2020年12月19日土曜日

東鶏冠山


前回の「旅順要塞」の続きになりますが、要塞の中でも最強の盾がこの「東鶏冠山(ひがしけいかんざん)」になります。

周囲にある「松樹山」と「二龍山」の三つで「永久要塞」と呼ばれるエリアでした。

先端が「旅順」である「遼東半島」は、南を向いた半島のため日本軍は北側に上陸し、「金州」を攻略してから南進しました。

先ずは正面となるここを攻撃したのですが、全く歯が立ちませんでした。

「三国干渉」で放棄させられたこの地を、なんと干渉した側のロシアが譲り受け、日清戦争時と比較にならない強固な要塞に大改造していたからです。

そのため町と港を囲む山間部(=要塞)の中で、一番脆いと思われた南西寄りの「二◯三高地」が攻略ポイントに再設定されました。

そこを大激戦の末やっと陥落させましたが、周囲を尾根づたいに制圧するのに、更に一ヶ月を要しました。

写真は、要塞内部の弾薬庫と居住空間で、一番奥まった部分です。

真ん中の溝に木の板を通して、二階構造にしていたそうです。

最終的に要塞の本丸といえるココが爆破されて、やっとロシア軍は降伏しました。

両軍の多大な戦死者は「坂の上の雲」でも凄惨に語られています。

ロシア側も軍艦の砲台を陸に上げ、水兵も陸軍に加わって応戦し、文字通りの総力戦でした。

しかし今回訪問した一番の学びは、中国人ガイドの方の話でした。

「中国人はこの史跡を見て、

『自分達は弱かったから、自分達の領土で、好き勝手に他国に戦争をされた。

自分達の先祖の多くが巻き込まれて殺された。

だから繰り返されないようしっかり勉強して強くならなければならない。』

と習います。

戒めのために、侵略された史跡は大切に残されているのです。

旅順要塞の建造でも、多くの中国人が使役されましたが、完成後に口封じのため、ロシア人に殺されました。」

身につまされて、何も言えませんでした。


最後の写真は、「旅順駅」で、古写真で見る姿のままです。

白黒だったので、屋根がグリーンであることを初めて知りました。

ロシアを感じます。


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