2025年1月11日土曜日

神峯寺


真夏のように陰影がくっきりとした写真ですが、新年の写真です。

正月、母と二人でいたときに、室戸方面へのドライブ予定と告げると、私も連れて行けとなり、二人で出発することになりました。

私は、室戸岬を回り込んで徳島側まで行き、鉄路も道路も走行可能な鉄道車両「DMV」を見たかったのですが、母は四国八十八か所巡りの寺に行ってないところがあるらしく、道中でこのお寺を指定してきました。

「四国霊場 第二十七番札所 竹林山 地蔵院 神峯寺」

海岸を走る道路から、看板が示す山側に左折して向かいましたが、ここからの山道にビックリしました。

東予地方にある札所のイメージのせいか、脇道入ればすぐの場所と勝手に考えていたのですが、かなりの坂道が続きます。

お寺が近づくにつれ、更に勾配がきつくなり、人用の登山道を車幅分に拡げたような状態です。

ハンドルを延々とジグザグに切りながら上がっていきました。

途中で、徒歩のお遍路さんを何人か追い越しましたが、本当にここまで登ってくるのでしょうか。

車もオートマ車だったのが幸いでした。

マニュアル車なら、ここでの坂道発進には、相当痺れたと思います。

写真は何とか到着し、境内の石段から太平洋を臨んだ景色です。

冬とは思えないくらいの快晴で、遠くまで太平洋が見通せます。


また珍しいと思ったのは、寺院の山門と鳥居が並んで建立されていることです。

明治になる以前は普通だった「神仏習合」の形態がそのまま残っています。

石段の様式まで異なるのに仲良く並んでいて、思わずホッコリしてしまいました。

対照的な話ですが、このときに単身赴任で住んでいた鹿児島県は、江戸時代に明治維新の原動力となった薩摩藩です。

明治初期に「廃物希釈(はいぶつきしゃく)」が徹底された地域で、古いお寺は完全消滅して、全て神社になっています。

見かけた石像もすべてが首から割られていて、神道を主体とした新国家体制を推進するエネルギーの凄まじさを見せつけられる心地がしました。

そう思うと、ここにはそこまでのハレーションが及ばず、自分達の共同体によるペースで生活が維持出来たのかと推察します。

神社の石段が、お寺よりも急勾配になっているのが示す通り、お寺の上方に「神峯神社」があるので、記帳している母を残してそのまま上っていきました。

古びた本殿も趣があって良かったのですが、更に上方に展望台がありました。

どこまで上がるのかと思いながらも、ここまで来たらと頑張って進みました。

その展望台からの景観が、以下の写真です。


室戸岬に向けての一枚ですが、山々よりも一段と高い展望台なので、360度見渡せました。

扇形の高知県の地形は、「鶴翼の陣」で太平洋と向き合っているのが分かります。

やはり南海トラフ巨大地震は怖いです。

今年も良い年になる気がしましたが、大幅に時間がかかってしまい、室戸方面での目的達成は困難になったと、ほぼあきらめました。

待たせていた母にも叱られました。

0 件のコメント:

コメントを投稿