真夏のように陰影がくっきりとした写真ですが、新年の写真です。
正月、母と二人でいたときに、室戸方面へのドライブ予定と告げると、私も連れて行けとなり、二人で出発することになりました。
私は、室戸岬を回り込んで徳島側まで行き、鉄路も道路も走行可能な鉄道車両「DMV」を見たかったのですが、母は四国八十八か所巡りの寺に行ってないところがあるらしく、道中でこのお寺を指定してきました。
「四国霊場 第二十七番札所 竹林山 地蔵院 神峯寺」
海岸を走る道路から、看板が示す山側に左折して向かいましたが、ここからの山道にビックリしました。
東予地方にある札所のイメージのせいか、脇道入ればすぐの場所と勝手に考えていたのですが、かなりの坂道が続きます。
お寺が近づくにつれ、更に勾配がきつくなり、人用の登山道を車幅分に拡げたような状態です。
ハンドルを延々とジグザグに切りながら上がっていきました。
途中で、徒歩のお遍路さんを何人か追い越しましたが、本当にここまで登ってくるのでしょうか。
車もオートマ車だったのが幸いでした。
マニュアル車なら、ここでの坂道発進には、相当痺れたと思います。
写真は何とか到着し、境内の石段から太平洋を臨んだ景色です。
冬とは思えないくらいの快晴で、遠くまで太平洋が見通せます。
また珍しいと思ったのは、寺院の山門と鳥居が並んで建立されていることです。
明治になる以前は普通だった「神仏習合」の形態がそのまま残っています。
石段の様式まで異なるのに仲良く並んでいて、思わずホッコリしてしまいました。
対照的な話ですが、このときに単身赴任で住んでいた鹿児島県は、江戸時代に明治維新の原動力となった薩摩藩です。
明治初期に「廃物希釈(はいぶつきしゃく)」が徹底された地域で、古いお寺は完全消滅して、全て神社になっています。
見かけた石像もすべてが首から割られていて、神道を主体とした新国家体制を推進するエネルギーの凄まじさを見せつけられる心地がしました。
そう思うと、ここにはそこまでのハレーションが及ばず、自分達の共同体によるペースで生活が維持出来たのかと推察します。
神社の石段が、お寺よりも急勾配になっているのが示す通り、お寺の上方に「神峯神社」があるので、記帳している母を残してそのまま上っていきました。
古びた本殿も趣があって良かったのですが、更に上方に展望台がありました。
どこまで上がるのかと思いながらも、ここまで来たらと頑張って進みました。
その展望台からの景観が、以下の写真です。
室戸岬に向けての一枚ですが、山々よりも一段と高い展望台なので、360度見渡せました。
扇形の高知県の地形は、「鶴翼の陣」で太平洋と向き合っているのが分かります。
やはり南海トラフ巨大地震は怖いです。
今年も良い年になる気がしましたが、大幅に時間がかかってしまい、室戸方面での目的達成は困難になったと、ほぼあきらめました。
待たせていた母にも叱られました。
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