2022年12月31日土曜日

半泊教会(はんとまりきょうかい)


最初に訪問した「福江島」に戻ります。

写真のログハウスのように見える教会は、島の最北東部、ひっそりとした浜辺にあります。

細い山道をおそるおそる進み、何とかたどり着きました。

丁寧な標識がなければ、迷ったと思い、あきらめてしまうところでした。

ここの「半泊」という地名も、数家族が九州本土の「大村領」から逃れて、ココに土着しましたが、土地が狭かったため、その半分しか住むことが出来なかったことに、由来するそうです。


周囲を囲む石垣は、華奢な教会を台風から守るために、後から築かれたそうですが、朝焼けに映えて、城好きにはそそるものがあります。

長崎県のカトリック教会を、数多く建築した大工「鉄川与助」が、ここも手がけました。

そのためか小さいながらも意匠がしっかりしています。

地元の方に伺えた話ですが、「潜伏キリシタン」と「隠れキリシタン」の表現には、区別があるそうです。

「前者は、江戸時代を通じた禁教期間に潜伏した教徒」を指し、後者は「禁教が解かれた後も、本来のカトリックに戻らず、独自に変容した信仰をそのまま続けている人々」に区分されるようです。

確かに約250年も、周囲から情報を得ることもなく潜伏していれば、本来の教義を維持するのは難しいと思われます。

今、自分が眺めている朝日も、「主」と一緒に毎日拝んでいれば、独自の超常的な何かが、普通に加わっていく気がします。

一個人にとっての「信仰の在り方」って、他人が強要できるものではないと、しみじみ考えさせられました。


2022年12月24日土曜日

旧五輪教会


「五島列島」の教会を訪問しようと思ったきっかけは、写真の「旧五輪教会」に「教会守」として都会からやってきた方の記事を読んだからでした。

「久賀島」という小さな島にあり、前回の「奈留島:江上天主堂」とセットのツアーで伺いました。

ユーチューバーの二人組も一緒で、順番的にはこちらの訪問が先でした。

もともとはこの島の中心地にある「浜脇教会堂」が前身です。

その改築に伴い、解体された旧教会堂が「五輪地区」に移築されたため、この名称になったそうです。

教会堂としては長崎県で2番目に古いそうで、国の重要文化財の指定と、集落として世界遺産にダブル認定されています。

向かう道中は細い悪路で、最初に計画した自転車による訪問を選択しなくて大正解でした。

車もたどり着けず、最期は海岸線を徒歩です。

物資は海路からしか運べない集落と思われ、きれいに保存されているのが、奇跡の佇まいでした。

先ほどの「教会守」の方の説明で中に入りました。

今は教会として使用しておらず、神様がいた跡なので撮影は可とのこと。

イエスを抱いたヨゼフ像が印象的でした。

素晴らしい木造建築の内部ですが、一部ビニールシートを貼ったところがありました。

先週の台風で受けた被害らしく、修復が大変だとの「教会守」の方の話でした。

都会からやってきた今の感想を伺いたい思いに駆られましたが、余計なお世話と重い控えました。

何やら偲びがたい空気が強く印象に残る訪問でした。


背後からのアングルが素晴らしいです。


イエス様をヨゼフが抱いている像です。

十分神々しい出で立ちでした。

2022年12月17日土曜日

江上天主堂


五島列島へ、実際に訪問してわかったのですが、世界遺産認定されている教会は、中心の島である「福江島」にはありません。

味わいのある教会を数多く満喫しただけに、該当がなかったことにビックリです。

周辺の小さな「奈留島」にあり、一般の船便では時間調整できなかったため、ツアーを申し込みました。

なんとユーチューバーの二人組と一緒でした。

韓国アイドルみたいな若者が喋り、機材を持った若者が撮影する役割分担のようです。

島に渡り車に乗り込んで、島の周囲を北東方面に回り込むように進んで到着。

写真の通り美しく、とてもかわいい教会でした。

漢字の表記と水色の窓枠のバランスが何とも言えません。

イカっぽい造形で、白ベースなのも面白味が増します。

さすが世界遺産認定といいますか、華やかさが今まで訪れた教会とは別格でした。

インスタ映えするとは、こういう教会のことなんだと、ロケっぽく動き回っているユーチューバーを眺めながら妙に感じ入った次第です。

管理人がいて、中の見学は出来ましたが、神域のため撮影はダメでした。

過疎化のため信者が激減しており、定期的に他から司祭がやってきて、ミサをしているそうです。

世界遺産認定の対象も、教会単体ではなく「江上集落」として包括されているとのこと。

そう伺うと、眼前に広がる原っぱは、昔はどうも町だったようです。


人が減り、布教対象がどんどん消えている現状に、侘しい気持ちになりました。

道中、少しだけユーチューバーの二人組と話をしました。

何と機材を扱っている方は、バリバリのクリスチャンでした。

消えゆく光景を残すことも、訪問した目的の一つと伺い、むちゃくちゃ感心してしまいました。


2022年12月10日土曜日

ランチアデドラ

 
「デルタカフェ」に鎮座している「デルタ」は80年代半ばから90年代前半に製造された時代の車です。

その同時代の「ランチア」ブランドにおける中型セダンのラインナップとして写真の「デドラ」があります。

変な名前です。

おそらくイタリア語の発音ならカッコいいのかもしれませんが、カタカナ発音になるので「カッパ」や「テンプラ」なんてもっと「?」な車名も過去にはありました。

これも売れない理由の一つかもしれません。

車検の代車なのですが、ずっと乗りたかったので超ラッキーでした。

一度検討したことがあったのですが、よく壊れるのと、当時の年齢だとデザインが渋すぎたため、購入には至りませんでした。

でも時代を経た今ならしっくりきます。

性能では特筆すべきものは何もありませんが、造形にはイタ車独特のエッジがじわりと効いています。

日本でよくイメージされる「派手な」イタリアではなく、日常生活における「素朴な」イタリアが体現されています。

ここが自分にとって一番の車ツボで、「ランチア」が好きな理由なのかと実感します。

普段使いで気に入ってしまい、翌週返却予定だったのに、結局返したのは一ヶ月後でした。

ディーラーの方すみません。

2022年12月3日土曜日

奥三河


今は高速道路の「第二東名」が開通し、利便性は上がりましたが、それまでは訪れるのに相当不便な地域でした。

鉄路も多くの「秘境駅」を抱える、スーパーローカル線「飯田線」が通るのみです。

しかし昔は「信濃国」と「三河国」を結ぶ道筋であり、「武田氏」と「織田氏」が覇権を争う地帯でした。

写真は、その主戦場になった「長篠城」に向かうとき、寄り道した写真です。

他にも歴史に登場する城が多くあり、城好きには外せない地域でもあります。

一度で回りきれないため、何度かに分けて訪問しましたが、食事する店がなかった記憶が強く残っています。

このときも、いい天気でしたが紅葉も終わりかけの時期で、結構寒くなっていました。

確か自販機があったので、持ってきたカロリーメイトと缶コーヒーで休憩しました。

山と空を眺めながら、「空っぽ」な感じを満喫したのを覚えています。

この界隈で有名な「鳳来寺山」に行っていないので、また訪れたいと思います。

今の年齢で、写真の時の感覚を呼び起こせるのかわかりませんが、カロリーメイトは必ず持って行くつもりです。