青森県にある「お岩木山」です。
津軽平野にシンボリックに鎮座してます。
千葉から延々と車でやってきました。
目的は「津軽氏」関連の城跡を巡るためです。
もともとは、岩手県周辺を支配していた「南部氏」の一族です。
津軽方面を攻略すべく、「南部光信」が攻略司令官として派遣されます。
太平洋側の岩手県北部の海岸線にある「久慈」あたりが、もともとの所領です。
そこから下北半島を北上しながら、陸奥湾も越えて津軽半島を回り込み、日本海側の半島根元にある「鯵ヶ沢」付近に上陸しました。
はやい話が、青森県の海岸線を反時計回りに、端から端までです。
そこから内陸部の津軽平野を目指すのですが、とんでもない行軍指令です。
おそらくブチ切れたのではないかと。
私なら一族から見捨てられたと判断します。
彼の5代後に、有名な「津軽為信」が登場します。
秀吉の天下統一の過程で、本領安堵を認められて南部から独立します。
そのために裏切られた「南部氏」と、裏切った「津軽氏」の構図で、この両地域は大変仲が悪いと、私の勤める社内でも耳にするくらいです。
しかし経緯を知れば、見返されて当然かと思います。
下の写真は、「光信」が何とか津軽平野の端を押さえた拠点に築かれた「大浦城跡」の近くです。
ここからも「お岩木山」が展望出来ました。
行軍を開始した「津軽氏」の本拠地は、「鯵ヶ沢」から山間部に進んだ「種里城」になります。
その山中から更に進軍し、何とか獲得した最前線にて、この山が拝めたときは、相当なモチベーションのアップに繋がったと思われます。
領地の魅力度向上に一役買っている山です。
そう言えば、その際に通った鳥居、何でこんなに低いんだろう。
通るのギリギリでした。
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