2017年5月27日土曜日

あつかし山砦


「阿津賀志山砦」と書くそうですが、福島県と宮城県の県境に位置する標高290m程度の山です。

源氏の「源頼朝(鎌倉方)」が平氏を滅ぼした後に、「奥州藤原氏」追討のため北進し、激戦となった唯一の場所です。

約100年もの栄華を誇った「奥州藤原氏」は本当にあっけなく滅亡します。

三代目「藤原秀衡」が病死し、四代目の「泰衡」になった途端に鎌倉方につけ込まれ、匿っていた「源義経一行」を命令通り殺害するも追討されます。

政治的駆け引きのレベルが先代と違い過ぎたのでしょうか。

それで何故か「この山」を防衛ラインに戦いますが、ここを突破されると、本拠地「平泉」までかなりの距離があるにもかかわらず、組織的な抵抗も出来ないまま、「泰衡」は北へ北へと敗走する羽目になり、最後は家臣に討ち取られます。

政治体制から金の産出地も含め謎の多い「奥州藤原氏」ですが、国宝第一号の「中尊寺金色堂」の下には三代(清衡・基衡・秀衡)のミイラと泰衡の首だけのミイラが、諸説ありますが一応安置されています。

今後、深堀りしたいテーマです。

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