「今回は、石川さゆりか。前は野際陽子だったなあ。」
大河ドラマにて「明智光秀」の母親が、人質として殺されてしまうシーンが浮かびます。
和議の流れを「織田信長」が反故にしたためです。
「本能寺の変」の一因とも言われますが、どうも史実ではないそうです。
とは言え、その舞台設定は兵庫県篠山市にある、この「八木城」でした。
織田方(丹波・丹後攻略の司令官が光秀)の総攻撃で「波田野一族」はこの城を枕に滅亡します。
写真は本丸付近で、「波多野氏」を祀る石碑が見えます。
また下の写真は、その本丸からの「丹波篠山城」方面の眺望で、天気も良く素晴らしい眺めでした。
コロナの時期だったのですか、京都へ車を引取った帰りに、ここなら誰もいないだろうと立ち寄りました。
以前に大阪に住んでいたとき、寮のあった「豊中市」から「丹波篠山城」へ向かうのが、一つのドライブコースでした。
交通の要衝にあるので、毎回城の麓を通るのですが、国史跡なのに一度も登城する気になれず、今回が初登山の初登城でした。
道は「保存会」のご尽力で整備され、本丸界隈は石垣も一部使用されていました。
適度な伐採もされていて、郭(くるわ)の配置もわかりやすく、中世城郭の形態であることが非常に理解できました。
もともと山登りは好きなのですが、本格登山を目指す気合はありません。
しかし、今回のように「登城=登山」になることは必然で、一時間以上かかることもしばしばです。
今までに訪れていても、完全登頂が出来てない「山城」は結構あります。
新しい目標設定になりそうで、「城山トレッキング」をやるべき「候補地」選定は、早めに準備しておこうかな思いました。
0 件のコメント:
コメントを投稿