2018年9月29日土曜日

高桐院


以前「小倉城」を取り上げた際、少し話題に出しました「高桐院」。

行ってみたいと思いながらも正確な場所を押さえておらず、「大徳寺」にある別の塔頭に向かっているとき、たまたま見つけました。

最初通り過ぎたのですが、入り口の手入れされている苔の雰囲気が半端ないのです。

どうしても入りたくなって引き返し、パンフレットを貰って初めて気づきました。

しかも家族一緒の「偶然」にちょっと感激です。

冬なのに雨が降っていて、苔の緑が透き通るような新鮮な輝きを放っています。

家族みんなでデトックス出来た素晴らしい空間でした。

写真は本庭園の有名な石灯籠です。

平面の苔庭にぽつんと立っていて、周囲に石畳等の境界線がありません。

薄目の苔が周囲に広がっていく中だんだん土っぽくなっていく感じです。

幽玄さが漂います。

又、「松向軒(しょうこうけん)」という有名な茶室もあり、「細川忠興」の「わび・さび」へのこだわりが伝わります。

茶道の世界は全くの無知ですが、「利休」高弟の中で最も純朴に「利休らしさ」にこだわっていたと言われることに納得出来ます。

しかし一番感心したのは、この状態を管理している方々の努力です。

まだまだ創建当時を凌駕して発展しているのかもしれません。

生きている気がしました。

2018年9月22日土曜日

剣山スーパー林道


過去に何度も走破したくて行っていました。

しかし台風だったり、まだ向かう道中なのにパンクしたり、突然通行止めになっていたりと、ドライブ運が悪くずっと断念していました。

今回は気持ちを持ち直して、通行止めの標識があっても行けるところまで行ってみようと、徳島「四季美谷温泉」一泊の家族旅行として腰を据えて、再チャレンジしました。

宿の方に道路状況を教えてもらうと、今まで通ろうとしていた高知・徳島県境の「四ッ足峠」近くの西側入口は通行止めのままで、再会の見込みが立っていないとのこと。

実際のところ、宿に行く前にチャレンジした「四ッ足峠」ルートは、通行止の標識を強引に進むも、大きな柵に阻まれて引き返す羽目になりました。

しかし翌日は、写真の東側入り口から剣山の手前までは、頑張って走破出来ました。

舗装路はごくわずかで結構ぬかるみも多く、前輪駆動の車でよく乗り切れたと思います。

道中ではバイクのオフローダーが多く、背後に気がつけばすぐに避けたりしたのですが、タイムでも計っているのか「遅えんだよ。」と怒鳴られる始末。

別の意味で厄介な道だと痛感すると同時に、どうも嫌われている旅路のようでした。

まあ何とか曲がりなりにも達成感が得られたので、これで気持ちが沈静化しました。

あとは、後部座席にいる車酔いの奥様の気持ちをどう収めるかです。



2018年9月15日土曜日

格納庫


松山空港の近くに、戦時中の飛行機用の格納庫を兼ねた防空壕があります。

戦闘機が見えていれば、空襲の際に標的になってしまうため全国各地で作られたようです。

旅をしていて偶然見つけることがありますが、ほとんどが朽ちかけています。

良好でも空間に農機具が放り込まれて、土まみれ埃まみれに雑に使われている感じです。

当時飛行場であったであろう周辺は農地に転用されており、そのまま仕方なく活用されているのだと思います。

しかしここのは、写真をみると空間をうまく塞いで小屋として活用しています。

壁の色合いも良くお洒落です。

農機具や作物を収納しているのかと思われますが、実際のところはわかりません。

想像がむやみにかき立てられます。

私なら絶対に車のガレージとして使用したいと思いました。

思ったより空間が大きければ、「デルタカフェ松山店」でいけるかもしれません。

松山は太平洋戦争末期に、最新鋭機「紫電改」が開発され飛び立った場所です。

「ひょっとしたらここに格納されてたかも。」と考えると、自分も田畑で何か面白いことが出来ないかとワクワクしてしまいました。

この好奇心をフル活用して、実家の農地で今後負けじと何かやってみたいです。

2018年9月8日土曜日

淡路要塞


春先か秋晴れのとき、ピクニックにでも使用すればよさそうな円卓ですが、軍の砲台跡をコンクリートで固めたものです。

上から見ると円の形が、明瞭にその痕跡を残しています。

イスも加えると十字架みたいな配置で墓標にも見え、静かな太平洋を背景に空虚な雰囲気が漂っています。

ここは「由良要塞(ゆらようさい)」跡です。

淡路島の東南端に位置し、紀伊水道から大阪方面へ侵入する敵艦隊を阻止すべく築かれた近代要塞です。

淡路島は瀬戸内海での防衛上、重要な位置にあるため、どの先端にも本州・四国と海を挟む形で両岸に要塞が築かれました。

しかし交通の要衝でもあったせいか取り壊されているものが多いです。

例外として辺鄙な場所にあるため、この要塞だけはかなり綺麗に残っています。

赤レンガで築かれた武器庫等の遺構は見事です。

ここのみならず「大日本帝国」は海防の危機意識から明治・大正期に全国各地に同様の要塞を築きました。

しかし幸いにも太平洋戦争まで本土が攻められることはなかったので、実戦での活用は一度もありませんでした。

昭和の時代になると、明治・大正期の設備は旧式過ぎてそのまま使用を放棄され土に還っていく雰囲気が漂います。

自分の大好きな閉鉱された鉱山に似た風情です。

今後、本格的に「城巡り」に続くジャンルとして取り組みたいと思っています。

2018年9月1日土曜日

神岡鉄道


今は廃線となった「神岡鉱山鉄道」の終点「神岡駅」からの夕暮れです。

以前に完乗していたのですが、すぐの折り返しで戻ってしまったので「駅」自体をしっかり見学出来てませんでした。

それで今回は、あえて車で立ち寄ったのです。

駅のフォームに向かう際、学校のプール場とかで見かける半地下の薄暗い着替え室のような、長い通路を通りました。

湿ったコンクリートのカビた臭いと何故か塩素のような薬品臭も漂っていて、ただならぬ雰囲気です。

個人的なレーダーも少し反応しています。

ただヤバいほど感じなかったのと廃線が決まっていたので、ここが見納めと勇気を出して進みました。

何とか無事フォームに到着しました。

・・・よかったです。

今こそ「ニュートリノ」に関する光電子倍増装置の「スーパーカミオカンデ」で有名な土地柄ですが、一昔前は教科書に登場した公害「イタイイタイ病」が発生した地域です。

「神岡鉱山」が流れ出たカド二ウムが「神通川」流域を汚染したのです。

工場より立ち上る煙を眺めつつ、怨霊がついてこないようにと、何故かフォームに祀られている写真の「大黒様」に手を合わせました。

「鉱山」・「公害」・「廃線」。

かなり怖い組み合わせかもしれません。