2023年4月29日土曜日

霊山城跡(りょうぜんじょうあと)


「福島県伊達市」にある山です。

そびえ立つ威容は実在しました。

南北朝時代の争乱を題材にした漫画で、かなり誇張して描かれていると思っていましたが、そうではなかったです。

もともとは、平安時代の高僧である「円仁」創建の天台宗「霊山寺」がありました。

ここに、公卿(=高級貴族)でありながら、武将としても「鎮守府将軍」であった「北畠顕家」が、「足利尊氏」が擁立した北朝方に対抗してやってきます。

「陸奥太守」の拠点である、宮城県「多賀城」にいた「義良親王」を、脱出させてここに籠もったのです。

「国司館」をここに設けて、南朝方の一大拠点としました。

京の都に例えると、「遷都」を「比叡山延暦寺」に実施し、防備を固めたイメージでしょうか?

写真は、そこからの景観ですが、あまりの高さにビックリしました。

登城といっても、もはや完全な登山です。

普段着だったこともあり、相当ハードな展開でした。

当時を想像するに、「太守と将軍」の鎮座する山が旗でたなびき、360度どこからでも拝めるのです。

その周囲への「威厳の伝播」は、効果大だったと推察されます。

「顕家」は勢力を整えて、ここから近畿地方まで攻め上がります。

南朝方としては、かなりの巻き返しとなりましたが、最終的には大阪近辺の戦いで戦死します。

その後はここも攻められて落城。

現在は、お寺も麓に移っていますので、純粋な国史跡として保存されています。

下の銅板のパネルを見て、往時の雰囲気は十分残っているように思いました。

やっぱり南北朝時代は、行動範囲がダイナミックです。


 

2023年4月22日土曜日

鞆の浦


宮崎アニメの舞台になったことで、全国的な知名度に拍車がかかりましたが、ここほど昔から風光明媚な記録が残っている場所はないと思います。

古代に「万葉集」で複数首詠まれ、江戸時代に「朝鮮通信使」より、東洋一の景観と称えられています。

政治的な面でも室町幕府滅亡時の「足利義昭」や、幕末に過激派公卿が京都を追われた「七卿落ち」のように、都を追われた身分の高い方の逗留地として登場します。

それだけこの地は、雅な方の慰めになると、両方とも時代の異なる「毛利氏」ですが、配慮したのでしょう。

また、様々な実写映画でも舞台になっています。

極め付きは「ハリウッド映画」でも採用されたことです。

自分が大好きな「Xメン」シリーズの日本を舞台にした「サムライ編」で登場します。

残念ながらCGが効き過ぎてよくわかりませんでしたが、長崎の設定でした。

映画自体もハリウッド映画として観れば正直いまいちでしたが、チャンバラ映画としてなら、最高の部類に仕上がってました。

特に意識しているわけではありませんが、何気に訪れることが多い場所です。

個人的には写真のように夕方が大好きです。

観光客もかなり引けているので、ザワザワしてなく、ほっこり出来ます。

近くの裏路地が大好きで、閉店ギリギリのお店に押し入って何か買うか食べるかして、短時間でそそくさと帰ることが多いです。

どこに入ってもレトロな感じがたまりません。

だからまた行きたくなるんだろうなあ。


2023年4月15日土曜日

鉄道博物館


埼玉県大宮市にある「鉄道博物館(通称:てっぱく)」です。

観光地が少ない埼玉県にあって、オープンしてからいきなり第一位の観光名所となりました。

もともと鉄道に関する博物館・記念館の類は全国に数多くあります。

その地域に根ざした鉄道の記憶は全て固有の存在であり、「乗り鉄」の自分にとっては、旅の目的地としてかけがえのないものです。

しかしここは、規模として破格の存在となりました。

今まで沿線の脇に設立されていたり、他ジャンルの施設と併設されていた存在領域の概念を大きく変えたと思います。

写真の通り、空間の広さにビックリです。

もともと大きな車両を入れるのですから当然なのですが、ゼロから大きな箱を築くことで収納の制約を受けていた「壁」を破りました。

日本の鉄道ファンは世界的にも多いと思います。

しかし、莫大なコストをかけて敷地を確保し、鉄道遺産を集めて飾ってまで、集客出来るかどうかは、自信がなかったのだと感じます。

おかげでありそうでなかった「日本の鉄道史」という莫大なテーマを語るために、必要なフィールドをここは初めて用意してくれたのだと、伺って感激した次第です。

車両や備品毎のテーマについては多過ぎてここは語れませんが、一つだけ話をさせてください。

2階の食堂車を模したレストランに行くと、食堂車にて供された「洋食プレート」が再現されていて、食べることが出来ます。

歴史を語る一品です。

これを味わうだけでも鉄道オタクなら訪れる価値があると、ビールも追加で飲みながら感じました。

これでレストランごと揺れてくれたらなあ。

2023年4月8日土曜日

伊達氏発祥の城跡


「仙台藩」で有名な「伊達氏」。

戦国時代末期に、奥州南部の大半を支配するまでの戦国大名となった「伊達政宗」でしたが、もともとは山形県「米沢」が地盤でした。

「乗り鉄」として鉄路で判断すると、「米沢」は閉ざされた地であり、守りやすく、攻めやすいと思います。

ここが本拠地になっていったのは、戦国時代の戦乱を考えると納得出来ます。

しかし発祥の地は、そこから南東部の福島県「伊達市」にあった、「高子岡城(たかこがおかじょう)」です。

写真のように、跡地に「亀岡八幡宮」があり、その鳥居が迎えてくれます。

それに加えて、すぐ脇をを「阿武隈急行」が走っていて、「高子駅」が目の前にありました。

城跡と鉄道がミックスされた風景にテンションが上がります。

始祖は「中村朝宗」という方で、鎌倉時代初期に「御家人」として「奥州藤原氏」の討伐に参加しました。

その戦功により、この周辺の「伊達郡」を与えられました。

これから名乗る「伊達姓」は、ここの地名に由来します。

行ってみると、果樹園が多く豊かな地帯に感じましたが、「東日本大震災」後には、いつも天気予報の雲レーダーがかかっているエリアに入っていました。

昨今の風評とかが、どうなっているのか心配な状況でもありますが、頑張って欲しいものです。


 

2023年4月1日土曜日

功山寺(こうざんじ)


仕事で「山口県」に転勤となり、「下関」に住むようになりました。

そして真っ先に訪れたのが、「下関市長府」にある「巧山寺」です。

「高杉晋作」の「巧山寺挙兵」の舞台となりました。

ここで「奇兵隊」らの諸隊が加わり、勢力が大きくなっていきます。

この戦いにおいて、「第一次長州征伐」に降伏した後、実権を握っていた「幕府恭順派」を一掃して、「倒幕」の流れに藩内をまとめました。

もう「明治維新」は、3年後に迫っています。

それまでの「長州藩」内の政情は不安定で、オセロゲームのように、政局が二転三転するような展開でした。

彼のこの働きがなければ、「薩長」と呼ばれる勝ち組になることはなかったはずです。

この後も大活躍しますが、結核を患い、「明治維新」を迎える前に亡くなってしまいました。

享年29歳。

本当にこれからという若さです。

写真のように、桜が満開でしたが、夕暮れの淡い雰囲気と相まって、花びらの色が溶け込んでいくような儚さを感じました。

無念の色なのかもしれません。

「長府」は城下町であり、貿易の玄関口の「下関」とは、場所も離れていて趣が全く違います。

城跡とかはないのですが、古民家を活用したカフェや骨董屋さんが数多くあります。

時間があれば、和みにちょくちょく訪れるお気に入りの地域です。