2016年6月25日土曜日

トワイライト&カシオペア


鉄道旅行はいつも貧乏な話ばかりですが、今回は違います。

この写真は、念願かない「大阪」と「札幌」を結ぶ豪華寝台列車「トワイライトエクスプレス」に乗車して、早朝に「函館駅」の手前で、「東京」方面に向かう同じく豪華寝台列車「カシオペア」とのすれ違いを撮影したものです。

とうとう両方とも定期運行が終わってしまい、「カシオペア」はタイムアップ、乗車出来ませんでした。

豪華周遊旅行の企画では、まだ運行されるそうですが、イマイチ興味が持てません。

「ブルトレ時代」も終焉を迎え、「夜行列車」を中心に旅を組み立ててきた「鉄道の旅」も大きな転換点を迎えました。

個人的には、イギリスのEU離脱に匹敵するレベルです。

このときは大阪在住で、夏休みに嫁さんの実家がある埼玉に帰省する予定でした。

しかし「トワイライト」往復チケットが奇跡的に手に入ったので、わざわざ北海道一泊で大阪に戻ってから、再び車にて埼玉に向かいました。

疲れましたが、くだらなくて楽しい旅でした。

が、この写真を見るたびに、「翌日はカシオペアに乗っていれば。」と、予約困難で乗車はほぼ無理なのに、勝手に夢想してしまいます。

しかし往復も絶対外せませんでした。

これからも思い出しては、イチイチ悩む光景だと思います。


2016年6月18日土曜日

船上山


鳥取県伯耆大山を中心とする山々の一部に「船上山」があります。

鎌倉時代末期に「隠岐島」へ流された「後醍醐天皇」が、打倒鎌倉幕府の名の下に島を脱出し行宮を構えたところです。

下から見ると山の上に船があるように絶壁が見えます。名前の通りの光景で驚きました。

ここに自陣の幟(のぼり)が立つと押し寄せた相手への威圧感は抜群です。

このあと始まる南北朝時代も含め、この時代の山城は皇室の威光を受けて、非常に華やかに感じます。

京都・奈良県境の「笠置山」や「吉野山」、福島県の「霊山」などは、辺鄙な山奥でもここが中心地であることを主張しています。

石垣とかほとんどありませんが、政治を前提に行宮が置かれているせいか、縄張り以上の奥ゆかしい配置を感じます。

この山から海辺へ降りたところに、忠臣「名和長年」を祭る「名和神社」があります。

更に海の「隠岐島」に続く地理的な展開がダイナミックです。

ここから鎌倉幕府は滅亡に向かいます。

2016年6月11日土曜日

パンダのある風景


主役として撮影してませんが、日頃の仕事や単独行動の足となっているのがこの初代「フィアットパンダ」です。

イタリア人の「ジウジアーロ」という人がデザインした車で、デルタカフェに鎮座している「ランチアデルタ」も、デザイン上はこの派生モデルに過ぎないと思われます。

イタ車の良い・悪いは、マシンとしての性能よりもデザイン評価によるところが大きいです。

この写真はたまたま鄙びた城跡の景色ですが、どんな場所でも洗車さえしていれば、まあまあ絵になり車の普遍的な機能美を感じます。

セレブな人にも「あきれている人」と「敬意を示してくれる人」に極端に別れますが、概ね良好です。

大好きでずっと乗っていたいのですが、もう「ある部品」がありません。

そこが壊れたらこの車は終わりと余命宣告されています。

先日そこの調子がとうとう悪くなって終わりかと覚悟したら、なんとか回復しました。

それ以来、エンジンをかける度に祈りながらキーを回します。

「わび・さび」は大げさかもしれませんが、「一会一期」を実践しています。

あ、「さび(錆)」は車にいっぱいありました。


2016年6月4日土曜日

復興の象徴


早朝の「広島城」です。朝日に輝いています。

コンクリの再建天守で、文化価値が乏しいせいか意外と知られていません。

しかし原爆で失ったかつての面影は明確に再現してします。

広島は宮島も含めて、古くから西国の要として現在に至っている気がします。

戦国時代を勝ち残って、山間部から平野に進出してきた「毛利氏」の居城であり、近代になっても「大本営」が設置された場所でした。

城内を訪れると本来の縄張りよりも、帝国陸軍の印象が強いです。

ここで痛ましいのは、原爆の熱線で溶けて丸くなっている石垣です。

焼けるのはわかりますが、正直なところ石が溶けるという凄まじさを実感出来ません。

いろいろ妙なところへ行っていますが、原爆ドームだけはまだ勇気がなくて行けません。

しかし壊滅時、草木が100年は生えないとまで言われた状態からの復興、古写真と変わらない形で復元された「広島城」はその象徴なんだと眩しく感じます。