河口の先端にありました。
「一国一城令」で、城としての主郭は取り壊されてしまいましたが、現在は模擬天守が建てられています。
それが、大きな河口から海に向けての景観に、極めて効果的なアクセントとなっており、天守閣としての見栄えの良さを感じます。
海岸線の近くに築城された城は、埋め立て等により、もともとの面影を失っているケースが一般的です。
ここは、往時の風情を感じることが出来ました。
小島だったところを、北側は城下町の建設段階で埋め立てられたそうで、近年の開発ではないからだと得心しました。
驚いたのは、写真のようにその城下町が立派に残っていたことです。
予備知識がなかったので、何故この場所に大規模な街が建設されたのかも不思議でした。
五奉行だった「前田玄以」を始め、数万石の大名しか居城しなかったはずです。
後で調べたのですが、商港として発展したからだそうです。
「七草表(しちくさおもて)」と呼ばれた「琉球畳」の素材となる草が、国東半島で生産されるようになり、出荷に対してここに集積されるようになりました。
商都してこの規模に拡充されていったようです。
確かに立派な坂道の名前には、商家の名称が多いと思います。
坂のアップダウンにより、街並みに立体感が生まれて、非常に奥行きを感じます。
城下町は、台地でも筋を通した平地になっているケースが多く、このような事例を始めて観ました。
散策も、鄙びた感じはなく、栄えた街の息吹のようなものが伝わってきました。
城跡探訪の途中で、良い拾い物をした旅でした。
0 件のコメント:
コメントを投稿