2024年6月29日土曜日

セリヌンテ


なんと大晦日に、道に迷って夜遅くにペンションみたいな宿に到着しました。

迷う客が多いみたいで、店の主人は自然体です。

なんの文句も言わず受付してもらえました。

新年になったのを時計の針で確認した後眠りにつきました。

今日は、イタリア南部から南西部にかけて巡ります。

丁度、島半周したところです。

ここからは古代ギリシャの遺跡が数多く残っている地域となります。

明け方から「アグリジェント」をドライブしましたが、〝狂気〟と言われるほど数多くの神殿が残っています。

いちいち車から降りることもなく、ライトアップされ、保存の行き届いた神殿の街並みを堪能出来ました。

その後に「セリヌンテ」へ。

ここにシチリア最大の神殿群があり、インパクトが半端ありません。

が、それ以外は他民族による破壊や、地震による倒壊を受けて、そのままに放置されたままでした。

考古学公園と称されても、ただの原っぱです。


石柱に向かってぼんやり歩く程度でしたが、黄色のタンポポが咲いていて、妙に惹かれました。

また、何より嬉しいのは、漸く天気が回復したことです。

昨日と打って変わっての快晴。

海にも近い高台なので、地中海が綺麗に見えます。

神殿跡の背景に、空と海の青が刺さってきます。

ギリシア・ローマ・カルタゴ。

巨大な覇権争いが渦巻いた場所であることを実感しつつ、少し雄大な心持ちになりました。

自分は何の関係もないけど・・・。


石の残骸に、強者どもが夢の跡、を感じました。
 

2024年6月22日土曜日

ラグーザ


2日目のラストは「ラグーザ」です。

夕刻になると風はありますが、雨の心配はなくなりました。

ここも先述の大地震の影響を受けて、大規模な都市計画のもと、後期バロック様式で復興されました。

周囲の環境や空間、光までも計算に入れて、視覚効果を意識し、道路や階段をゼロ発で再建したそうです。

そのため街全体が巨大な舞台装置とも例えられ、復興地域一帯が世界遺産に認定されてます。

大晦日ということもあり、街路の路頭上には雪の結晶や雪だるまを象った電飾プレートが吊るされていて、お祭りムードが漂っています。

そんな街の中心地を抜けて、丘の街「イブラ地区」を目指しました。

その眼前に広がった景観が写真の一枚です。

夜の帳が下りる直前でした。

まさしく舞台装置さながら、CGを観ている様な、現実とは思えない錯覚を覚えました。

そのまま街中に入ると、お店の類は残念ながら閉まっていました。

旅を通じて誤算だったのは、年末年始は閉店が多く、食事に困ったことです。

コンビニもないので、朝食時に残しておいたパンとリンゴが夕食かと失望しつつ、少しだけ散策しました。

誰もいないせいか、より周囲を敏感に感じます。

軒下の装飾過多とも思えるバロック様式の彫像が、いちいち奇想天外でした。

とにかく人の顔が多いです。

寓意の意味合いが込められているのでしょうが、人物の表情は変顔になっていて、どこかふざけています。

観客というか、野次馬として今にも騒ぎ出しそうです。

照明のような街灯に照らされて、光と影のコントラストが際立ち、舞台に迷い込んだような不思議な気配を感じました。

人がいたら味わえない、ミステリアスな空間を堪能しました。

しかし、良き旅の刺激と感動はたくさん頂いているのですが、空腹です。

年越し蕎麦どころか、パスタにすらありつけない今年の最後となりました。

コンビニに慣れた日本ではあり得ないことです。


 

2024年6月15日土曜日

ノート渓谷


ここのバロック様式はスゴい。

との評価を聞きつけ、渓谷沿いの街並みを向かいます。

雨もほぼ止んで、虹が半円に綺麗に見えました。


本当に街並みが全てバロック様式。

クリーム色に見事に統一されてます。

しかし、長い歴史の中で、様々な建築様式が重ねられ、時代の多重性を醸し出すイタリアの街並みとしては異様に感じます。

それは衝撃的な理由でした。

1693年の南東部を襲った大地震で、街が崩壊したのです。

イタリアは、実は日本同様に地震が多い国です。

この峡谷で地震が起これば、全滅に近かったと思われます。

多くの死者を出しつつも、その後バロック様式の建物で、街は復興されました。

そのため山間部とはいえ道路は広めです。

散策しながら遅めの昼食をバールで頂くことにしました。

大晦日のせいか、周囲は店を閉め始めており、結構混んでました。

やる気もなく、出されたハムチーズサンドは冷え切ってます。

残念な気持ちで、外のテーブルに座ったのですが、嬉しいことに「ランチア・テージス」を発見しました。

写真の通り、通りの目立つところに、鎮座してました。

当時のランチアブランドの旗艦車種です。

背景のクリーム色の建物と、濃紺のボディが非常にマッチしています。

この車が売れず、ランチアは衰退に向かうのですが、落ち着きのある見た目は最高です。

エンジン仕様の問題が、車格の比較競争にマッチングしなかったかと、悔しい限りです。

ただ、このときはコイツが当てとなり、少し優雅な食事に変貌しました。

イタリア本土で眺めるイタ車はたまりません。

2024年6月8日土曜日

シラクーサ


旅の2日目はあいにくの大雨でした。

そのうち回復することを期待しつつ、城砦都市「シラクーサ」に向かいました。

シチリア島も南側になってくると、ローマ帝国の遺跡に加えて、それ以前のギリシャ文化の息吹を感じます。

ここは大ギリシャの一大拠点だった街で、北側の高台の遺跡にはローマの円形競技場と、ローマの扇形劇場の遺跡が並ぶように残っていました。

特に劇場は、一万五千人の観客が収容可能で、今も現役です。

世界的な演劇が、今も開催されているらしいです。

世界文化の中心を成した存在なのだと、実感します。

南部の町は「オルティジア島」にあり、この島はまるまま総囲いの城塞です。

陸地と橋で繋がっているので、車で渡りそのまま市街地を当てもなくグルグル走りました。

外周を走ったときは、外壁の上を走っており、荒れたイオニア海を見ていると、ローマ帝国時代のガレオン船がやって来るようでした。

先日観た映画「インディ・ジョーンズ 運命のダイヤル」のラストシーンが、ここだったのに驚きました。

写真の通り、そのまんまの景観が残っています。

岩礁に当たって砕かれた波が、海をエメラルド色に染めているのが印象的でした。

また石畳の縦列駐車された路地を通り過ぎるとき、今回のレンタカーが大好きなランチアであることに、改めて感謝です。

マニュアルでクイックにシフトチェンジして走り出すと、イタリアという本来の故郷で、車の味わいが石畳越しに伝わってきて、テンション上がりまくりでした。

イタ車冥利につきます。


 

2024年6月1日土曜日

タオルミーナ


初日の午後からは、映画「グランブルー」の舞台となった「タオルミーナ」に向かいました。

午前中は快晴だったのですが、だんだん雲行きが怪しくなってきました。

海も「ティレニア海」から「イオニア海」に変わりましたが、少し時化だ感じで残念です。

写真のロケ地となった美しい小島「イソラ・ベッラ」を観ても、華やかさが伝わってきません。

すぐ右側の入江沿いに舞台となったホテルと、主人公ジャックとその恋人、ジャン・レノ扮するエンツォが談笑しながら、シーフードパスタが供された店があります。

が、冷凍物で不味いと不評な話が多かったため、眺めるだけにしました。

海への期待は早々に諦めて、市街地に向かいました。

今日はここで宿泊です。

荷物を置いて、夕食がてら外に繰り出しました。

小さな街ですが、年末の催し物とかやっている最中でした。

街中がライトアップされていて、石造りの外観が、日中以上に華やかです。

教会に入ると、ゴスペルの生演奏をやっており、鑑賞自由とのこと。

内部の長椅子に腰掛けて、天井画を眺めていました。

いよいよ明日は大晦日です。

年末特有の高揚感はここも同じなんだと、少しラッキーな気分になりました。