長崎県の「対馬」にある、古代の朝鮮式山城「金田城」です。
「天智天皇」の時代に、「白村江の戦い」で敗れた後、「唐・新羅連合軍」の侵攻に備えて築かれました。
幸い侵攻はなく、戦場になることはありませんでした。
続100名城の中で、最も訪れたい城でしたが、島嶼部の辺鄙な場所であり、ついでに寄るなんてことはかなわず、結局99番目の訪問となりました。
「対馬」を訪れた際に、レンタカーで真っ先に向かったのですが、入口の案内図を見ると想像以上に大規模でした。
そのため、この後の予定が見通せなくなることから、明日の早朝に出直すことにしました。
島の中央部を分断する「浅矛湾」に面して、山の斜面に築かれています。
全周は、2・8キロの石垣(崩落部分が相当多い)に囲まれていたそうです。
翌日の早暁に現地に向かいましたが、それでも帰りの船便に間に合うか不安でした。
また明治末期には、この山頂に砲台が築かれ軍事施設となっており、麓から中腹の古代城壁とは別に、物資輸送のための車道として整備された石垣も築かれていました。
これはこれで見応えありでした。
先ずはこのルートを使って山頂まで、3キロ近く登りました。
かなりハードです。
砲台跡の施設はしっかり残っていました。
そしてここから、古代城壁と重複する箇所となり、城壁に沿うように山の斜面を、海に向かって下りました。
写真はその途中に撮影したもので、湾の美しさに見とれながらしばし休憩しました。
城壁は、海からやってくる敵への防衛が前提のため、頂上から尾根沿いに下りながら続き、海側に面すると一定の高さで、海岸線を水平にぐるりと築かれました。
最期の写真は、古代城壁の「一ノ城戸」と呼ばれる張り出した石垣で、海から最前線の防衛ラインになります。
キレイに修復されていましたが、近代城郭と大差ない規模で、防人達がいた往事を偲べた気がしました。
ここで所持していた水が切れます。。
8月の終わり頃だったので、カンカン照りの日差しに相当体力が奪われました。
ここまで約5キロ、あと約2キロ近く駐車場まで残っています。
クラクラする感じがあったので、恐怖を感じました。
脱水症状で倒れたら誰か来るとも思えず、野垂れ死にです。
ビビりながら何とか辿り着いた次第です。
車の中で、飲みかけの温いポカリスエットがこんなにうまいと感じたことはなく、まさに命の水でした。
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