2025年1月25日土曜日

大谷サンの兜


直近までいた鹿児島は、自分の行き先の希望もあって1年で離れることになりました。

「明治維新」を専攻していた身としては、もう少しここに住んでいたかったのですが、やむなしの状況です。

それでも、赴任前から何回も来てましたし、この1年間も暇さえあればウロウロしてましたので、しばらくは「鹿児島県」を多めに取り上げたいと思います。

ここは、「甲冑工房丸武(丸武産業株式会社)」の駐車場です。

言わずと知れた「エンゼルス・大谷選手」のホームランセレモニーにて使用された兜を作っている企業です。

鹿児島県北西部の薩摩川内市にあり、市街地から離れているので古風な雰囲気をイメージしていたのですが、良い意味で期待は裏切られました。

オリジナル鎧も含めた個々の需要にも応じているそうですが、ドラマ・テレビ・CMで使用される数多くの甲冑作成がメインで、大規模に製造を手掛けてました。

大きな櫓のある長屋の奥は、甲冑のテーマパークになっており、工場見学・展示拝観・着装イベント・お土産・お食事と、甲冑に関してなんでもござれの対応をされています。

インバウンド対応もぬかりないようで、エミー賞を多数獲得した海外ドラマ「SHOGUN将軍」の影響もあって、更に大きな需要が生まれる気がしました。

これからは、世界を見渡しても唯一無二の観光施設として認知される場所が大きく発展していくように思います。


 下の写真は、テーマパークの入り口ですが、時間が早すぎて入れませんでした。

自分の甲冑を、自分でデザインして作ってもらうと楽しいかも。

いくらかかるか問題ですが・・・。

2025年1月18日土曜日

桜島の海岸


錦江湾から眺めた「桜島」です。

時期は年末で、一番寒い日でした。

午前中は雪も降っていて、この山が雪化粧した美しい姿も拝めましたが、やむと数時間で地熱のため雪は消えてしまいます。

さすが現役バリバリの活火山で、火口の右側からいつも煙が吹いています。

鹿児島には一年しか住めなかったのですが、この山がどれだけ愛されているか、地元の方とお話をするたびに伝わってきました。

鹿児島県の中心に位置し、その周囲のほとんどを「錦江湾」が取り囲んでいます。

同じ海辺に浮かんでいる景色でも、360度で山の見る方角が変わるため、その地域ならではの様相で描かれたモミュメントを探すのが、訪問先での密かな楽しみでした。

この写真は、山から見て西北に位置する海岸線で、「磯庭園」があります。

家族がちょうど来ていたので、そこを見学した後、近くにある本命の食べ物屋に向かいました。

平たいお餅をしっかり焼いて、みたらしをかけた「じゃんぼ餅」という名物があり、その名店が海辺にあったので、それを食した後腹ごなしに向かったのです。

朝から寒いままですが、いい天気です。

意外と人もいて、右手には青春全開らしき女子高生達が石を投げながら何かを叫んでいました。

写真の通りで、ドラマでなく実際に観たのは初めてです。

また左手には映ってませんが、海洋調査らしきスエットスーツを着たおっさんの集団が、酸素ボンベを背負って、スタスタ海に歩いていきます。

そのまま海に消えていったので、ちょっと怖くなりました。

家族も負けまいと思ったのか、「アーシング」をすると言って、裸足になって波打ち際を歩き出します。

私は遠慮しました。

靴が砂で汚れるのも嫌だったので、遠巻きに人々の動きと、山を借景にボーっと眺めていました。

きれいな海なのですが、この混沌とした光景に「ガンジス川の沐浴」が頭に浮かびます。

この後は、案の定体が冷えたのか、震えが止まらないとか、お腹が痛いとか、大騒ぎです。

大地からエネルギーをもらう前に「アイシング」してしまったら何にもなりません。
 

2025年1月11日土曜日

神峯寺


真夏のように陰影がくっきりとした写真ですが、新年の写真です。

正月、母と二人でいたときに、室戸方面へのドライブ予定と告げると、私も連れて行けとなり、二人で出発することになりました。

私は、室戸岬を回り込んで徳島側まで行き、鉄路も道路も走行可能な鉄道車両「DMV」を見たかったのですが、母は四国八十八か所巡りの寺に行ってないところがあるらしく、道中でこのお寺を指定してきました。

「四国霊場 第二十七番札所 竹林山 地蔵院 神峯寺」

海岸を走る道路から、看板が示す山側に左折して向かいましたが、ここからの山道にビックリしました。

東予地方にある札所のイメージのせいか、脇道入ればすぐの場所と勝手に考えていたのですが、かなりの坂道が続きます。

お寺が近づくにつれ、更に勾配がきつくなり、人用の登山道を車幅分に拡げたような状態です。

ハンドルを延々とジグザグに切りながら上がっていきました。

途中で、徒歩のお遍路さんを何人か追い越しましたが、本当にここまで登ってくるのでしょうか。

車もオートマ車だったのが幸いでした。

マニュアル車なら、ここでの坂道発進には、相当痺れたと思います。

写真は何とか到着し、境内の石段から太平洋を臨んだ景色です。

冬とは思えないくらいの快晴で、遠くまで太平洋が見通せます。


また珍しいと思ったのは、寺院の山門と鳥居が並んで建立されていることです。

明治になる以前は普通だった「神仏習合」の形態がそのまま残っています。

石段の様式まで異なるのに仲良く並んでいて、思わずホッコリしてしまいました。

対照的な話ですが、このときに単身赴任で住んでいた鹿児島県は、江戸時代に明治維新の原動力となった薩摩藩です。

明治初期に「廃物希釈(はいぶつきしゃく)」が徹底された地域で、古いお寺は完全消滅して、全て神社になっています。

見かけた石像もすべてが首から割られていて、神道を主体とした新国家体制を推進するエネルギーの凄まじさを見せつけられる心地がしました。

そう思うと、ここにはそこまでのハレーションが及ばず、自分達の共同体によるペースで生活が維持出来たのかと推察します。

神社の石段が、お寺よりも急勾配になっているのが示す通り、お寺の上方に「神峯神社」があるので、記帳している母を残してそのまま上っていきました。

古びた本殿も趣があって良かったのですが、更に上方に展望台がありました。

どこまで上がるのかと思いながらも、ここまで来たらと頑張って進みました。

その展望台からの景観が、以下の写真です。


室戸岬に向けての一枚ですが、山々よりも一段と高い展望台なので、360度見渡せました。

扇形の高知県の地形は、「鶴翼の陣」で太平洋と向き合っているのが分かります。

やはり南海トラフ巨大地震は怖いです。

今年も良い年になる気がしましたが、大幅に時間がかかってしまい、室戸方面での目的達成は困難になったと、ほぼあきらめました。

待たせていた母にも叱られました。

2025年1月4日土曜日

曜変天目


昨年は開店10周年を迎え、リニューアルした年でした。

運営の中心を母から妹へと、少しずつ軸足を動かしていくことになりました。

同じ場所で長くやっていると、内外の様々な変化を受け入れていかなければ、そのままではいられないことを痛切に感じます。

冬旅の話になりますが、写真は「甑大橋(こしきおおはし)」です。

鹿児島県の西部沖合にある「甑列島」の島々をつなげる橋で、1,533mの長さは県内で一番だそうです。

またあらためて取り上げるつもりですが、「Dr.コトー診療所」のモデルとなった島です。

九州本土からフェリーに乗って、1時間15分ほどで、北端にある上甑島の里港に上陸。

あっさりした旅程ですが、大荒れの天気で船は揺れに揺れました。

生まれて初めて、船酔いを経験しました。

そこからレンタカーで南端を目指して走ります。

この橋は、中甑島と南甑島を結ぶ橋であり、南甑島側にある展望台からの撮影でした。

高波によって岩礁が生み出す砕けた波の文様が見事でした。

海の澄んだ青色に浮き出る様は、「曜変天目(ようへんてんもく)」のようです。

茶碗の紋様の話で宇宙とも形容されるのですが、岩礁が斑紋となってその周囲を白波が弾けます。

更に外周海面が激しい高低差で動くことで、海の青色が漆黒から紺碧に、そして瑠璃色にまで、多様に繰り返して変化していくのです。

手に取った器を鑑賞するような心地で、しばらく見惚れてしました。

詳しくはわかってないのですが、鉄質黒釉のかかった陶器を「天目茶碗」と呼ぶようで、その最高峰に「曜変天目茶碗」が位置するそうです。

中国の宋で焼成されたそうですが、現存は世界に3碗のみ、全てが国宝に指定されて日本にあります。

日本にあるおかげで3碗とも拝みに伺ってましたので、こんな見立てをしてしまいました。

変化を受け入れるということは、自身も変化していくことで、形が整うのかと思います。

長年お越し頂いている常連様からすれば、勝手が違うと思われている方もいらっしゃると思いますが、「デルタカフェ」らしさを続けていくための挑戦だと、温かい目でお付き合い頂ければ嬉しい限りです。

変えるからこそ、変わらないものが残る。

そんな店でありたく、今年もよろしくお願い申し上げます。


天候が回復してきました。

帰りは、船酔いにならずにすみそうです。