。
そのため当時は、海路にいろいろなルートが存在し、地元「新居浜」と「福山」を結ぶ水中翼船のルートがありました。
父親の引率で、まだ真っ暗な早朝に「新居浜港」を出発したのを覚えています。
録音したラジオを聴きながら、参考書を片手に、「ながら勉強」をしてましたが、到着前に日の出を迎えました。
神々しく海面が照らされるのを眺めながら、幸先の良さを感じた次第です。
「福山港」に着いて、新幹線に乗るべく「福山駅」に到着。
そしてフォームに上がってビックリです。
道路を挟み、城の高い石垣が隣接していました。
「天守閣(再建)」や「伏見櫓(重文)」の構造物が、新幹線のフォームと石垣の高さが近しいため、水平に近い角度で展望出来ました。
こんなアングルで、お城を眺めるのは初めてです。
行きたかった城をサプライズで眺められ、ラッキー度が上がってきている気がしました。
不安定な自分の学力に、運気を呼び込めるよう天守閣に手を合わせたのを思い出します。
その後は、親にはいろいろと叱られましたが、何とか浪人しないですみました。
写真は、社会人になって「青春18切符」でウロウロしていたときに撮った一枚です。
近世城郭としては最終期の築城となりますが、有名な城主として、幕末の老中首座「阿部正弘」がいます。
激務も祟ったのでしょう。
39歳で亡くなってしまいますが、「黒船来航」以降の、幕府近代化に向けての様々な取り組みを行いました。
維新を迎えて、朝敵となってしまい、新政府軍との戦場にもなりますが、天守閣を中心とした本丸は、現存してました。
しかし第二次世界大戦の空襲で消失。
その後、文化ゾーンとして憩いの場となっています。
振り返ると、受験のときに拝んだことは、何かにあやかれていたような気がします。