「浄土真宗」の中興の祖である「連如上人」の旧跡です。
一言で旧跡と行っても、布教範囲が広く伝説も多いお方なので数多くあり、城巡りのついでに偶然にも立ち寄ったここは、ネットではっきり検索すら出来ませんでした。
福井県と石川県の県境にある一大拠点だった「吉崎御坊跡」の近くで、その以前には北陸布教の拠点にもなったようです。
今は普通のお寺ですが、「教団」としてガチガチに身構えられた様子がなく、各地でのスタートはこんな感じだったのかなあと思いました。
戦国時代には廃れてしまっていた「浄土真宗」の地位を回復したのはこの方で、「延暦寺」を筆頭とする他宗派の迫害に耐えながら、闘争の中で活動を展開していきました。
そのため宗教勢力でありながら、「集団化→町化→武装化→教団化」していくのは必然的な流れかもしれません。
「城郭化」したお寺も多く見受けられ、この布教スキームは見事だと思います。
全く別の視点で、この方に対してすごいと思うのは、奥様の死別を4回に渡り経験しつつも、男子13人、女子14人の計27子を儲けられていることです。
何度も焼き討ちとかに会いつつも、各地を転々としながらの布教活動と併せて、本当にタフな方だったんだと感服します。