写真は、三代目の「ランチア・デルタ」です。
ちなみに「デルタカフェ」に鎮座しているのは、初代モデルの最終型になります。
それなりに魅力的な車なのですが、名前から彷彿させるイメージの踏襲はほとんどなく、別の車名にしたほうがマーケティングとしては成功したのではと思います。
「ランチア」は本当に販売戦略が下手で、着実に消滅に向かっている時期でした。
「マセラティ・クアトロポルテ」が1か月で入院状態になり、急遽代役として頑張っていた「アルファロメオ147」もシフト故障で買い替えるしかなくなった末の購入でした。
当時の勤務地である山口県は、オフィスが県の最西端に位置する「下関」にあることもあって常に半径での移動を強いられました。
企業群は山口県東部に多く、「岩国・柳井」方面を回って帰社すると、走行距離500キロを超えることになります。
毎月3000キロ前後を走ることになり、短命だった「アルファロメオ147」も約9か月で3万キロ近くまで走ってました。
よく頑張ってくれたと、あらためて感謝です。
早馬を飛ばすが如く、次の次に乗り換えたのが、この車です。
予算がないので、いつもお世話になっている京都のお店に、何か面白い下取車がないかと模索していると、コイツに当たりました。
実は、一度購入を検討したことがある車種ですが、車格が大きいことが支障となり、家族の乗りやすさを踏まえて、「ランチア・ムーザ」を選びました。
そのときはガソリン車でしたが、今回は初めてのディーゼル車になります。
借りていた代車を京都まで返しつつ、この車を受け取って「千里万博公園」に向かいました。
「ラーメン博」が開催されていたからですが、数種類のラーメンを満喫しつつ、そのときの夕暮れ時の空がとても爽やかでした。
「太陽の塔」も添えて最初の一枚を撮った次第です。
「太陽の塔」は地下も含めて顔が4つあるのですが、個人的にはこの背後の顔が一番好みです。
しかし不思議な縁で、約2年後に同じ風景が拝める場所に勤務することになりました。
今、下の写真を見ると、このとき伝えられたように感じます。
予言者みたい。