以前「備中松山城」を取り上げましたが、城下町から離れているうえ、山の高さも半端ないです。
治めるには、不便なことこのうえないです。
そのため日常は、麓に「御根小屋」という御殿を構えて、そこで殿様は政務を執り行っていました。
町の北側に位置する「高梁高校」がその跡地らしいですが、石垣でしっかり囲まれています。
また町中を散策すると、いくつかある寺社仏閣が城塞化しているのがココの大きな特徴です。
写真は南に位置する「松連寺」です。
下手な城郭より石垣が見事で、数段の構えとなっています。
海側の南から攻撃されるとすれば、出城としての役割が与えられていたはずです。
城下町の西側を流れる「高梁川」は、今でこそ護岸工事により川幅が定められていますが、往事はもっと広く、氾濫もしたはずです。
川に沿って敷かれた鉄道も昔はなかったので、町自体がもっと山側の東寄りに詰まっていました。
中心部にある「頼久寺」の石垣も加えて、川に面する形で湿地帯があり、それぞれの石垣が一つの防衛ラインになっていたと推察します。
西側の守りは、実質的に堅固な総構えです。
今日も車で「備中松山城」を訪れた後に、北からのんびりと南にドライブしたのですが、石垣の際に沿った道を走っていると、それを強く実感します。
武家屋敷を眺めながら、車で城内を散策しているようでした。
何度でも訪れたい町並みです。
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