2024年8月17日土曜日

お岩木山


青森県にある「お岩木山」です。

津軽平野にシンボリックに鎮座してます。

千葉から延々と車でやってきました。

目的は「津軽氏」関連の城跡を巡るためです。

もともとは、岩手県周辺を支配していた「南部氏」の一族です。

津軽方面を攻略すべく、「南部光信」が攻略司令官として派遣されます。

太平洋側の岩手県北部の海岸線にある「久慈」あたりが、もともとの所領です。

そこから下北半島を北上しながら、陸奥湾も越えて津軽半島を回り込み、日本海側の半島根元にある「鯵ヶ沢」付近に上陸しました。

はやい話が、青森県の海岸線を反時計回りに、端から端までです。

そこから内陸部の津軽平野を目指すのですが、とんでもない行軍指令です。

おそらくブチ切れたのではないかと。

私なら一族から見捨てられたと判断します。

彼の5代後に、有名な「津軽為信」が登場します。

秀吉の天下統一の過程で、本領安堵を認められて南部から独立します。

そのために裏切られた「南部氏」と、裏切った「津軽氏」の構図で、この両地域は大変仲が悪いと、私の勤める社内でも耳にするくらいです。

しかし経緯を知れば、見返されて当然かと思います。

下の写真は、「光信」が何とか津軽平野の端を押さえた拠点に築かれた「大浦城跡」の近くです。

ここからも「お岩木山」が展望出来ました。

行軍を開始した「津軽氏」の本拠地は、「鯵ヶ沢」から山間部に進んだ「種里城」になります。

その山中から更に進軍し、何とか獲得した最前線にて、この山が拝めたときは、相当なモチベーションのアップに繋がったと思われます。

領地の魅力度向上に一役買っている山です。

そう言えば、その際に通った鳥居、何でこんなに低いんだろう。

通るのギリギリでした。




 

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