2019年3月30日土曜日

広瀬公園


新居浜市にある「広瀬公園」の桜です。

散った桜が丘を埋め尽くし、上も下も桜満開で素晴らしいです。

桜の名所は数多くありますが、何よりもタイミングが大事です。

この写真もわざわざ観に行ったわけではなく、顧客訪問の帰りにたまたま通りかかっただけの幸運でした。

風が強かったり雨が降ったりしていたらお目にかかれなかったでしょう。

ここは「別子銅山」中興の祖と言われている「広瀬宰平」の邸宅跡であり、建物は国重要文化財の指定を受け、記念館として公開されています。

往事の実業家の賑やかな生活を階間見ることが出来て非常に貴重です。

新居浜に住んでいたときには県外から知人や顧客が来ると、真っ先にここを案内して「別子銅山」の説明をしました。

この銅山は、「住友家」が運営していていましたが、幕府直轄地である「天領」にありました。

そのため「明治政府」になって国に接収されるのを防いだこと、つまり国有化を免れて民営路線を続けられたことは、宰平の手腕が大きかったと言われています。

この難局を乗り切ってなければおそらく「住友財閥」は誕生していません。

その自負がこの公園からは感じられます。

屋敷の2階からは、足元に広がる桜越しに新居浜が遠望出来ますが、まさしくその景色は象徴的です。

昔から新居浜は「鉱都→工都」と呼ばれる所以を感じます。

2019年3月23日土曜日

海津大崎


琵琶湖の湖北を取り上げた「マキノ」の続編です。

やはり「デルタカフェ」のコンセプトに大きな影響を与えた景観を紹介しないわけにはいきません。

湖に接する「近江33ヶ寺」の9番札所「大崎寺」のすぐ近くにあり、湖岸の船着き場両脇にある古民家を改築したものです。

写真は早朝に撮影した一枚です。

「カフェ」になっている古民家のテラスから眺めた琵琶湖です。

湖岸の古くて大きな石垣が美しく長くアーチを描いて続いています。

朝日に少し赤く照らされていて石垣フェチにはたまりません。

この空間に浸ったことで「古民家カフェ」をやりたいと直感的な構想が浮かびました。

カメラアングルの左外には「竹生島」も見えています。

昔から信仰の対象であり、この当たりの風情はずっと変わってないように思えます。

また「カフェ」2階はほとんど改装していない状態で「骨董屋」になっています。

いずれは挑戦したい領域です。

船着き場を挟んだ向こう側にあるもう一つの建物は「住居」となっていて、更に船着き場の石垣と住居の間が、駐車スペースにしつらえています。

そこに屋外ですがオーナーの大きなアメ車が止まっていて、カフェの客席から真横のラインが丁度見えるようになっています。

この距離感も「デルタカフェ」の母屋から、庭を挟んで「デルタ」が眺められる構図に少なからず影響を与えていると思われます。

これで「石鎚山」も借景に活用出来れば最高なのですが、さすがに無理でした。

2019年3月16日土曜日

雲竜院


「いつもどの辺だったっけ?」と独り言をいいながら地図アプリで確認してしまうのが「泉涌寺」です。

「東福寺」の東側で、京都駅から見れば裏側に隠れるような位置関係になります。

実際訪れていてもいつも曖昧になります。

道も車がかろうじて通れるくらいの細い上り坂を通りますが、境内に入ると幅の大きな下りとなり、大きな仏殿(重文)が迎えてくれます。

別称を「御寺(みてら)」と呼ばれ、江戸時代の「後水尾天皇」から幕末の「孝明天皇」まで代々の御陵があります。

その別院が「雲龍院」です。

写真は皇族の位牌を安置する「霊明殿」前の庭で、石灯籠を中心に「菊の御紋」が白砂の隆起で庭いっぱいに描かれています。

「ザ・皇族」という押し出しが半端ないです。

コテコテな感じがしないわけでもありませんが、そこが皇族たる由縁なのか不思議とお上品に見えます。

まあそれ以外に、余分な色彩や造形物は見あたらないからかもしれません。

案外「クール・ジャパン」を体現しているのかもしれません。

外国の方が観たら、こういうのがわかりやすいのかもと思います。

私自身も意外と御紋のオーラに当てられることもなく落ち着いて鑑賞させて頂きました。

2019年3月9日土曜日

青春の門 直方


作家「五木寛之」の作品で有名な「青春の門」。

タイトルに上げてますが、実は映画も観てませんし小説も読んでません。

好きな作家ですし一度読みたいと思うのですが、何故か面倒くさくてチャレンジ出来てません。

そう言えば「坂の上の雲」も読み始めるまでに結構な時間がかかりました。

出来れば複数刊でも「上・下」くらいでまとめて欲しいものです。

話が逸れましたが、地理的には九州の「筑豊地域」が舞台であることは知っています。

炭鉱があっただけに、石炭運搬の必要性から複雑な鉄道網が発達した地域です。

そのため接続路線が多く、「乗り鉄」泣かせでしたが、その分達成感が高かったのを思い出します。

今回は車による旅で、写真は「炭坑博物館」にて入口近くにある展示車両と一緒に撮影したものです。

もう動きませんが、地域で走っていた車両が保存されているのを観ると、妄想トリップがよりリアルに展開出来ます。

日本の高度経済成長を支えた資源供給地として賑わいのあった場所ですが、労働争議を経て今は静かです。

産業の「栄枯盛衰」をまざまざと感じてしまいます。

この地域に関しては気の済むまで妄想が進み、ある程度のイメージに納得しているから、今更読む気にならないのかととも思いました。

2019年3月2日土曜日

佐伯祐三アトリエ記念館


JR山手線の目白駅から1キロほど西の住宅街にあります。

画家「佐伯祐三」のアトリエ付住宅を整備して記念館に仕立て直し、最近公開されました。

佐伯公園とも呼ばれているらしく、テクテク歩いて向かいました。

おそらく日本人の洋画家の中で一番好きです。

どの作品というわけではないのですが、荒いタッチに殺伐とした情景が全体的に好みです。

このアトリエがまだ和風建築だったときの、確かそれを描いた作品がありましたが、どこかのタイミングで洋館に建て直したのでしょう。

この写真とその絵の記憶が、全く同じ空間であることに感動しました。

雨がパラパラ降ってきて、空の色が絵でよく描かれるような鈍色になっており、ますますラッキーです。

東京都心部の山手線界隈でこんな景色がいまだに残っていたのは奇跡だと思います。

その「佐伯祐三」ですが、東京美術学校を卒業したエリートです。

その後パリに向かいました。

しかし、その滞在中に、前回話題に出した画家「ブラマンク」に自分の描いた絵を「このアカデミックめ!」と罵倒されたりして、大きなショックを受けたようです。

その後に描かれた自画像には自身の顔がありません。

有名な画風は、そのときに悶々とする中で確立していったようです。

この辺の展開がファンになっている理由と思われます。

その後、残念なことに彼は結核を患って一度帰国することになります。

でも、再度渡仏します。

そしてそのまま30歳で没したのです。

その時期に描かれた絵は、どれも画家の心情が発露している気がします。

一緒にパリに来ていて、子供の看病をしていた奥さんにも看取られませんでした。

悲しいことに子供も翌年亡くなったようです。

どんな環境で生活していたんでしょうか?

画家だけでなく、家族の悲惨な人生を痛感してしまいます。

だから惹かれ考えさせられてしまうのですが。