三重県の城巡りは、以前大阪に住んでいたときに相当押さえていたつもりでしたが、「続100名城」に選定されるまで、この城の存在自体を知りませんでした。
しかも築城者は、城造りの名人で有名な「藤堂高虎」です。
不覚でした。
慌てて、時間を都合して伺った次第です。
写真は本丸周辺に向けて、石垣が被写体として移るようにアングルを定めて撮影したものですが、小規模ながら総曲輪であるためポイントが多くて決めるのに苦労しました。
場所は三重県熊野市で、和歌山県と奈良県の県境に近く、かなり辺鄙な地です。
しかし山中でも海に出やすく、熊野大社も近いことから、海路の視点で見ると状況は随分違うのかもしれません。
当時の「高虎」は「豊臣秀吉」の弟「秀長」の家臣でした。
その「紀州攻め」に随行して、この地域の一揆鎮圧を任された際に、ここを拠点にしたそうです。
11年間の長期にわたって在居し、ここから「秀吉」の天下統一に関わる戦に、「秀長」の配下として出陣し、数々の戦功を立てて大名となります。
そして「秀長・秀保」の死後に、「秀吉」直属の配下となり、伊予三郡を与えられて「宇和島城」を築きます。
その後も数々の名城を築城していきますが、「高虎」の出世城はまさしくここが原点だったのです。
学ぶことの多い、大好きな武将であるにも関わらず、肝心の拠点が何処かを押さえてなかったのは、本当に恥ずかしいです。
夏でしたが、夕暮れ近くだったので、本丸跡に立つと、いい感じで風がそよいでいました。
汗が引くのを待ちつつ、いい勉強になったとつくづく思いました。
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