2025年2月22日土曜日

夜景サミット

 

山口県東部に位置する「周南市」の船上からの工場夜景です。

市町村合併で名称が変更になっているのですが、「徳山駅」界隈が中心市街地になります。

工場夜景に萌える方々がいるのは知っていましたが、その夜景に自身のある市町村が「夜景サミット」なるものを運営しているのは、ここに来て初めて知りました。

当時は13の市町村が加盟しており、持ち回りでサミットの開催都市になるらしいのですが、たまたま勤め先とこの市が「包括連携協定」を結ぶタイミングで、この市にお鉢が回ってきました。

その協定担当者だったので、目玉としてサミットのスポンサーになることにしたのです。

しかし時期はコロナの真っただ中で、市役所の方々と準備した様々な行事もことごとく延期・もしくは中止に追い込まれました。

サミットもオンラインに変わってしまい、来賓の自分すらモニター越しでの参加です。

ただ夜景見学のクルーズ運行は実施されることになり、乗り込んで撮った写真なのです。

2月の真冬にも関わらず、密閉を避けるため窓を開放しての出航です。

寒いことこの上なく、直に風に当たると涙と鼻水が止まりませんでしたが、そのせいか夜景の光が余計にまばゆく映りました。

切ない展開でしたが、ちょっと美しい体験でした。

「マッチ売りの少女」ってこんな感じだったのかなあ。

下の写真が、乗船したクルーズ船です。

うろ覚えですが、世界か日本に2隻しかない「水素船」の1隻らしく、動力エネルギーは「水素」です。

国から一定期間借りているとのことでした。

駆動についての説明も乗船中に受けたのですが、船独特の油臭い匂いはなく、静かでモーターみたいな回転音がわずかに聞こえただけでした。

風の音と、寒さで感覚がマヒしていたせいかもしれませんが、日本勢が開発している「水素エンジン」の自動車は期待できると直感的に思いました。

今振り返ると荒行のようなイベント参加も、貴重な機会だっと思えるから不思議です。


2025年2月15日土曜日

矢田の渡し


島根県松江市の市街地東部にあり、「宍道湖」と「中海」を結ぶ「大橋川」を横断するための渡し船です。

「出雲風土記」に渡しがあったと記録されていて、それを起源にすれば奈良時代から続いていることになります。

住んでいるときに乗ることはなかったのですが、その後訪れたときに是非乗っておこう思い立ちました。

当時は平日の午前7~9時のみ、所要時間約1分、料金は40円でした。

北岸が拠点となっていて、南側からの利用者は渡し場にある赤い回転灯を点けて船を呼ぶ仕組みでした。

写真は、呼んでいる間に車を撮っていたらうまく背景に収まった1枚です。

南岸から北岸へ、再び車のある南岸へ、往復料金80円でした。

そのとき乗ったのは私一人で、正直やっていけるのか不安になりました。

実際、2014年から休航しているそうです。

確かに、松江市南北を結ぶ橋は増え続けていて、とうとう高速道路もかかりました。

立地が良い場所でもないので時代の流れと言えばそれまでですが、奈良時代からの運行が終ってしまったと伺うと、このとき乗ったことは大いなる記念となりました。

松江の冬らしいどんよりした天気は、景観を灰色に染めてしまいます。

そのときの渡し船から眺めたみぞれ混じりの大橋川は、水墨画の中を進んでいるようで非常に美しかったです。

古代人も眺めたであろうあの景色は、橋からは観ることの出来ない景色なんだと、ブログを書いていてあらためて思い出しました。


 

2025年2月8日土曜日

大陰陽神石


いきなりのセクハラ写真すみません。

以前、テレビ番組の「チコちゃんに𠮟られる」でも放映されていました。

NHKの審査も通っているため、ここでの取り上げもお許し下さい。

ぱっと見ると、そそり立つ「陽石(男石)」が目に焼きついてしまいますが、根元の左側にちゃんと「陰石(女石)」も、うまく合体出来そうなサイズでちゃんとありました。

そのため「大・陰・陽・神石」となります。

鹿児島県境に近い宮崎県小林市にあり、山間部の辺鄙なところですが、江戸時代でも全国区で知られていたそうです。

童謡詩人で有名な「野口雨情」もここを訪れて歌を詠んでます。

「浜の瀬川には二つの奇石 人にゃ言ふなよ語るなよ」

この方、「十五夜お月さん」や「赤い靴」が代表作にありますが、私生活はなかなか破天荒だったようです。

今後、歌人や詩人の人生をいろいろ勉強してみたいと思います。

ここまで立派だと、当然ながら子宝信仰の対象になりました。

鳥居があるのも納得です。

更にすごいのは、この角度だけでなく完全に円柱型であり、どこから見ても唸るものがあります。

詳細はこれ以上言えませんが、細部にわたってリアルなディティールがまだまだあるのです。


ちなみに最後の写真は、ここの「お地蔵様」らしいです。

神社の造形物のほとんどが子宝に関連している意匠となっており、こだわりがすごいのですが、奥にあった博物館のような館以外は無料でした。

結構な観光客が来ていたので、有料化して地域貢献に役立てたらいいのに。

ただ、前宮崎県知事の東国原氏が「宮崎県観光遺産:生命発祥の聖地」に指定されたそうです。

元「たけし軍団」、さすがに見逃しませんね。

2025年2月1日土曜日

DMVの駅


写真は、「DMⅤ(デュアル・モード・ビーグル)」の乗り場になる「甲浦駅(かんのうらえき)」です。

白いガードレールに沿って、スロープのような道路を上り下りして、線路に合流します。

この駅は徳島県にあり、室戸方面に向かう「阿佐海岸鉄道」の終着駅であり、以前に鉄路全線制覇のため訪れていました。

そのときは、線路が高架のまま終点となるために駅のホームが高い場所にあり、長い階段を下りて改札口を出たのですが、辺鄙なローカル線とは思えない不思議なゴールだったと記憶しています。

その高架で線路が終わった場所に、道路のスロープがくっついたんだと、ここを訪れて道路と鉄路の連動する構造がわかりました。

今では駅の体裁も変わってしまったため、「МIC(モードインターチェンジ)」という名称までつけられています。

今回は、その仕組みが知りたくて四国のほぼ最東南端に来ました。

以前のブログで取り上げた「神護寺」に母親と途中で立ち寄り、時間がかかってしまったため、高知県から「室戸岬」に近いルートを経由して、何とか夕方に間に合った次第です。

後回しになりましたが、そもそもの「DMⅤ」の説明をします。

下の写真に登場している「道路」と「鉄路」の両方を走ることが出来るバスみたいな乗り物です。

3台配備されており、それぞれが色に合わせた固有名称を持っています。


「道路」を走るときは、普通の自動車と同じです。

タイヤのついた4輪で走行するのですが、線路に侵入する際には、車体下の前後から鉄車輪が出てきてレールに合わさり、そのまま「鉄路」を走ることになるのです。


次の写真が、気になっていたスロープみたいな道路と線路のつなぎ目です。

その先には、私が降りたことのある駅フォームがありますが、今はスロープを上がる手前が停車場になっていて、乗降に使用されておらず閉鎖となっています。

バスのように乗降するため、フォームの高さではバスの出入口と合わないので仕方がないのですが、往時の長い階段も残っていて、乗り鉄としては少し寂しいです。

この後、予定時刻にDMVがやってきてくれて、道路用から線路用にモードチェンジする動画もしっかり撮れたのですが、テンションが上がりすぎて静止画を撮るのを忘れてしまいました。

今回はここで終わりにします。

今度は乗車したときの状況を取り上げたいです。

今日、飲み会があるの忘れてました。

急いで壬生川に帰らないと。