写真は、「坂本龍馬・脱藩の道」で有名な「檮原街道」にて撮影しました。
このまま標識を辿って行き、県境(当時は国境)である「韮ケ峠」まで無事到達出来ました。
ここから長浜まで出て九州へ向かい、「龍馬」は大いなる決意を秘めて「明治維新」に向かっていくわけです。
その偉大さを十二分に感じた旅でした。
と、言いたいのですが正直なところ、この方の「人物像」が未だにわかりません。
数年前に戦争をした藩同士が「倒幕」を目的として手を結ぶ「薩長同盟」は、「明治維新」の数々の局面の中で「神の一手」だと思っています。
当然その仲介役としての立場は歴史に名を残すにふさわしいです。
しかしその「成果」が、本来先にあるべき「人望・人格」を後付けで決めている気がしてなりません。
成功した例がほとんどないケースでも、そのわずかな「成功」の行動原理だけが、絶対的な秘訣のようにクローズアップされてしまう最近の風潮で、更にバイアスがかかってきているように感じます。
数多く出版されているノウハウ本にも同様に感じていて、あの妙な脅迫観念は何とかならないものでしょうか。
正直怖いです。
何故撮影ポイントをここにしたかというと、山影の湿った雰囲気に「龍馬の心細さ」を何となく感じたような気になったからでした。
(当時は舗装道路でもないので街道の雰囲気自体が全然違うはずで、これもかなりいい加減な見解ですが・・・・。)
ファンの方すみません。
同じ四国出身の身としては恐れ多いことと重々承知しているのですが、「長崎」や「京都」の龍馬関連の史跡をウロウロしても、未だに実感出来ていないことなのです。
0 件のコメント:
コメントを投稿