鹿児島県「種子島」の南端に、この地はありました。
説明看板の記述を読むと、南蛮人が上陸する様子は、かなり細かく記録に残っているようです。
写真の階段を降りた海辺のココだと、矢印の如く具体的なのにビックリしました。
いったんここに上陸した後に、島の領主である「種子島氏」がいる北部に連れていかれます。
ここで「二丁の鉄砲」が伝わるのです。
日本がすごいと思うのは、こんな辺鄙な場所で入手したにも関わらず、たった2年で鉄砲製造を「国産化」してしまったことです。
世界史においては、16世紀前半から、ヨーロッパの世界侵略が始まります。
メキシコにあった「アステカ帝国」や、ペルーの「インカ帝国」は、ポルトガル・スペインに短期間で滅ばされ、キリスト教化されていきます。
その約10年後くらいの同時期です。
しかし日本では、天下統一に向かって激化する戦国時代において、使用される鉄砲は「国内産」で、戦法も独自に進化していきました。
そのためか、「宣教師」がやって来ても、付随している「武人」や「武器商人」が主導権を握るような展開はあまりありません。
活用方法も含めて「内製化」したことが、外国の力を借りる必要を減らし、国内の綻びから展開されていく侵略の目を詰んだと思います。
海原が美しい海岸線を散策した後、記念碑がある最南端の「門倉岬」に向かいました。
最後の写真は、そこにある神社本殿を背にして、海原に向かって鳥居を撮影した一枚です。
「外敵」に対して睨みを効かしているように、非常に頼もしく感じました。
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