「福島県伊達市」にある山です。
そびえ立つ威容は実在しました。
南北朝時代の争乱を題材にした漫画で、かなり誇張して描かれていると思っていましたが、そうではなかったです。
もともとは、平安時代の高僧である「円仁」創建の天台宗「霊山寺」がありました。
ここに、公卿(=高級貴族)でありながら、武将としても「鎮守府将軍」であった「北畠顕家」が、「足利尊氏」が擁立した北朝方に対抗してやってきます。
「陸奥太守」の拠点である、宮城県「多賀城」にいた「義良親王」を、脱出させてここに籠もったのです。
「国司館」をここに設けて、南朝方の一大拠点としました。
京の都に例えると、「遷都」を「比叡山延暦寺」に実施し、防備を固めたイメージでしょうか?
写真は、そこからの景観ですが、あまりの高さにビックリしました。
登城といっても、もはや完全な登山です。
普段着だったこともあり、相当ハードな展開でした。
当時を想像するに、「太守と将軍」の鎮座する山が旗でたなびき、360度どこからでも拝めるのです。
その周囲への「威厳の伝播」は、効果大だったと推察されます。
「顕家」は勢力を整えて、ここから近畿地方まで攻め上がります。
南朝方としては、かなりの巻き返しとなりましたが、最終的には大阪近辺の戦いで戦死します。
その後はここも攻められて落城。
現在は、お寺も麓に移っていますので、純粋な国史跡として保存されています。
下の銅板のパネルを見て、往時の雰囲気は十分残っているように思いました。
やっぱり南北朝時代は、行動範囲がダイナミックです。