城巡りに際して、一番想像力を使うのは、城が活用されていた当時の姿をイメージするときです。
特に歴史小説で、城を舞台に戦場の描写があった場合です。
事実はどうかは別として、自身の想像におきかえて検証してしまいます。
そのときやっかいなのは沼地とか湿地帯の存在です。
現在は、埋め立てと排水工事がしっかり行われているため、消えているケースかほとんどです。
往時とは全くかけ離れていて、石垣・土塁も残ってないと、ただの公園にしか見えません。
ところが、今回取り上げるこの二城(隣り合うように近いので実質一つ)は、希少な事例といえます。
時代を超えて、「水城」を感じることが出来ました。
住宅地になっているのですが、堀はかなり残っています。
水をうまく取り込んで、江戸時代も「陣屋」として、防御と交通に活用していたことが伝わってきました。
写真のように、複数の石垣で囲まれた郭が、水辺にぽっかり浮かぶように存在してます。
折りたたみ自転車を活用して、堀沿いの路地裏をウロウロしたりして、相当楽しめました。
「備中国」と「備後国」の国境に近く、戦国時代は、「足守川」沿いを守る「毛利氏」の「境目七城」の一つでした。
この防衛ラインの主戦場が「豊臣秀吉」に水攻めされた「備中高松城」です。
「本能寺の変」が起こったことで、ここから豊臣軍は引き返すわけです。
その城跡の周辺は田畑になっていましたが、あらためて、近くの「足守藩」であったエリアを、川沿いを中心にゆっくり探検したいと考えています。
この藩は、秀吉の正妻「おね」の兄である「木下家定」が初代です。
一度所領没収となりますが、幕末まで存続します。
いろんな発見が出来そうです。
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