写真は「鳥越城」の再建された「石垣・門・櫓」です。
北陸地方の「一向衆」による最後の拠点がここで、旧鳥越村(白山市)にあります。
中興の祖「蓮如」が、応仁の乱頃に福井と石川の県境にある「吉崎」の地にて御坊を構えたところが本格的なスタートで、「惣村」単位での発展策を推進します。
「個」は先になく、「坊主・年寄(としより)・長(おとな)」を運営者として、村ぐるみで門徒化していきました。
これに武士門徒も加わり、短期間で「教団化・武装化」が進み、自己の政治的・社会的地位の保持を求めて、領主・他宗派との武力闘争が展開されます。
最終的には守護大名「富樫氏」を滅ぼし、その後「加賀国」を合議制にて約100年間支配しました。
布教の拠点が出来てから支配体制確立まで、たったの約17年です。
「金沢城」も途中から北国総本山となった「金沢御坊」が基礎となっています。
(ちなみに総本山は大阪の「石山本願寺」で、現在の大阪城があるところです。)
しかし末期には、織田方の北陸方面総司令官「柴田勝家」の軍勢に攻略されていきます。
手取川上流の白山方面へと、どんどん奥地に追いやられていく中、この地にて軍事力としては収束してしまいました。
撮影ポイントに立つと逃げ場のないもの悲しさが漂っているような気もしましたが、基本的には「戦い」の気配しか感じませんでした。
宗教施設としての要素はなく、単純に城の遺構です。
「宗教存続」と「武装解除」は戦国史において別物と思いました。
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