2022年8月27日土曜日

小倉駅(こくらえき)

 


九州の玄関口となる「小倉駅」です。

駅ビルと呼ぶには時代錯誤な感じすらする、近未来感が漂うステーションビルです。

そして写真の通り、ビルのド真ん中にモノレールが乗り入れています。

かなりの高さがあるため、空にでも飛んでいきそうで、ちょっと「銀河鉄道999」を思い浮かべました。

ここより低階層になりますが、交差するようにJRの在来線と新幹線が走っています。

今住んでいる下関から新幹線に乗る場合、手前の「新下関駅」より、運行本数が多い主要駅のココで乗るほうが、東京や大阪への時間距離が短くなり便利です。

ここに週末来ていて新たな発見もありました。

2枚目の写真は宇宙海賊の船長である「キャプテンハーロック」の銅像です。

反対側の入口にあります。

なんとその先にあるビル一棟が、アニメキャラの殿堂みたいになっていて、アニメグッズが新品からアンティークまで大量に販売されていました。

子供の頃、欲しくても買えなかった代物が販売されています。

迷いましたが、かなりの値段だったのであきらめました。

またノコノコと行きそうです。

帰りにJRの7番線フォームにある、名物「かしわうどん」を立ち食いしました。

何故かこの番線の立ち食い店だけ、以前取り上げた「折尾のとり弁当」と同じかしわを使用していると、よく通うおでん屋の大将が教えてくれたのです。

九州のうどんはやわらかめですが、つゆとかしわの味がなじんで非常に美味でした。

ここは、ちょくちょく立ち寄っています。


2022年8月20日土曜日

原の辻遺跡(はるのつじいせき)


福岡県の沖合にある「壱岐島(いきのしま)」。

都道府県になる前も「壱岐国(いきのくに)」と呼ばれて、国の単位でした。

更に古代に遡って「卑弥呼」が登場する三世紀初頭にも、「一支國(いきこく)」と呼ばれています。

彼女が治めていた「邪馬台国」の属国だったらしく、この遺跡が王都とされています。

誤表記かと言われてますが、中国の「魏志倭人伝」にも「一大國」の名称で登場します。

日本への道しるべとして有名な史書です。

しかし、ここから先の「邪馬台国」への行程は、距離・方角とも相当いい加減です。

誇大妄想癖かつ方向音痴の人間同士が、口述筆記し合ったとしか考えられないくらいヒドいものです。

これに学派の主張が対立しているので、「邪馬台国」の場所は、大人の事情で永遠に決められない気がします。

本題に戻りますが、この遺跡は内陸部の小高い丘にあり、とてものどかな場所でした。

島ですが、平坦な地形のため、古くから水稲栽培が行われてました。

写真の通り、周辺には民家もないので電柱が見あたらず、今も古代とそう変わらないのではと錯覚してしまいます。

子供たちが散策しているのを見ると、和むのに最適な場所だと実感します。

帰るフェリーの時間が迫っていたので、あまり長居が出来なくて残念でしたが、「壱岐」の悠久たる時間軸を感じることが出来ました。

最期の最期に、ものすごく得をした気分になりました。

2022年8月13日土曜日

回天秘密基地


よりによって、8月15日の終戦記念日に訪れてしまいました。

洞窟のように見える、トンネルの入り口に近づくにつれ、震えがきました。

自身のレーダー反応に、引き返そうかと迷いましたが、微妙に我慢できそうなので突き進みました。

夕暮れ時で薄暗くなっていましたが、中に入っていくと、意外と大丈夫でした。

広い空間は通路であると同時に、収納・整備も兼ねています。

少し弧を描きながら歩いていくと、写真の建造物が見えてきました。

ここは、「山口県周南市」沖合の「大津島」にあります。

ギリギリ往復出来る最終便のフェリーに間に合い、そのまま乗り込みました。

海の特攻兵器である、人間魚雷「回天」に纏わる施設です。

ここまでキレイに外郭が残っているのに、感激しました。

「回天」のモニュメントは、ここにありませんが、それらが運用されていた、当時の息吹が伝わってきます。

海に進水させる長方形の穴や、吊るすクレーンを固定した土台の跡には、生々しい臨場感を感じました。

戦時中に活用された悲劇の産物なのですが、何故か清々しい気分になりました。

夕日の彩りが一役買っていたかもしれません。

最後の写真は、基地内の横穴から見えた景色ですが、何とも言えない癒しを感じました。

まるで教会にいるようでした。


2022年8月6日土曜日

伊勢興津


災害で、途中から運行不能になっていた三重県にある「興津線」。

そのまま廃線になってしまうことが多いローカル線の中で、無事復活しました。

前回の訪問では、始発「松坂駅」から「家城駅」までは乗れましたが、不通のため折り返し、残念な思いをしてます。

そのため完乗すべく、終点「伊勢奥津駅」から「家城駅」まで、逆進行で乗ることにしました。

埼玉への帰省途中に、家族に詳細を語らず、まあまあの遠回りをして車で寄り道しました。

道中は、室町時代に南朝方の「北畠氏」が、戦国時代後半まで籠もった地域だけのことはあり、思った以上に道は険しく、到着に時間がかかりました。

列車の運行本数は少ないので、一本乗り遅れると次は数時間後です。

でも、家族と一緒なので昼食抜きは厳しい状況です。

コンビニも見あたらない山道を走っていると、「あまご料理」の看板が。

ギリギリ間に合いそうなので、看板の指示通りに向かうと、下の写真にある池と食堂がセットになった敷地を発見です。

池には「(おそらく)あまご」が優雅に泳いでいます。

時間がない旨伝えると、小さいあまご焼き定食ならすぐとのことで、急ぎ注文しました。

写真の献立で、あっさりしたものでした。

みんなでかなり慌ただしく食べましたが、臭みもなく、旨くてビックリです。

養殖ではなく、採ってきた魚を眼前の池に入れていると思われ、天然物と推察しました。

野性味ある食事をたっぷりに満喫しつつ、鉄道の乗車をせがむ子供達を引き連れて、何とか出発に間に合いました。


乗車したときの車窓です。

山間部の鉄道風景が醸し出す、昔のままの鄙びた雰囲気が最高でした。